どんなに当たり前で普通に思える一日であっても、
いつか懐かしく思い出し、もう二度と戻れないことが
たまらなく寂しくなる時が来るのだろう。
…なんてことを思ったのは、我が家の老犬あずきの散歩中のこと。
14歳半という老齢で持病もあり、
おそらくは一緒に居られる時間も、残りそんなに長くはない。
病気をしてしばらくはあまり散歩も行きたがらなかったのが、
最近は毎日ではないにせよ何かとせがむようになり、
なるべく応えてあげるように心がけている。
というのも、先に亡くなった愛犬ミルコのことがあったから。
なくなる三ヶ月前から足腰が立たなくなり、散歩にも連れてってやれないまま、
一日中家の中でしんどそうに床を這い、やがて力尽きてしまった。
あんなに散歩が大好きだったミルコ、どんなにつらかったろうか。
大きくて重いけど、抱き上げてでも外に出してやればよかったといまも悔やんでいる。
暑かったり寒かったり雨だったり眠かったりで、犬の散歩は時に面倒だ。
でも、連れてってやらない限り彼らは出歩くことができない。
でも、連れてってやらない限り彼らは出歩くことができない。
面倒なときはこう考えるようにしている。
亡くなった数年後に、もし1日だけ生き返ることができ、それが今日だとしたら。
ミルコが帰ってきたらそりゃもうイヤってほど散歩に連れてってやる。
目の前にいるあずきだって、後々でどんなに連れてってやりたくてもそれができない、
たまらなく寂しく思い出す日がいつかくるはずだと。
老犬あずき、歩くの遅い。草ばっか食べてる。
においばっか嗅いでる。大した距離歩けないくせに時間かかる。
帰りはたいてい抱っこ(歩くの疲れるとせがんで動かない)だ。
帰りはたいてい抱っこ(歩くの疲れるとせがんで動かない)だ。
でも、このうえなく大事なひとときなんだ。