いぶろぐ

3割打者の凡打率は7割。そんなブログ。

「国籍」は興奮するとこじゃない

2019-01-27 16:28:06 | 超・いぶたろう日記
大坂なおみ、おめでとう!

…それにしてもテレビは相変わらず「日本人初」を強調して、
北海道のおじいちゃんまで引っ張り出して、
また家族の絆だの何だのとやり始めちゃって。
インタビューでも、コメント日本語で言えとかって何様なんですかね。
「なおみ節」って何なのその時代錯誤なキャラ設定。
世界のトップアスリートに対して失礼極まりない。

パンダやタレントなんかと同じような手法で、
下卑た感性で何でも勝手に都合よく商品化して、
テレビなら何してもいいってわけじゃないでしょう。
ほんとダサい。

彼女が日本人「だから」快挙、素晴らしいというのも、てんで違うよね。
国籍なんか関係なく彼女自身の非凡な実力によるものだし、
パワフルなプレイスタイルやが人々を感動させ、
可愛らしいキャラクターが愛されているのであって。
「日本人」かどうかなんて、出る幕ない。

そもそも、日本人なのかアメリカ人なのかハイチ人なのかなんてどうでもいい。
そのどれでもなく、そのどれでもあり、白人でも黒人でも黄色でもない彼女が、
彼女自身のアイデンティティで、世界最高の舞台で活躍していること、
それが素晴らしいのであって。
それはあるべき自然体の世界の在り様、
新たな世界を体現するヒロインだとさえ思うんだけど。

同じ国籍や出身であることをキッカケに応援したり
テニスに興味を持つのは全然いいと思うけど、
テレビが殊更に強調する日本人初とか、
フォーカスすべきはそこじゃないよね。
なんて古臭くて狭量なステレオタイプなんだろ。

テレビってやーね。
でも一向に改まらないところを見ると視聴者の大半がそうだってこと?
もしそうなら、日本ってやーね。

「国籍書くなってことか」
「同胞に共感するのは日本だけじゃない」
なんて反射的で無意味な反論きたらやだから、
蛇足ながら念のため書いておくけど、
「日本人初」と書くことが問題なのではなくて、
そこが話題の中心とか焦点になるような扱い方なら、
それはおかしいという話ね。

別に差別的な意図ではないだろうけど、
あんまりそこばっかりそこを強調すると、
肌の色やら言語やら居住地やらを持ち出して
「純粋な日本人ではない」とか言い出す馬鹿が出てくるわけで、
テレビが直接差別迫害してなくても、
それをやりたがる連中のネタ…てか、エサになってしまうよね。
…まあ、そういうバカはどんな話題でもバカなこと言い出すから
気にし出したらきりがないというのはあるだろうけど。

昨今の自画自賛・夜郎自大的な「日本スゴイ」番組の跋扈を見ると、
落ち目の国ならではのマインドだなと思うし、
それと同じとは言わないまでも似たようなとこあるのかなと邪推しちゃうよね。

いつまでも国籍とか人種とかくだらないところにフォーカスしてないで、
テレビには新たな時代の新たな見方・価値観をリードするくらいであって欲しい。
お手盛りコンテンツを手垢まみれの手法で垂れ流してラクしてちゃダメよね。

内部に軸がない(からなんじゃないの)

2019-01-26 11:11:17 | 超・いぶたろう日記
どうして人は、

「誰も知らない本当のこと」とか、
「あなただけに教える極秘情報」とか、
「水面下で進む裏勢力の陰謀」とか、
「人知を超えた神秘の霊感」とか、
「科学では計り知れない超自然パワー」とか、

いつまで経ってもそういうのに弱いのだろう。

21世紀だぜいま。
大学卒業程度の学識があってもダメなんだから、
学歴とかそういうのは関係ないみたいだ。

情報が多すぎて、判断や決定に疲れて、
「これだけが本当」とか「これしか信じない」みたいな、
ダケシカ信仰に身を委ねるのがきっとラクなんだろうけど、
視野も狭まるし窮屈だし、いざという時には脆いもんだよ。

物事を白黒ハッキリさせるのはとても難しくて、たいていはグラデーションの濃淡。
しかも立場や年齢、相手や場合によってその受け止め方も変わる。
モニター画面や音響のように、感性や思考もその都度柔軟に繊細に調整していくのがいい。
盲信は危うい。最終回答なんかまだ先でいい。
断定なんて出来るだけ少なくした方が自由に生きられる気がするよ(推定)。

漏不満主義

2019-01-24 09:58:47 | 超・いぶたろう日記
森鴎外に始まり、北村透谷を経て、
初期の島崎藤村に到る浪漫主義の青白い炎を魂に宿す僕は
「身も蓋もないこと」を言う人がニガテなのだと気づく。

たとえば僕の業界で言えば、
「塾に高いカネ払って学歴を買っているようなもんだ」
とか、
「第一志望校以外・偏差値60以下には行く意味がない」
とか、
「少子化なのにチマチマ塾なんかやってないで、もっと手軽に稼げる方法が…」
とか、そういう類。

訳知り顔で、なんでもかんでもカネや欲得の話に置き換えて、
それがあたかも人間のすべてを悟った者の証でもあるかのように、
無感動に断定的にものを言う。

でも僕に言わせれば、
そういう人こそ狭隘な視野の中で決めつける気持ち良さに酔い、
安易な理屈に囚われて、人間について見失っている部分の方が多いような気がするよ。

北村透谷読んだことないけど。
島崎藤村は教え子に手を出した人だから到底見倣えないけど。
オチのこういう物言いはどちらかと言えば自然主義だけど。

桜咲いたんだから

2019-01-23 03:00:31 | せんせいとよばれて
次々舞い込む教え子たちの合格報告。
そして僕は「誰の、どこの学校の合格でも思いっきり喜ぶ」主義。
第何志望だろうが、滑り止めだろうが、そこしか受かってなかろうが、
「でかした、よくやった!」と必ず言う。
遠慮がちだった生徒も顔がほころぶのがわかる。

生徒はみんな一生懸命やっている。
合格に「差」なんかない。あり得ない。
模試の会社が勝手に格付けした偏差値なんかで、
学校や合格の価値など計れるもんか、決まってたまるか。

本当の価値は進学後、その学校で何を成すか、
そして卒業時に「ああこの学校へ来てよかったなあ…」と思えたときに決まる。
すべては自分次第。入口での、他人との比較になんか意味はない。

こういったことを、僕のような立場の人間が、
生徒にも保護者にも本気で語ることがとても大事だと僕は信じている。
甘いと言われようが僕の教室はそういうところ。
ウチの生徒たちはみんな頑張っている。
全員どこに出しても恥ずかしくない、自慢の生徒。

自分を信じるには

2019-01-19 02:02:22 | せんせいとよばれて
考えてみりゃ子供にはさ、親でも祖父母でも親戚でも先生でもいいけど、
全面的に信頼してくれて肯定してくれて味方になってくれる存在ってのが、
必要なんじゃないかな。

盲目的に溺愛というのじゃなくてさ。
なんていうんだろ、外部にはものすごく頭下げて守ってくれるのに、
自分と2人になるとちゃんと自分のこと信じてくれてるというか、さ。

思えば僕はそういう母親のもとに育ったし、
恩師や親族、近所に住んでたおじちゃん・おばちゃんにまでも、
そういう情の深い人が多かった。
就職もせず30までバンドなんかやってた僕が、なんとか人の道は外さず、
人並みに食えるように生きて来られたのは、
彼らをガッカリさせたくないという気持ちが強く原動力になっていた気もする。
ある意味での一線、プライドをくれたと言えるかもしれない。

いまは核家族化で、親以外の信頼できる大人と触れ合えることが少なくなって、
あまり人の家に口出しちゃいけないみたいな風潮もあるし、
するといきおい、親ばかりに心理的負担が集中しちゃって、
ツライ思いしている人も多いんじゃないかなあ。

なのに情報だけは山ほど飛び交うから、
親としてアレしなきゃコレしなきゃ、
ソレもできないなんて親失格だ、みたいな虚像ばかりが膨らんで、
肝心の子供自身と本当の意味でしっかり向き合うっていうところには、
意外と余裕が持てなかったりも。親だって忙しいしね。

その意味では、自信を喪っているのは子供というより「親」なのかもしれないね。