いぶろぐ

3割打者の凡打率は7割。そんなブログ。

飲めなくて正解

2015-02-28 00:42:48 | 超・いぶたろう日記
もし僕が酒を飲めたらどーだったろーか。

ふと、そんな風に考えることはあるけれど、
飲めないことを辛いとか悔しいとか残念とか、
思ったことは一度もないのであった。

むしろ、飲めなくて良かったなと思う。
人生には忘れたいと思うようなことも少なくないけれど、
それでも僕は全部覚えていたいのだ。
覚えていながら乗り越えていきたいし、
時に思い出して涙したり怒ったり、
反省したり後悔したりするのもいいし、
忘れるならば自然に忘れられるのがベスト。

陰影も彩りもある一度きりの人生の中で、
酒の力を借りて感情をごまかしたり、なぐさめたり、
また記憶を消したりなんて、したくないのだ。

まあ、飲めたところで、
ラーメンひとつもガマンできない男が、
アル中のロクデナシになるだけだと思うわけなのだが。

食べ過ぎたんだから

2015-02-27 00:46:01 | 超・いぶたろう日記
半休の金曜日。
銀座で最近ご贔屓の整体を受け、
15年ぶりに東銀座の「やまちゃん」で長浜ラーメンを食べ、
ふと思い立って茅場町の、
昔バイトしてたコンビニまで歩いてみる。

ファミマは跡形もなくすき家になっており、
多分にもれず深夜は営業停止の掲示が出ているあたりに時の流れを感じる。

周囲の店もすっかり様変わり。
その中に見つけてしまった格安うなぎ専門店「宇奈とと」。
せっかく3kmも歩いたのに、吸い込まれるように入ってしまい、
食ってしもたがな。

500円でこれは素晴らしいな。
人がせっかくダイエットもガマンして美味しい鰻を楽しんでおるというのに、
「あったかいんだから〜♪」の音源制作版が有線で流れ、とめどない台無し感。
バカらしいことを真剣にやる面白さってあるけどさ、
これはちょっと音源としてもクオリティ低いわもちろん笑えないわで、
ファーストフード以下のジャンクぶり。

そもそもあのネタ自体、
Jpopによくあるメロと歌詞と気持ち悪い裏声唱法のセットを
小馬鹿にしてるとこに面白さというか存在意義がある…んじゃあないの?
それをこんなにマジでなんのひねりもなくやっちゃあ、
そらもう一発屋使い捨て一直線でしょうよ。
まあ、儲かるからやるんだろうけど、鼻白むなあ。

…なんて思ってたら次に流れてきたのが懐かしいSPEEDのホワイトなんとか。
そしたら不思議、どことなくかぶり倒す作風に、
真剣にやってる分余計に、めっちゃ笑えてしょーがなかった。

…そーか、こーやって楽しむものなのかー。

笑えない

2015-02-26 13:02:54 | 超・いぶたろう日記
笑いが幼児化してるなあ、と思う。
あるいは、僕の感性がオヤジ化してるかのどちらかだけど。
ここでいう「幼児化」とは、

・深く考えなくていい
・意味なんかなくていい
・語感が良ければいい

ということに加え、

・何回でも同じことやってもらってキャッキャ言ってる
・飽きたら捨てる

ということだ。
二歳半の甥っ子とこないだ遊んだのだが、まさにそのレベル。
こんな感覚が、それこそいい歳した大人に至るまで共有されているという点で見逃せない。

「ラッスンゴレライ」とか、「あったかいんだから〜」とか、
学生の宴会芸レベルなのは明らか。
一発面白いこと思いついて、その場でウケたらOK、
また次考えよう、という程度のものだろう。

ただ、芸人をこき下ろしたいのではなくて、
その程度のものを爆発的大ヒットに仕立て上げてしまう業界の構造と、
それをまんま受け入れる幼稚なお笑い消費者、という構図に、
情けないな〜という感想を禁じ得ないのだ。

子供が一時的に飛びつく程度のものを、
あれだけの勢いでヘビロテして消費し尽くしたら、
そりゃあ芸人だって勘違いもするし、消耗もする。
育つわけがない。

お笑いでも音楽でも、いわゆる「一発屋」の多いこと。
一発屋自体は昔からいたけれど、いまはそればっか。
人気や実力にはあまり関係なく、
生き延びているのは業界でコネクションを作れたものだけ。
何もかもが使い捨てで、文化に昇華できるものが何も残らない。
これは送り手側だけの問題ではなく、
まんま文化的民度の低さに置き換えられるのではないか。

…なんてことを思うのはやっぱりオヤジ化した証拠だなあと十二分に自嘲しつつも、
どうもこの「その場だけ」の刹那的消費感覚の横行が、
まんま「幼児化した大人」の横行とイコールに感じられて、
暗鬱な気持ちになってしまう。
そりゃあ、安部みたいのが好き放題やれるわけだ。

お笑いなんて色々あっていいと思う、だけど、
見てて不安になるようなお笑いは、果たしてお笑いと呼べるのか。
お笑いにも最低限の責任というか誇りみたいなものがあるべきではないのか。

まだまだじゃのう

2015-02-25 23:44:40 | 超・いぶたろう日記
自分の言いたいことを言うときに、
本当に相手に理解してもらいたかったら、
相手が受け容れやすいように工夫しなきゃ、能がないよね。

完璧な理論武装をしようが、情に訴えようが、
相手の受信周波数に合わせる工夫をしないと、ただのノイズ。

逆に、反論や批判を加えたり、説得しようとするときも、
相手の最も言いたいこと、主張の核はどこにあるのか、
よく聴いてしっかり把握した上でやらないと、
単なる揚げ足の取り合いになっちゃったりして、
生産的な議論にならないね。

書いてみると至極当然のことなんだけども、実践はかほど難しい。
誰かを暗に皮肉っているのではなく、自分自身の課題として書き留めておる次第です。

…四十らしい思索だなあ(笑)

3分の1

2015-02-16 14:26:10 | 超・いぶたろう日記
なんと、3分の1になったそうだ。
わずか1年で、3分の1である。
すごいことである。

「どちらが正しいかは世間が決める」んだそうである。
なるほど、その通り、異論はまったくない。
これからもずっと、そうであろう。
自己満足や他者否定の視野狭窄に陥ることなく、
これからも何が出来るか、何を求められているのかを考えて、
自らを磨いていこう。

高校同期がFacebookで鋭い指摘をしていたのだが、
曾野綾子のコラムの件で批判を集めている産経新聞に対し、
かつて産経が他紙に向かって繰り広げたえげつないまでの猛攻撃を、
いまや極右と言ってもいい産経に対して仕掛ける向きは出てこない。
結局、リベラルがそういう良くも悪くも下品なことをできないというのが、
リベラルの限界なんだろうなあ、と。

なるほど…。
妙に納得。

3分の1がよほどこたえたのか、
ついに節操のない「ネガキャン」も始まったと聞く。
私どもは、このリベラルの良心というか品位を保つべきか(笑)。

は〜るばる来たぜ〜四十〜♪

2015-02-06 22:22:22 | 超・いぶたろう日記
40回目の誕生日でございました。
メール、FB、LINEなどなどで温かいメッセージを下さったみなさん、
本当にありがとうございます!

こんな私ではございますが、
なんら変わり映えもせぬまま四十を迎えてしまいました。
もうこうなったら死ぬまでこのままいくより他にありませぬ。
これまで同様、仲良くしてやって下さいまし^^

それにしても、
異口同音に「変わらない」「ブレない」と言って戴けるのは、
何より僕の誇りとするところです。

http://bit.ly/16x3HEL

これは10年前のいぶろぐですが、
僕が三十を迎えたときに、
当時がんばってたバンドの会報に書いた記事でもあります。
このときの心境(年齢相応にちょっとカッコつけてますが・笑)と
ほとんど変わりなく十年後の今日を迎えられたように思います。

ただ、この記事を書いた半年後に僕は8年続けたバンドを辞めていますし、
昨年も10年勤めた職場を離れました。
変わらないこと、ブレないこと、譲れないものを守るために闘い続けること。
これらは自分の矜恃として携えていたいものではありますが、
同時にどうしようもない孤独感を連れてくるときもあります。

といっても僕は僕しかやれませんし、後悔はありません。
一方で学んだことも少なからずあります。
反骨と皮肉、この苦々しいブラックコーヒーに、
僕は茶化しエンタテイメントという甘いミルクを混ぜ込んで、
どうにかバランスを保ち、
自分のアイデンティティらしき何かに換えているような気で生きております。

そんな僕にとって、こうして節目の日に、
これほど多くの方にメッセージをいただけることは、
何よりの励みですし支えになります。
本当にありがとうございます。

これからも言いたいこと、言わねばならぬことは遠慮なく言う半面で、
笑いこそが最大の理性であるという座右は肌身離さず、
なるべく面白おかしく生きていきたいと思います^^

よろしく!

他山の石

2015-02-05 23:34:06 | 超・いぶたろう日記
僕が生徒だったら。

「おれに全部任せろ、おれ以外の奴はダメだ」
なんて言っちゃう先生と、
生徒の前で他の先生の悪口を平気で言える先生は、
ちょっと尊敬も信頼もできないなあ。

自分ひとりで全ての科目をきちんと教えられるはずもないし、
自分ひとりで全ての生徒を完璧に支えられるはずもないし、
自分だけがどんな生徒にもベストの存在だと思い上がれるはずもない。
すべては理想や志を同じくする仲間と補い合ってのことだし、
僕らの姿勢や誠意に共感してくれる生徒あってのこと。

「先生」はどこまでも職業上の呼称であって、
それは生徒が自発的に師を師と認めることによって、
初めて裏付けされる。
それなくしては、タダの思い上がった自称にすぎない。

そして何より本当の能力者や人格者は謙虚。
自分の得意不得意を知り、限界を知り、
他者に学ぶ姿勢を持ち、自分以上の存在を知り、
自分以外の価値観に対するリスペクトを忘れないからだろう。

先生が先生の悪口を生徒の前で公言するなんて、言語道断。
大人同士の事情を子供に開陳して、味方につけようだなんて、
プロとして完全に欠格だし、そもそも人間性を疑っちゃうな。
教育者のはしくれとして守るべき品性ってあるでしょう。

貧すれば鈍す、本当にみっともない。
なんか、来し方を思うと情けなくて言葉も出ない。
もっと、違うことで正々堂々、互いの理想をかけて勝負しましょうよ。
自信ないんですか?

ほんっとーに、情けない。