何を言うか、が知性。
何を言わないか、が品性。
…とすれば、
どれだけ聴けるか、が理性かな、と。
自分は「冷静」で「客観的」で「論理的」だと任ずるひとほど、
実は興奮していて主観的で感情的だったりする。あるある。
特に揉め事の当事者ともなれば、まあ心底「冷静」でなど居られない。
客観的なつもりで、実は「〜であってほしい」「〜にちがいない」という主観。
だから、論理の土台となる事実の認識にそもそも歪みがある。
その歪みの上に、自分に都合のいいように積み増していく「論理」など、
ただの屁理屈でしかない。
どんな人でも利害や感情や経験を離れて、物事を判断するのはとても難しい。
「自分ってぇ、割と論理的な人間なんでぇ…客観的な事実しか信じないというかぁ…」
…なんて言うのは簡単だが、その自己認識こそが主観そのもの。
人からそう見られたい・そういうキャラでいきたいという感情。
でも、世の中そんな人ばっかり。
そういう人同士が揉めると、
お互いに「冷静に」「論理的に」とくり返しながら、
歪んだ事実認識をもとに勝手な主観をぶつけ合って不毛な言い合いに終始する。
嘘でもホントでも、一度クチにしてしまった以上は引っ込みがつかないから、
途中で不都合な事実が明らかになっても、なお泥仕合が続けられる。
さらにここに弱者ファシズムや被害者憑依が重なると手に負えない。
「被害者は、深く傷ついているんですよ(なのにどうしておまえは問答無用で必死に謝罪しないんだ)!!」
「(ピュアで繊細で嘘などつくわけがない)被害者の言うこと(が事実でありすべてなのにそれ)を認めないのか!」
というやつ。
もう、議論の前に、事実を確認しようというところから難航する。
あ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜、めんどくさ。
おれ、弁護士なんて絶対できないな、と改めて痛感する。
これが日常で、仕事で、なんてウンザリだ。メンタル豆腐だもん。
この程度のやりとりでもウンザリしているのに、
比較にならないほど深刻な問題や対立や生々しいドロドロを、
証拠の集積と客観的事実と法と判例と法廷戦術と
(あとは法曹界の人脈等々駆使と)で…とてもやってられない。
昔、ちょっとした裁判にかかわったとき、
「裁判官には、相手の不正義や自分の正義をいくら情緒的に訴えてもまったく意味がない」
「有効なものはただ客観的事実、証拠・記録」
と教わったことがあったけど、こういうことなんだな…と改めて理解。
さらにいえば、裁判官の立場なら、
法や判例を根拠に「判決」という形で文字通り「裁ける」わけだが、
裁くわけにも闘うわけにもいかない立場で、
たとえば顧客やスポンサー相手のトラブル対応で間に挟まれて…とかとなると、
さらにツラいだろうなあとしみじみ。
日常的にそれを仕事としている皆さんには頭が下がる。
僕なら2〜3ヶ月で入院だ。
「自分は冷静で客観的で論理的だ」と任ずるひとって、
きまって相手の言い分ちゃんと聞かないのよね。
ひとつ特徴的なのが、人が話してる途中にカブせてくること多め。
そして一端話し出すと長い。ずっと喋ってる。
さらには一度自分で気に入った理屈が思いついちゃうと、
それをゲームで新たに覚えた必殺技よろしく、何度でも使いたがる。
だからループしがち。
実は最近、そういう人とそういう人に挟まれまして、
間を取り持つ役割を果たさざるを得なくなったんですが…実にシンドイ。
だいたい、論理もクソも、自分が気に入らない展開になると、
お気軽に「じゃあ辞めます」って投げちゃえる人同士だし。
あんたたちゃそれでイイかもしれんけどね。
不毛。とにかく不毛。
ストレスでハゲるかと思うくらい不毛。
というわけで。
何をどれくらい言えるかという「知性」アピールもいいですが、
敢えて言わないという『品性』はないんですかと。
言いたいこと言うだけなら誰でもできるんで、
もうちょっと相手の言い分に耳を傾けて、
どうして欲しいのかを汲んで落とし処を探る『理性』はお持ちでないですかと。
何が「論破王」ですかと。
もっとも、こんないわずもがなな投稿をしてしまう私こそ、
品性を欠いているのでしょうけれども。