今日は亡き祖父の7回忌。
早いものでもう6年も経つ。
浜松でお墓参りと親族での食事会。
僕は物心ついた頃から、おじいちゃん・おばあちゃん子だった。
僕の祖父母は本当に優しく、温かく、
ものすごく大きな愛情で僕らを包み込んでくれた。
いま祖父母との時間を思い出しても、心がほかほかする思い出ばかりだ。
身体も丈夫で、いつも元気な祖父だったが、
ちょうど僕が結婚した年の、式の直後に亡くなったのだった。
その数年前に脳梗塞を患い、色々と不自由な思いもしていたが、
最期は最愛の祖母や娘たちに見守られての大往生だった。
本当に残念なことに僕は仕事の都合でろくにお見舞いにも行けず、
その場に居合わせることができなかったのだ。
どうも具合が良くないらしいという知らせは受けていたのに、
繁忙にかまけて、
あんなにも可愛がってくれた祖父の臨終に立ち会えなかった。
この時の後悔はとても大きく、これ以来僕は身内に何かがあれば、
ほかの何をおいても駆けつけるようにしている。
また自分の職場を立ち上げてからは、
職員にも身内に何かあったときは遠慮なく休暇をとるように伝えている。
小さな職場で人繰りは簡単ではないけれど、
誰にでも起こりうる、苦しいときはお互い様。
みんなの気持ちひとつで、なんとかできないことはないのだ。
今回は朝から新幹線の日帰り、
それも繁忙期で、前日も深夜2時頃まで仕事をしていたとあって
なかなかの強行軍ではあったが、新幹線だ。ラクチンだ。
やってみればなんてこたー、ないのだ。
齢90を数える心優しい愛すべき祖母の、孫・子が一同に揃って、
とても嬉しそうにしている姿を目にして、本当に良かったと思った。
清々しいまでの秋晴れ、小春日和の命日。
わずか7時間の滞在ながら、
なんだか明日からも頑張ろうという気になって帰って来たのだった。
早いものでもう6年も経つ。
浜松でお墓参りと親族での食事会。
僕は物心ついた頃から、おじいちゃん・おばあちゃん子だった。
僕の祖父母は本当に優しく、温かく、
ものすごく大きな愛情で僕らを包み込んでくれた。
いま祖父母との時間を思い出しても、心がほかほかする思い出ばかりだ。
身体も丈夫で、いつも元気な祖父だったが、
ちょうど僕が結婚した年の、式の直後に亡くなったのだった。
その数年前に脳梗塞を患い、色々と不自由な思いもしていたが、
最期は最愛の祖母や娘たちに見守られての大往生だった。
本当に残念なことに僕は仕事の都合でろくにお見舞いにも行けず、
その場に居合わせることができなかったのだ。
どうも具合が良くないらしいという知らせは受けていたのに、
繁忙にかまけて、
あんなにも可愛がってくれた祖父の臨終に立ち会えなかった。
この時の後悔はとても大きく、これ以来僕は身内に何かがあれば、
ほかの何をおいても駆けつけるようにしている。
また自分の職場を立ち上げてからは、
職員にも身内に何かあったときは遠慮なく休暇をとるように伝えている。
小さな職場で人繰りは簡単ではないけれど、
誰にでも起こりうる、苦しいときはお互い様。
みんなの気持ちひとつで、なんとかできないことはないのだ。
今回は朝から新幹線の日帰り、
それも繁忙期で、前日も深夜2時頃まで仕事をしていたとあって
なかなかの強行軍ではあったが、新幹線だ。ラクチンだ。
やってみればなんてこたー、ないのだ。
齢90を数える心優しい愛すべき祖母の、孫・子が一同に揃って、
とても嬉しそうにしている姿を目にして、本当に良かったと思った。
清々しいまでの秋晴れ、小春日和の命日。
わずか7時間の滞在ながら、
なんだか明日からも頑張ろうという気になって帰って来たのだった。