カラオケもかなり本格的で、壁にでっかいスクリーンがあり、
スピーカー4つに立派な卓もあり、昔のリハスタジオを思い出す。
最近は仕事と子育てに夢中で、バンドどころかカラオケなんかも行ってない。
数年ぶりだろうか、人前で歌わせてもらう機会を得た。
久しぶりにマイク持って歌って…気持ちよかったなあ(笑)。
割合に声も出るし、キーも下がってない、でも続かない(笑)。
せいぜい4〜5曲かな。
疲れちゃって、昔みたいに何十曲もというわけにはさすがに。
でも思えば、かつて他人様が勉強したり働いたりしていた時間に、
僕は週3回スタジオ入っていたわけで。
そうやって辛うじて維持していたレベルに、
いまひょいと届いちゃってたら、逆にイヤになるよなあ…(笑)。
あんな練習してたのは何だったんだ、って。
別にそんな練習熱心じゃなかったけど(笑)。
でも、シンガーは身体が楽器。アスリートと一緒だよね。
常日頃のたゆまぬ鍛錬があって、初めて維持できる。
そりゃあ何年かでもかなり専門的にやってた経験があれば、
十数年特になにもやってなくても、まったくの素人から見れば、
ちょっとウマイ、ちょっとスゴイくらいのレベルにはいられるだろうけど、
お金貰ってステージに立つレベルにはとてもとても…。
自分でわかるわね。もうRebirthできないかもなあ…。
一種の職業病というやつか、
初挑戦の歌は手元のスマホで録音して、あとで聴いてみる(笑)。
うーん、やはり歌ってるときのイメージとはだいぶ違うな。
普通はそういうのイヤじゃん?
でも僕は人前で話したときと歌ったときは、
必ずあとで同録チェックしたくなるんだよね。
いや間違っても出しませんよこんなとこにはあーた(恥)。
あくまでもひとり一人反省会。
かつてライブやオンエアの後に欠かさずやってた、ただの職業病。
いまもって授業や保護者会でもよくやる。
演じてたときの主観と、聴衆からどう見えていたかとを、
ちゃんとすり合わせしておきたいんだよね。
今回初めて歌ったのは、
X JAPANの"Forever Love"と、ミスチルの"Innocent World"。
Xはネタで歌うことはあっても、ミスチルはまずなかったから、
弟が「兄ちゃんが!ミスチル!」ってビックリしてた(笑)。
実は、もんたよしのりが前者の、
そして尾崎紀世彦が後者をカバーしたのをYouTubeで見て、
率直にいって感動したんだよね。
いずれも素晴らしい歌い手さんが、原曲以上に曲の魅力を引き出している。
誤解を恐れずに言うと「こんなにイイ曲だったんだ……」って。
原曲シンガーを貶めてるんじゃなくて、先入観が解けてという意味ね。
それで、身の程もわきまえず、おれもマネしてみよう…と。
しかし、僕も含めてアマチュアシンガーはみんな、
やれ声量がどう、ピッチがどう、リズムがどう…と、
フィジカルだったりテクニカルだったりの部分ばかり気にして、
話題にしちゃいがちなんだけど、
この歳になると、そういうのもちょっと気恥ずかしくなる。
それはたぶん、
「自分で自分のことを巧いと思っている人」が、
「普通の人が気付かないような細かいミスとかテクニックを自虐的に語ってみせる」ことで、
「そんなことないですよ〜、巧いですよ〜すご〜いプロみた〜い」と、
言って欲しいからなんだということを知ってるからだろうな(笑)。
僕の知る限り、本物のプロは絶対そんな話、しないもん。
いざ現場を離れて十数年、
客観的にいろんな名手の歌を聴けるようになってやっと気付く、
たぶん歌の真髄って、声量だの音程だの、そんなとこにはないんだろうなと。
いやもちろん、それらは前提としてあるべきもので、
建物の基礎がしっかりしていないと、どんな綺麗な家も傾いちゃうように、
けっして軽んじられないもの。
でも基礎は基礎だから、見えなくてもいいんだよね。
強靱で、免震で、選び抜かれた素材を、最新の工法で…なんてことは。
まして見せびらかすようなものじゃない。
これだけのものが何十年経っても当たり前のようにびくともしてない、
というところに美学があるわけで。
見るものが当たり前に期待するもの、
それをキープするための陰のメンテナンスに、
わかる人だけが想像を巡らせるわけで。
多くの人は技術がどうこうといった細かいところを抜きにして、
純粋に歌そのもの、あるいは演奏も含めた音楽のつくる空気に身を委ねて、
いいなあ…と浸るわけで。
人の心を揺り動かす歌、そこに至るにはきっと、
基礎の積み重ねや技術的な修練のほかにもうひとつ、
ある決定的な何かがあるんだろうなあと、漠然と思う。
俗に言う、巧いだけじゃダメ、というやつか。
ただ、巧さがなければ説得力も乏しくなるのは間違いないし。
でも、けっして巧いわけではないのに人の心を揺さぶるものもたしかにあって。
何より、オンリーワンには、だれももはやその巧拙を語れなくなるわけで。
若い頃は「圧倒的に巧くなりたい」と願ってたんだけど、
いまはただ巧くてもしょうがないというか、どんなに巧くても、
人の心に届かなかったら単なる公開自慰行為だよな、という感じかな。
特に、自分が人前で歌わせてもらうなら、なおさら。
人の心に届くような歌、難しいよねこれ。
何をどうすればできるというものでもない。
僕は何度か、自分の歌で人が泣いてくれたことがあるんだけど、
それはテクニック云々をほめられるより、とても嬉しかったんだよね。
あるいは、僕が寝かしつけで歌う歌を、
子供たちが気に入ってせがんでくれたりとか。
僕はそっちがいいなあ、というだけのことよ。
ひたすら技術を磨くアプローチもアリだとは思う。
ただ、それはアスリート的なものかな、と解釈している。
アスリートならそれはどこまでやれるかという自分自身との勝負が中心で、
必ずしも観客の感動を前提としないとこもあるよね。
それでもそのアスリートの高い技術に裏づけされたパフォーマンスが、
人々の感動を呼ぶことも多くある。
対して僕は、格好いい(キザな)言い方しちゃうと、
単なる巧拙以上に、アーティスト志向というのだろうか。
ナンバーワンよりもオンリーワンになりたい、
そんな気持ちが強かったと言うべきか。
どんなにうまくとも、全然心に響かない、むしろ鼻について仕方がない、
そういう歌い手にはなりたくなかったんだよね。
まあ、それもこれも昔話。
いまの僕は教室でも家庭でも、
子供たちのオンリーワンであれればそれで充分。
とりあえず、今回初めてマイクを握った息子と一緒に、
彼の好きな『ガンダーラ』を歌ったのは、これまでにない愉しさがあったぞと。
以上とりとめもなく。