いぶろぐ

3割打者の凡打率は7割。そんなブログ。

人生後半の大目標である

2024-05-15 16:26:27 | 超・いぶたろう日記
蛇足ながら、先ほどの投稿に付け加えて。

自分大好き、自分が一番の「無関心保護者」も問題だけれど、
もうひとつ「あなたのために」「よかれと思って」
ハマってしまう「過干渉」「共依存」もまた厄介だ。

どうも、子育てとは
「親が『成功』につながる『正解』のルートを用意してあげること」や、
「できるだけ多くの荷物をあらかじめ親が持たせてあげること」
だと勘違いしている人が多いような気がしている。

「中学受験をしないと負け組になる」だの、
「偏差値○○以下の学校には行く意味がない」だの、
「これからの時代□□をやらせないと…△△スキルを身につけさせて…」だの、
そんなこと言って、塾と習い事で埋め尽くすようなアレ。
子供が全部楽しんでやってれば何も問題ないが、
子供以上に親が必死になっちゃって、
疲れた子供が消化不良起こしちゃってるようなアレ。
常に比較対象の視線でしか見ていなくて、
何かあるとすぐに適応障害だ、発達障害だと騒ぐアレ。

親の考える「正解」なんて所詮は親の価値観でしかないし、
時代も環境も異なる子供にとっても「正解」かどうかなんてわからない。
誰かに言われたとおりに忠実に従って、
手に入れた「成功」なんて脆いもんだがなあ。

それよりは、常に自ら考えて、自分の手で選び、
自分の足で歩むことが大切なんじゃないか。
自分の幸福は自分で決める、
それこそが本当のしなやかに生きる力なんじゃないか。

そりゃあ、子供のうちは未熟だし短慮だし、痛い失敗も多いだろう。
辛い経験もするだろう。
でも、それらがみな自分の主体的な選択の結果なら受け止めることができる。
その後の糧にだってできる。

僕だって誰のいうことも聞かずにやりたいことしかやらなかったし、
時間もイイカゲンだったし、勉強もサボってたし、浪人も留年もした。
マトモに就職もせず、30までバンドやってた。
でも母は(父は不在でした・笑)そんな僕を見捨てもせず、
ずっと信じて見守ってくれていたからいまの僕があるのだと思うし、
振り返って我ながらしょっぱいな、恥ずかしいなと思うことはあれど、
これまでの人生に後悔はないし、自信と誇りを持っている。
なんだかんだ食えているし、家庭も築けた。
自由に生きてきて、他社との比較によらず充分に幸せだ。
きっとこれからも死ぬまで堂々と生きていけるだろう。
そういう自分になれたのは母のおかげだ。
とても感謝している。

だから僕もそういう親になりたい、頑張ってなろうと思っているだけ。

目先の利害・損得・都合・感情・偏見に流されず、子供を信じられる親。

何かあればいつでもきちんと話し合いができ、
僕の用意した答えを無理に押しつけることもせず、
子供に自分で考えさせられる親。

子供の選択や決定を尊重できる親。
それでも、ずっとちゃんと見守っている親。

これもまた親の勝手な価値観と言われてしまえばそこまでだが…。
(そういうひろゆき的な混ぜっ返しは議論のためのエセ議論であって、本質的でないので無視するけど)

いやこれ、メッチャクチャ難しいよ…………。

でも、だからやり甲斐あるよなって話なんだけどね。
それにさ、いくつになっても親子仲良くいられるの、普通に最高じゃん。
僕も来春で五十歳。人生ここからの大目標だな。

「子は親の鏡」は真理

2024-05-15 10:21:01 | パパと呼ばれて〜親バカデレデレ日記
仕事柄、長らく小中学生およびその保護者と接してきて、
さらにここ最近は保育園を通じて、
0歳から5歳くらいまでの子たちとも接してみて、
もう確信に近いんだけど、
「子は親の鏡」はまずまちがいないですね。

どういう保護者あるいは子供がいいとか悪いとか、
そういうことは簡単に言えないけれど、
本当に良くも悪くも子供の人格形成には、
保護者の在り方がまんま反映されている。
単にコピーとかいうことではなく、その反動も含めて。
そりゃ普段から保護者がそういう接し方してればそうなりますよねという感じ。

言葉遣いに表れる品性や思いやり、行動に表れる理性や自制心、そして主体性。
それらが自覚はされていなくとも躾や習慣として身についていたりなど。
乱暴な言葉遣いをする子供の後ろには、
必ずそういう言葉を遣っている保護者がいるし、
乱暴な行いをする子供の後ろには、
必ずそれらを看過している保護者の無関心がある。

なぜこんな素敵な保護者からこんな乱暴な子供が?
…ということはまずないし、
(あったらそれは子供の幼さか照れ隠し、あるいは保護者の外面の巧みさ)
一方でやはりこの保護者あってのあの子供なのだな…と、
深く納得させられることもよくある。

逆に問題を抱えた子供の保護者に会って話してみるとほぼ100%原因がわかる。
悲しいことに当の保護者は、
自分が原因であることに無自覚である場合がほとんどだけれど、
その伝え方は難しいし、伝えたところでおそらく理解されない。
本人は「お金をかけて」「子供のために」色々やって来たつもりでいる。
あるいは「本人のやりたいように/自覚に任せて」いる体で、
実は自身のこと(仕事・趣味・推し活・美容……)に夢中になっているだけ。
子供には無関心。

そのくせ、成績やら進学にはことさらに過敏で神経質。
過程も見ず、事情も聞かずに、成績だけを見てケチを付ける。
「大人の世界ではな、結果がすべてで…」なんてエラそうに、
効果もタイミングも弁えず説教しちゃう。
もちろん子供は聞いていない。
二言目には「やる気がないならヤメロ」なんて言い出す。
子供の側も売り言葉に買い言葉、
拗れに拗れて誰もが望まない泥沼方面へ…なんてこともよくある。

愛情の反対は憎悪ではなく、無関心だという。
愛している者に裏切られれば簡単に憎悪にひっくり返る。
憎悪していたはずの者から親切にされると容易に好意に変わる。
だけど無関心ばかりは変わりようがない。
「どうでもいい」のだから。

成績や進学先への関心は子供自体への関心じゃない。
スゴイ成績・スゴイ進学を果たしたスゴイ子供の親でいたいだけ。
結局は親の見栄。
子供がどんな気持ちでどんな表情でそれをやっているか、向かい合おうともしない。
そんなことは「どうでもいい」。
求めているのは輝かしい「結果」であって、地道な「過程」はどうでもいい。
課金して済むならいくらでも。
ほうらこれが親の愛。
きっと将来感謝することになるのだから、
いま苦しいとかツライとか、そんなことは「どうでもいい」。

「どうでもいい」扱いを受けた子供に自己肯定感など育ちようがない。
運に恵まれず、望んだ結果が得られなければ、親も自分も自己否定する。
行き着く果ては、自分を粗末に扱うようになってしまう。

子供が自分の思うとおりにならないからと言って、
何らかの大義名分を振りかざしながら
「誰に喰わせて貰ってるんだ」なんて、
前時代的な台詞を恥ずかしげもなく口にする親にはなりたくないなあ。
そんなこと言われたら
「頼んで産んで貰ったわけじゃねえや」って、
そりゃあ言うよ。

子供もまた、保護者が思うとおりにならないから反抗するんだろうけれど、
そこに行き着くまでには何らかの必然的な過程があったはず。
反抗期だから、なんて定型句でごまかしている内は解決は望めない。
あるときまではラクに通った要求が、なぜか条件付きになり、
あるいは保護者の気分次第になり…と、
保護者の側に有利な予告なしの一方的条件変更があったはず。
成長した子供の側が、保護者のそんな恣意的な面に気づき、
その理不尽さを訴えていると理解すべきだろう。

子供のいまの姿は、すべてこれまでの大人達の接し方の蓄積。
保護者の占める割合が圧倒的に高いのは否定できない事実。
子供を責めるばかりでなく、まずは自省すべきだし、
その上で子供の声に耳を傾けてみることが必要だろう。
「そんなこと、言うのは簡単だけどできっこない」
なんて言うのは既にコツコツと長年かけるべき関係構築に失敗しているから。
すべての親子に対して決めつけるようなつもりはまったくないけれど、
そう思わずにいられない事例は数え切れないくらいある。

理想論だと笑わば笑え、有言実行あるのみ。
頑張ろう、パパ業。
いまのうちから、日々の細かなひとつひとつが勝負だな、と思う。

「塾の先生」になって

2024-04-05 05:16:56 | せんせいとよばれて
なんと今年で22年度目ですよ。
前職で11年務めて、独立してから11期目なので、ちょうど半々になる。
中日の涌井より長いよ。ヤクルト石川や西武中村には1年負けるか。
バンド活動の傍ら、とりあえず、キライじゃない仕事で食いつなぐか…
なんて思いながら気軽にバイト始めたのが、まさかこんなに続くとは。
あまつさえ独立して自分の教室まで構えていようとは。

「人生は第二希望でうまく行く」

そんな言葉をどこかで聴いたことがある。
大谷翔平や藤井聡太にあきらめざるを得なかった第一希望があるとは思えないが、
古くは馬場が(ホントに古いな!)巨人の投手だったのが、
風呂場での転倒事故をきっかけにプロレス入り。
猪木も移住先のブラジルで陸上選手だったのが、
そこで力道山にスカウトされ…と、それなりの説得力も感じられなくもない。

そういや、大むかし僕は関西在住で、灘が第一志望ということになっていた。
けれど、それは親父がそう言ったからであって、
僕の心はとうに、近所のとある大恩人のおかげで、120%麻布だった。
麻布に合格をもらった瞬間、もう東京に引っ越す気満々で、
ウキウキ荷造りなんか始めちゃってたし、
その後(当時は麻布が2月、灘は3月だった)の受験勉強にはまったく身が入らず、
灘は見事に落ちた。
それを完全に見越していた塾の恩師は、教室の空気を弛ませる僕を、
麻布合格のその日に「退塾」にしたが、慧眼だったとしか言いようがない(笑)。

考えてみれば、大袈裟ではなく僕の人生の転機は「塾」にあった。
窮屈な小学校に屈託していた僕を、
自由で寛容な最高にフィットした中高に送り出し、
大袈裟ではなく人生を啓いてくれたのは塾だった。
僕の塾講師としての原点はまさにここで、
「公立小中学校の、管理ありきで理不尽な環境にアジャストできずに苦しんでいる子に、環境さえ変えればいくらでも世界は開けることを教え、後押ししたい」
という思いはずっと変わらない。

ただ、始めたときはまさかこんなに続くなんて思ってもみなかった。
自分はメジャーなアーティストになるんだからと、
無理に自分に思いこませていたようなところもあった。
むしろそれを真面目なカタギ暮らしができないことの言い訳にして、
三十までは本当に無責任に好き勝手に生きていた。
そうなることを完全に見越していた大学時代の彼女は、
卒業とともに僕を「整理」したが、これまた慧眼だったと言うほかない(笑)。

そんな僕だけれど、塾の仕事は始めてみると実に楽しくて、真面目に勤めた。
もともと教育には興味があったし、子供の相手をするのも好きだった。
世話焼きで、子供を喜ばせるのが好きで、
子供と一緒になって大人の文句を言うのも好きで、
大人の振りかざす「あたりまえ」が嫌いで、それでいて妙に一本気だったりもして。

仕事が仕事に思えないほどに楽しく、生徒も保護者も喜んでくれてやりがいがあった。
ちょうどその頃、バンドではおよそ褒められる・認められるようなことがなくなり、
もう何かというと貶されてばかりだったので、モチベーションは逆転。
30歳を機に正式に転職を決める。
のちにいわゆる「会社の会社たる所以」に辟易して離職はするが、
現場のやりがいとはまったく別のこと。
なんせ飽きっぽいことでは人後に落ちない僕が、こんなに長く続けられているのだ。21年だ。バンドですら7年半で瓦解したというのに。

してみると、実は第二希望なんかではなかったのかもしれぬ、と思い至る。

第一希望はバンドでの成功…かのように「思いこんでいた」だけで、
自分でも気づかなかったけれど、実は自分の適性だとか得手不得手もコミで考えると、
こちらが真の第一希望だったのかもしれないという気さえしてくる。
自分で自分自身を見誤っていたのだろう。
実力や人気がということ以上に、自分が本当にそれを好きなのかどうかという点を。

人生はわからないもんだ。
結婚だって子供だって、自分には向いていないと思いこんでいた。
極めて平凡な、ごくあたりまえにある幸福が、
自分にとってこんなにも大切なものだなんて、まったく想像していなかった。

つくづく、自分を一番知るものは、いまの自分ではないのだなあ。
かといって誰に聞けばいいのかもわからないが。
「士は己を知るもののために死す」というが、
それだけ自分の適性を見抜いてくれる存在は貴重だということか。

いずれにせよ、数年あるいは数十年経てば、
自身でもしみじみと実感できるときが来るのよね。
あれは正解だった、これは誤りだった、
今さら何を言ってももう遅いけど、という時期になって。ああ人生。

幸いにも、なんとなく正解だったかな?と振り返れる程度には、
充実した塾講師人生だったと思う。
加えて最近で、良い意味で肩の力が抜けてきた感じもする。
かつては教え子たちに思い入れが強くて、よく言えば熱量高めの、
悪く言えば肩入れしすぎて独善的な傾向があったようにも思う。

昨年春に送り出した卒業生たちは傑物揃いで、
小4からずっと可愛がってきた、とても思い入れのある代だった。
才気にあふれ、慕ってもくれる彼らの目標を叶えたいと、
僕も全身全霊で取り組んだし、彼らも十二分に応えてくれた。
そして僕の教室史上最強といってもいいくらいの実績も出た。
そんな彼らを送り出したあと、燃え尽きたような感覚もありつつ、
それでもいつもと同じ春を迎えて、ふっと力が抜けた気がする。

別にその後の生徒たちがどうでもよくなったわけではなくて。
過程についても結果についても、ようやくフラットに受け止められるようになった。
変に他人に期待しすぎる悪い癖が抜けた。
期待なんてものは自分勝手なもので、百害あって一利なしだ。
それを表に出すまいと、いままではフラットにしなきゃしなきゃと、
意識して抑え込んでいたような感じがあった。
年齢のせいか、キャリアのせいかわからないけど、
自然と落ち着けたような境地にいま、僕はいる。

やはり、ベストよりもベター、
第一志望ではなく第二志望くらいの気の持ちようがいいのかもしれぬ。
力みまくって、期待して、落胆して、歯を食いしばって立ち上がって…
それもまた人間くさい熱量に溢れていて悪くはないけれど、
来年五十になる僕が、二十代・三十代の頃と同じ方法論でいいはずはない。

…なんて言いながら、ふと気がつくとまた入れ込んで熱くなっているのだろうなあ。
身に染みついたものはそう簡単に変わらないし、
自分で言うほど自分は自分をわかっちゃいない。
結局変わらずに、喜怒哀楽のわかりやすい、
「教師のガラじゃ〜ない〜、カネ〜のためだ〜と言いながら〜、子供相手に〜人の道〜、人生などを説く〜男」として、
一言も二言も多い塾講師のままかもしれない。
あっさりと辞めて、まったく別のことを始めてたりして。

よくコンサル的な文脈で「10年後の自分を思い描く」的なことがいわれるが、
僕はそれが何ひとつ当たったことがない。
生まれてこの方、まさかまさかの連続。
10年先などわかるわけないし、
当たり外れ以外の副次的な効果とされるものも含めて、
そんなこと考えるだけ無駄だとさえ思う。
むしろ先の読めない人生だったことを誇りに思うくらいだ。

大谷翔平の未来予想ツリーなんかも、案の定もてはやされているけれど、
稀に見る大成功者の手法を後付け気味に猿真似したって、
自己満足以外には何も得られない。
むしろ凡人は失敗に学ぶべきで、その点僕は反面教師たちのおかげで、
たとえば犯罪やら薬物やらといった、決定的に道を踏み外すようなことはなかった。

ベストでなくとも、その時々のベターの積み重ねでいい。
取り返しのつかないような、ワーストにさえならなければいい。
それくらいの気の持ちようがいい。
子供たちにもそう教えてやりたいと思う。

さて、僕の10年後は。
元気に家族と仲良く生きていられさえすれば、それで充分だけどね。
ベターな健康への小さな努力の積み重ね、これを目標にしようかな。


パインアメ

2024-04-04 10:11:48 | 超・いぶたろう日記
この時期は様々な卒業生が教室を連日訪ねてくれる。
進路が決まった、進級した、懐かしい顔に毎日会えるのは嬉しい。
何より教室をいつまでも懐かしんでくれるのがまた嬉しい。

今日来た卒業生は、タイガースファンの僕に手土産でこれを持ってきてくれた。



(あ、息子の1歳の時の写真が写り込んじゃった…でももう3年経つしボカさなくていっか、カワイイからこのまま見せびらかしちゃおう)

岡田監督で話題になってたのはもちろん知ってはいたが、
クチにしたのは…何年ぶりだろう、思い出せないくらい昔だ。
たぶん小学校低学年くらいじゃないか。

というわけで、実に40年ぶりに食べてみる…う、う、うま〜い…!!!
こんなにも美味かったのか、パインアメ。
こりゃ岡田監督じゃなくともクセになるよ。

大好きだったチェルシーを喪い、途方に暮れていた私に、
意外なところから一筋の光明が差した思い。
今年は開幕から虎もいまいちパッとしないけど、これ食って応援しよ!

兄妹ホントに仲良くて

2024-03-31 21:01:23 | パパと呼ばれて〜親バカデレデレ日記
父は嬉しい。
我が家では悪さをすると「鬼が来る」ことになっているのだが、
妹が悪さして鬼から電話がかかってくる(アプリがあるのだ!)と、
なんと兄が涙ながらに許しを乞うではないか。

「僕は妹ちゃんが大好きだから!お願い!鬼に渡さないでー!!」
叱るのも忘れてこちらが思わず貰ってしまいそうになるわ(笑)。
でも妹はキョトンとしてたりして。



根津神社にて。
母「登ったらダメだよ〜」
兄妹「なんで〜?」
父「こまいぬは鬼が来たときにやっつけてくれるんだよ、失礼のないようあいさつしておきなね」
妹「…こんにちわ〜」
兄「ぱぱ、じゃあさ、鬼が来たときのために、写真撮って〜♡」
…からの一枚。平和じゃ。

2歳と4歳、ちょうどいい感じの年齢差だね。
兄が妹の世話を焼きつつ、一緒になって遊んでる。
妹も兄が大好きで、ついて歩いてはやることなすこと全部マネしてる。
和むなぁ。
まあ、10年経ったらわからんけどね……。

ヤバかった…

2024-03-26 02:40:23 | 超・いぶたろう日記
たったいま、深夜2時半。
湾岸道路で帰宅中の僕のクルマの目の前で、いきなり事故。
直進が青信号なのに、いきなり交差道路から、
信号無視と思われる暴走車がスゴイ勢いで前のクルマに横から激突。
僕は100メートルくらい後ろを走ってたから、余裕もって安全に停まれて、
クルマも僕も被害なしで済んだけど、あと数秒早く通過してたら巻き添え食ってた。
あの勢いで右からだから、運転席直撃なら死んでたかもなー。

マジで危なかった…
あんなの回避しようがないよ。
何かが守ってくれたとしか思えないな。
交差点は2台の車の破片が散らばってて、大変な状況。
明日もあるので、悪いけどすり抜けてサッサと帰ってきちゃった。
こんなハンパない交通量の交差点、しばらく機能しないんじゃないかな…

ともかく、助かった。
わしゃいま死ぬわけにはいかないんじゃー!

行くぞ9番

2024-03-10 16:52:20 | 超・いぶたろう日記
久々に『太陽を盗んだ男』を観た。
いやー何度見てもものすごい熱量。
全盛期のジュリーはあんな自堕落な役やっててもカッコいいし、
二十歳の池上季実子は美しく魅力的だし、
画面一杯に映し出される昭和五十四年の街並みはノスタルジーをくすぐる。

でも何より驚いたのは四十六歳の菅原文太
と…歳下じゃないか……………

あんまり忙しくて

2024-03-08 11:49:10 | 超・いぶたろう日記
ここ最近は投稿もめっきり少なくなっていた私。
毎年11月から3月上旬までは最繁忙期で、仕事以外は何もできないような感じ。
それでも若い頃はなんやかや文字にしてたけれど、最近はそんな体力もなく。

で、今日は久しぶりにあれこれ書いているわけなんですが、
要は新年度が開講して一週間して、ちょっと仕事が落ち着いたと思ったら、
今日一気に体調崩したわけです。
熱出してフラフラしてます

正月こそ息子からインフルもらったけど、ずっと元気だったのになあ。
1週間ほど前から花粉症がひどくなって、睡眠中に口呼吸になっていたせいか、
舌炎とか口内炎が次々にできて、かなりシンドイ咳がずっと続いてる。
一応マスクはしたけれど、熱は全然ないし、肩こりだとか腰痛はいつものことだし、
3/1の開講から普通に勤務していたのですよ。

それが、今朝、爆発。
起き抜けから猛烈な寒気に襲われ、ガクガク震えが止まらない。
体温を測るとなぜか平熱。
でも、首やら肩やら背中やら、体の節々の痛みが尋常じゃない。
果たして、お昼前には39度近く発熱。
クラクラしてきたので、教室に連絡とって仕事はお休み。
2時頃また体温測ったら37度台。なんだこれ。

午後診療に合わせて診断を受けに行こうと思っているけれど。
まーおそらく、一気に噴き出しちゃったんだろうなあ…。
4ヶ月間毎週締切抱えて、怒濤の仕事ラッシュに睡眠不足で、
コーヒー飲んで朝から晩まで仕事して。
帰宅はだいたい深夜2時3時に。朝は保育園の送りもやって、午前中からまた仕事。

なのに、2月はなぜか疲れ知らず。ずっと妙に元気だったんだよね。
あれがエンドルフィンだかドーパミンだか、いわゆる脳内麻薬だったんだろうなあ…。
アンフェタミンと一緒。元気の前借り。
新年度が無事開講して、気がゆるんで、効果が切れた…かな。

今年は正月早々のインフルに、新年度開講1週目でまたダウン。
おおよそ、仕事を休むことなんて、それこそギックリ腰で動けなくなったり、
コロナで隔離されたりでもなきゃなかったのに。

まあ、そりゃあ、歳、よね………。

もう若くはないどころじゃない。来年五十だ、立派なジジイだ。
体を労って働けるようにしたいけれど、小さな所帯の哀しさよね。
あ〜誰かに捨て扶持貰って隠居したい。息子!頼んだぞ!

中身のないプライドが高い割に

2024-03-07 09:44:25 | 超・いぶたろう日記
それに見合った評価は得られず、腐っている人の話。
なぜそうなるかは簡単なことで、自分はできると過信しているから。
畢竟、さまざまな確認や連絡を怠り、トラブルを呼ぶ。
自分の能力を過大評価しているから、決められた手順やルールを軽んじる。
だからミスがなくならない。
なのに、本人的には「大したことのないミス」らしく、同じことを繰り返す。
何なら、自分はこういうタイプですよね等と笑いながら自分語り。
笑えないよ、こっちはまったく笑えない。

ミスが発覚して指摘されると、くだらない言い訳をぐだぐだやって、
まずプライドを守る、保身を図る。
本人曰く「報告」のつもりで。アホか。
顧客トラブルの場合、まず守るべきは組織であって、
お前個人のちっぽけな自尊心じゃない。

まず謝罪だろ?
チームで対応しなきゃならないんだから、理由はどうあれ、
必然的にほかのメンバーの仕事を余計に増やしているのは事実。
なら、気持ちよくみんながリカバーしてくれるようにすべき。
ふて腐れてる場合じゃないし、責任の所在だの処分だの後回しでいい。

まず最初に「すみません」。
子供にはそう叱るくせに、いい歳こいてこれができない人が多い。
1秒で済むのに。
まあ、むしろいい歳こいてるからだろうな。

2秒経ったら、次は応急対応。
事実だけを簡潔に報告して、どうすべきかを考えて、わからなければ指示を待つ。
そして指示があればすぐ動く。簡単なこと。

「報告と言い訳の違いがわからない」
アホか?
客観的事実ベースか、主観ベースかというだけよ。
「まったくの主観を交えない客観なんて無理だと思うのですが」
アホだな!

とりあえず急いで謝罪してといっても、早くてその日の夜。
遅ければ翌日あたり。それも、
「謝罪は電話がいいでしょうか、メールがいいでしょうか」
とくる。
しょーもないことにこだわって「確認」をしてくる。お前何歳だよ。

初動がひと通り終わったら、状況をつぶさに確認して、
次の一手と再発防止策と、必要に応じて処分を考える。
ただそれは責任者の仕事。
本人は頭がイイつもりで、自分の謝罪もそこそこに、そんな話題を振ってくる。
ひと足跳びに勝手にそこまで考えて、余計なクチきかれるとカチンとくる。
得意げに小賢しげに、
「こういうときの大手企業の常識的対応」
だの、再発防止のための
「僕の考えたさいきょうのメンドクサイ改善」
なんかを開陳されると、いい加減原子炉にでも突き落としてやりたくなる。

ホント、狭い世界で天狗になってるようなのは、ダメだね。
ま、一般論ですけどね。たぶんね🤔


49歳になりました。

2024-02-06 01:38:06 | 超・いぶたろう日記
いつの間にやら49歳。40代も終わってしまう。
別に若さにしがみつきたいわけではないけれど、
人生折り返し過ぎました感がすごい。
来年50歳なんて信じられないよ。
…などと溜息つきながら、珍しい大雪の中を家まで帰ってきたら、
息子と娘が玄関に飛び出してきて、競うようにバースデーカードをくれました。


もう、全然、いいじゃんこれで。最高じゃない。

若い頃にでっかいでっかい夢を見ていた割に、
現在のわたくしはといえば、ちっこいしがない塾屋であり、
どこにでもいるようなタダの父親でございます。

でも、ささやかながらも自分の理想を形にできた教室は今年で10周年。
慕ってくれる教え子たちと一緒に愉しみながら夢を追う、
何とも味わい深い仕事を生業に、
あんまりお金はないけれどいつも仲良く笑いの絶えない家庭を築くこともでき、
もう十二分に幸せです。
若い頃にはまったく想像もできなかった凡庸でありきたりな、
でも何ものにも代え難い幸福の境地です。

人生、わかんないもんです。
孤高のアウトロー気取りの20代が、
怒濤のサイズアウト続きの40代になり。
一〇八の煩悩にまんべんなくどっぷりだった私が、
二歳と四歳の子煩悩に際限なくベッタリとなり。

気づけば嗚呼49歳。
これが自分の年齢だなんて、頭じゃわかっちゃいるけど悪い冗談だわ。
肉体はとうに老いているけれど、精神の熟成が追いつかない。
若さを気取るわけじゃないけれど、
どうにも迂闊で粗忽で理屈っぽくて面倒くさがりでお人好しで文句言いで、
中身は昔のまんま。イヤになっちゃう。

でも、息子がパパ大好き♡なんで、ぜんっぜんOKですけどね。


来年はいよいよ50歳。まあどうしましょう。
50歳つったらあれよ、教頭先生くらいよ。
省みてわたくし、威厳も落ち着きも人徳も何もあったもんじゃない。
名声や財産らしきものもとんと縁がない。
さみしいわ〜。

でも、娘がパパ大好き♡なんで、まるっきりオーライですけどね。


てなわけで、仕事してるか子供と遊んでるかの毎日ですが、
皆さんよろしければまたそのうちご一緒しましょう。
お気軽にお声がけくださいましな。子供連れていっちゃうかも。
よろ!