いぶろぐ

3割打者の凡打率は7割。そんなブログ。

It's none of your business.

2019-12-31 23:41:33 | パパと呼ばれて〜親バカデレデレ日記


今年もまもなくおしまい。
何と言っても自分が親になるという、我が人生最大のエポックメイキングな一年。
これほどまで劇的に価値観を新たにしたことはなかったなー。
44歳と人より周回遅れのパパデビューだけど、実に愉しいね。
むしろ完全個人主義、ワガママ放題だった若い頃ではなく、
この年齢になったからこそ、こんなに自然体で向き合えるのかもしれない。
そう考えるとこのタイミングすら天の配剤に思えてくる。
あるがままを受け容れて、目の前のものを大切にして生きていこう。

ところでデビューしてみてわかったんだけど、
子育て界って、あれはダメこれはダメそれ手抜きどれ本当?って感じだね。
たまにみんなどんな子育てしてるんだろうと検索すると、
育児に疲れた母と思しき方のTwitterとかブログとかヒットして、
一見しただけでも、もうなんか闇しかなくて気の毒よね。
みんな不安でたまんないんだろうなあ。
いまやその気持ちもわかるわ。
成果を保証してくれる「正解」と、全肯定してくれる「味方」、欲しいよなあ。

子育てに限らず、僕のポリシーは
「他人のやり方にはクチ出さないから、おれも自由にさせてくれ」
なので、参考程度に色々聴かせてもらうだけ。
明らかな虐待でもなければ静観だけどね。

しかしあの、世のママたちの多くが嘆く、無責任な他人からの
「…するのは手抜き、親の愛情が伝わらない、私なんか…昔は…ドヤドヤ」
的な批判って、イヤらしいのばっかだね。
だいたい小さい子を抱えたママに無神経な言い方で文句つけるのって、

1)子育て離れた年寄り
2)すんごい神経質な現役ママ
3)たいして子育てに関わってこなかったオヤジ
4)子供に無縁な独身男性
のどれかなのかなーという印象。

つまり、類型化すると、
「自分と同等の苦労を他人にも味わわせないと気が済まない」
「ラクしてる(ように見える)ヤツを叩かないと自分の苦労を正当化できない」
あるいは
「そもそもナマの苦労を知らないので、独善的な理想論でカッコつけたい」
という感じになる。

いやー、どいつもこいつもちっちゃいですねー。
顕微鏡ないと見えないわー。

とすると、そんな人たちの言うことなんて、聞いてやる価値すらないのよね。
まあ、僕はどこで何言われようと平気だし、
いくらでも切り返して憎まれ口聞いてコテンパンにしてやりますけど。
僕みたいに図々しくない嫁は、
街中で意地の悪ーい人が因縁つけてくるヤ~ナ例を見聞きしちゃって、
誰かに何か言われたらどうしよう…と不安みたい。

でもねー。
子育てに唯一の正解なんかないんだよね。
いろんな子供が居るんだし。
いろんな親がいろんな育て方していいと思うんだよなー。
自分の経験だけをタテにああしろこうしろなんて、余計なお世話だよね。

すべての早期教育はただの商売だし、
占いも宗教もスピリチュアルもただのデタラメな寝言だし、
オーガニックだなんだも科学的根拠のない親の自己満足でしかない。
だいたい人の子にケチつける奴なんか、ただのマウント。
どんなに偉そうなこと言ったって、子供はなるようにしかならない。

「親の思うとおりの型に都合良く子供を嵌める方法」なんか、知りたい?
僕はやだね。
だって僕が子供のとき、そういうの一番イヤだったもん。
親の思う通りに従順で多才で万能で純粋無垢で無菌培養なんて夢物語。
すべては恐ろしいまでの親のエゴでしかない。
子供に押しつける前に、まず素材たる自分を見返してみろってのな。

とにかく健康だけ気をつけてやって、あとは思いきりかわいがる。
シンプルにそれでいいじゃない。
あんまりはりきって特別な条件揃えすぎると、
耐性のないひ弱な子供になるだけだよ。
何より、親があれこれ疲れてメンタルの余裕失うのが一番まずい。
手抜きに見えたって、それで成り立ってる部分もあるんだし、
事情も知らずに他人が無責任に口挟むような問題じゃないんだよね。
縄文時代でさえ、赤ん坊は育った(生存率は低いけど)。
親もまた人間、できることできないことあらーな。
開き直っていきましょう。

少なくともウチに関しては、父母が赤ん坊奪い合うかのように世話して、
ずーっとニコニコデレデレしてるよーな家庭だから、
子供にとってもそう悪い家庭ではないはず。
他人にごちゃごちゃ言われる筋合いないね。無視無視。
何もかも完璧にやれるほど人間できてないし、お金もそんなないけど、
親族友人含め愛情は溢れるほどに有り余ってる。
だから何にも不安なんかないね。

街の意地悪な自称教育評論家(だいたい本人は不幸そう)の皆さんに出遭っても、
「親子3人仲良くやってますんでお構いなくー!」
の一言でオシマイだね。はは。

てなわけで、四十も半ばを迎えようというワタクシですが、
人の親になったというのに相も変わらぬ反骨一言居士ぶりでございます。
もうどこのどなたがご覧になっているやら見当もつきませんが、
皆様よいお年をお迎えくださいませ。
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何気なくつかんだパスタが100gピッタシ

2019-12-30 16:41:21 | 超・いぶたろう日記
しかも二回連続でとなればひょっとしておれはその道でもいやいやおれにはもう赤ん坊がいるしそんなわけにもしかし男の夢というのはだな
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44年目の初クリスマス

2019-12-24 20:03:26 | パパと呼ばれて〜親バカデレデレ日記


ふと気づくと極めてナチュラルに「親子連れ」になっている自分が新鮮だ。
ベビーカーを手回ししたり、チャイルドシートに載せ替えたり、
持参した水筒のお湯でミルクつくって飲ませたり、
赤ん坊抱っこしながらクリスマスディナーなんて、
いちいち手間暇かかってしようがない、しかしそのどれもが楽しくて仕方ない。

自分のことしか考えなかった15年前はこんなこと、まったく想像だにしなかった。
赤ちゃん連れを傍目に見て、大変そうだなあとしか感じていなかった。
僕はといえば自分のことで精一杯、家族なんてとても責任負えないし、
たぶん生涯独身で親にもならずに終わるのだろうと思ってた。
その方が自由だし勝手気ままだし…なんて気取ってた。

バンドやめて、カッコつけなくてよくなって、仕事頑張って、
そこから紆余曲折あって、歳とって、
目の前のものを大切にし続けてきたら、ここにたどり着けた。
そうなってみないとわからないものは確かにある。
いまなら素直にそう理解できる。

自由にはいまでも何より価値を置いているし、
年甲斐もなく青臭い反骨精神だって肌身離さず持ち歩いている。
けれど自由とはどことも繋がらない浮草のような漂泊とは違う。
自ら望んで根を下ろし、守りたくなるものがある。
自ら望んで果たしたくなる責任というものだってある。

自由でありたいと願うのはあくまでも魂の在り様であり、
いまあるがままを肯定的に受け容れるかどうかという心の持ち様でもある。
畢竟、それは「幸福」の自覚とも通底する。

他人より1周も2周も遅れた人生だけど、
僕みたいな我慢のきかないワガママ人間が、よもやこんな境地に達しようとは。
不惑とはこういうことか。
まったく人生は奥深い。

まだまだ思いもしなかったこと、知らなかったことがこの先待っているのだろうか。
15年後、中3になる息子と共に、
還暦の僕はこの記事をどんな思いで見返すのだろうか。

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知的謙虚のすすめ

2019-12-13 11:03:10 | せんせいとよばれて
僕は一介の塾講師に過ぎなくて、
知識も教養も大したことはないんだけれど、
そんな僕だからこそ、子供たちに明らかに間違ったことを教えたり、
自分の勘違いや固定観念を押しつけたりしないように、とても気をつけている。

方法はいたってシンプル。
事前に確認し、諸説あれば諸説あると伝える。
こうだと決めつけるよりも、多角的なものの見方や様々な可能性について、
自分で考える姿勢を伝えられた方が有益だからだ。

そしてすべてを教えようとしない。
学問的に明らかに答がひとつに絞られるものを除いては、あとは自分でも色々調べて考えて欲しいと投げることも多い。
僕のことも本当かなあと疑うくらいでちょうどいい、とも。

僕は自他共に認める勉強嫌いで、自分の学力的限界もよく自覚している。
アタマの良し悪しはわからないけれど、少なくとも「学ぶ力」は大したことない。
とにかく面倒くさがりだからねー。
でもそんな自覚が「適度に教える」立場としては奏功しているような気がする。

なんでもわかってる、なんでも知っているというような思い上がりは、
たいていロクなことにならない。
知的自信過剰とも呼ぶべき人が、先生としては実に不人気なのもよく知っている。
生徒からしたら自慢とイヤミでマウントされ続けるからだろうなあ。

畏友の言動に触れるにつけ思うことだが、
本物の知性は実に謙虚で余裕があるものだなあと感嘆する。
彼らのおかげで「知」を観る目も自然と養われる。
中途半端に知性を気取って、何でも簡単に断じてしまう人は、
結局他人を見下したり自分の優位性をアピールしたいだけだったりする。
その薄っぺらさや乱暴ぶりが相対的に浮き彫りになる。

自分の頭でちゃんとものを考えたり、
人と本気で議論したりといったことをせずに歳を重ねると、
実に厄介なパワハラ中年や老害になる。
あるいは似非科学やスピリチュアル方面にストンとハマったりもする。
それが同年代だったり旧知の人物だったりすると無性に哀しくなる。

本当の意味で謙虚に学ばなければ、同じ論法や思考パターンにこだわり、
自分に都合のいい情報にしか触れようとせず、どんどん硬直してゆくのみ。
アップデートを怠って、凝り固まった思い込みに囚われ、
根拠のない「常識」を当たり前のごとく振りかざし、
無思慮・無節操にマウントを仕掛け、言いたいことだけ言い逃げする。
そんなのはとても「議論」の名には値しないし、カッコ悪いことだ。

そのカッコ悪さをよく見て反面教師としよう。
もっとしなやかになれるように、
もっと上手に子供たちに伝えられるように、僕はまだまだ学んでいこう。
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今年の漢字

2019-12-12 11:59:39 | 超・いぶたろう日記
まあ、こんなもん真に受けてもしょうがないのはわかっちゃいるんですが…。
今年の漢字が「令」次点が「新」お次が「和」って…アホですかアホですねアホですよ。
どう考えても「嘘」「隠」あたりしかないと思うんだが。

百歩譲っても「災」、もう使ったってんなら「禍」か「厄」。
「虚」とか「飾」でもいいな。あらゆる意味でね。

6位が「嵐」に至っては、何それ台風とかけてるつもりなの
やっぱりアホですなアホですわもう間違いないっすわ。

そんなんだからあんなアホ政権を7年ものさばらしてるんだろ。
この際「衰」がいいんじゃないか。
人口、国力、経済力、技術力、文化、知恵、教養、
思考力、判断力、表現力、すべてが「衰」。
どうせ来年は「輪」でしょ。アホめ。
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神ならぬ身

2019-12-05 10:57:31 | 超・いぶたろう日記
亡くなられた中村医師について、
「神様のような」と形容するテレビのコメントに出合う。
もちろん、私利私欲ではなく
多くの人々を救ったということの比喩であるのは理解している。

彼の偉大な足跡や高潔な人格は誰もが認めるところだろうし、
僕などに何が言えるわけでもないのだが、
それでも彼を安易に「神様」に祭り上げてしまうのは良くない。

「神」を崇める俗人が次に何を始めるかといえば「聖戦」だからだ。

あくまでもひとりの人間としての彼の思いを丁寧に汲み、
遺志を継ぐにはどうすべきか、彼が生きていたら何と言うかを考えていくべき。
これをタネに9条がどうのと言い出すなど牽強付会が過ぎるし、
故人への冒涜だと思う。
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