バスに乗った。
いつもと同じく降車口に近い座席を選び、腰を下ろす。
窓外の景色に目をやろうとすると、
それは窓枠のところで止められた。
公共の場には如何にも不似合いな、珍妙なオブジェがそこにあった。
直径は4センチくらいであろうか。
色はピンク、不定形のアメーバみたいなのが、
気まぐれにとったポーズのような。
果たしてそれはガムであった。
運転席の方では料金を支払うのにまごついている老婦人。
苛立つ運転手。
「ちょっと…もう発車するよ!小銭ないの?160円!ああ、もう、ここで両替して!」
…誰もが言うだろう、「客に向かってその態度はないだろ!」と。
まあたしかに。
商売人にとっては、どんなイヤなヤツでも金を支払う以上は客、客である以上は神様。
しかし最近の神様ったら、右手に聖典左手に爆弾、自爆を推奨する砂漠の神や、
右の頬を打たれたら大軍で侵略しちゃう十字架のおっさんよろしく、
どうにも尊大で傲慢で自己中。
道端に座り込む、店内でわめく、棚は引っかき回す、無理難題をふっかける、
そこらに吐きまくる、車内では携帯、植込にはゴミ、そして窓枠にはガム。
それでもプロとしての矜持が接客業の彼らをして今日も笑顔たらしめる。
しかし彼らも人間だ。
理不尽な「神」の所業の積み重ねが、
彼らの意欲をそぎ、気持ちを歪めることもあるだろう。
ほんのちょっとの思いやり。
何かをしてやるまでもなく、相手の立場に立って少し考えてあげるだけ。
それだけで世の中はこんなにも争わずに済むようになるはずだ。
人間には照れや見栄や欲得にごまかされがちな、
それでもひとかけらの良心というやつがあるはずで、
だとしたら世の中はこんなにも悲観的に眺めなくてもいいはずだ。
そう信じたい。
まともにものも言えないような幼児を刺して、
平然としているテレビの中の「あいつ」の眼には、
うまくいかなくなったゲームでリセットボタンを押す、
その直前にめちゃくちゃをやって自爆する、
そんな幼稚なヒステリーの淀みを感じる。
極刑で望みどおりのリセットが叶ったとしても、世界はおまえのゲームじゃない。
そんなことを考えながら帰り道に乗ったバスは偶然にも行きと同じ車両であった。
再会したガムがそう教えてくれた。
独善か偽善の両極端ばかりが横車を押してくる毎日は、
やはり俺を苛立たせて止まないけれど、
俺はリセットなんかあてにしない。
30年間そうであったように、
俺は俺なりの「ほんのちょっとの思いやり」を携えて、
これからもずっと俺でありたい。
いつもと同じく降車口に近い座席を選び、腰を下ろす。
窓外の景色に目をやろうとすると、
それは窓枠のところで止められた。
公共の場には如何にも不似合いな、珍妙なオブジェがそこにあった。
直径は4センチくらいであろうか。
色はピンク、不定形のアメーバみたいなのが、
気まぐれにとったポーズのような。
果たしてそれはガムであった。
運転席の方では料金を支払うのにまごついている老婦人。
苛立つ運転手。
「ちょっと…もう発車するよ!小銭ないの?160円!ああ、もう、ここで両替して!」
…誰もが言うだろう、「客に向かってその態度はないだろ!」と。
まあたしかに。
商売人にとっては、どんなイヤなヤツでも金を支払う以上は客、客である以上は神様。
しかし最近の神様ったら、右手に聖典左手に爆弾、自爆を推奨する砂漠の神や、
右の頬を打たれたら大軍で侵略しちゃう十字架のおっさんよろしく、
どうにも尊大で傲慢で自己中。
道端に座り込む、店内でわめく、棚は引っかき回す、無理難題をふっかける、
そこらに吐きまくる、車内では携帯、植込にはゴミ、そして窓枠にはガム。
それでもプロとしての矜持が接客業の彼らをして今日も笑顔たらしめる。
しかし彼らも人間だ。
理不尽な「神」の所業の積み重ねが、
彼らの意欲をそぎ、気持ちを歪めることもあるだろう。
ほんのちょっとの思いやり。
何かをしてやるまでもなく、相手の立場に立って少し考えてあげるだけ。
それだけで世の中はこんなにも争わずに済むようになるはずだ。
人間には照れや見栄や欲得にごまかされがちな、
それでもひとかけらの良心というやつがあるはずで、
だとしたら世の中はこんなにも悲観的に眺めなくてもいいはずだ。
そう信じたい。
まともにものも言えないような幼児を刺して、
平然としているテレビの中の「あいつ」の眼には、
うまくいかなくなったゲームでリセットボタンを押す、
その直前にめちゃくちゃをやって自爆する、
そんな幼稚なヒステリーの淀みを感じる。
極刑で望みどおりのリセットが叶ったとしても、世界はおまえのゲームじゃない。
そんなことを考えながら帰り道に乗ったバスは偶然にも行きと同じ車両であった。
再会したガムがそう教えてくれた。
独善か偽善の両極端ばかりが横車を押してくる毎日は、
やはり俺を苛立たせて止まないけれど、
俺はリセットなんかあてにしない。
30年間そうであったように、
俺は俺なりの「ほんのちょっとの思いやり」を携えて、
これからもずっと俺でありたい。