いぶろぐ

3割打者の凡打率は7割。そんなブログ。

あれま

2018-01-20 23:26:25 | この国の憂鬱
親父の近況がまたしてもニュースで届きました。

MBSラジオ沖縄巡り不適切発言 後日現地取材し報告へ(毎日新聞)


古稀を過ぎてなお意気軒昂、吠えまくっているようです。
ちょっと心配になってTwitterで検索かけてみたんですが、
どうやらライトスタンドにファンが大勢ついてくれた模様(笑)。

一方、レフトスタンドからは「あいつはネトウヨだ」との認定あり。
親父、ほとんどネット見ないし書くこともないし、
強いて言うなら「ラジウヨ」ではないかと…。

でもそんな親父だが、つい最近まで反安倍発言の数々で
「パヨク」呼ばわりされてたんだよなあ。

右とか左とか本当にテキトーだな。
たぶん僕と同じで、思想的にどうとかいうんじゃなくて、
気に入らないヤツが極度に気に入らないので、
ついクチに出してしまうというだけなんだと思うんだが。

…こうして、右からも左からも嫌われる親子なのであった。

僕は右でも左でもないつもりだし、友人が別に右でも左でもイイと思う。
ただし、自分以外の思索や主張を問答無用で否定したり、
自分のそれを押し付けて来さえしなければ。

大切なのはここで、思想や価値観は多様であるべきなんだよね。
「おれはお前に同調しないかもしれないが否定もしない、
だからお前もおれに同調しなくていいから否定はするな」
ということかな。
「反論」じゃなくて、「一方的な全否定」ね。
反論は建設的だけど、否定は破壊的だもんね。

右だから、左だからということよりも、
狭量で盲信的(妄信的?)であるというところがイヤなんだよね。
「味方じゃないヤツはみんな敵!」みたいな。
20年前の僕かよ、と思う(笑)。

一方的にまくし立てるのなんて誰でもできること。
関係性を維持しながら、相手の立場も考えつつ、
言うべきことを言い合うことがどれほど難しく、意義深く、尊いことか。

個人が把握できる事実なんてたかが知れてるんだから、
怒鳴りあう前にお互いもっと勉強しましょうよ、と。
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お見送り

2018-01-17 22:07:08 | 超・いぶたろう日記
今日から私立の高校入試スタート。
前々日の授業で応援寄せ書きを渡し、今朝は毎年恒例の駅立ちお見送り。
今年は比較的暖かくて、ラクでした。
生徒もあまり緊張でガチガチという子はいなかったかな。
よかった。

当日ともなると、できることはこのくらい。
とはいえ、生徒を思いやるようでいて、
半面は自己満足なのかもしれぬと毎年思う。
自分のモヤモヤを紛らわせるために、実効性に関わらず、
何かをせずにはいられない、という。
合格祈願に行ったりするのと同じかな。

当日になって気をもむくらいなら、普段から十全な指導をしろよな、
なんて自分にツッコミながら。
でも、神ならぬ身の哀しさ、
指導にどこまでいってもゴールも完璧もないのよね。
ということで毎年恒例。

この時期の駅前は色んな塾や中学校の先生でいっぱいだ。
お見送りにもそれぞれにスタイルがある。
ただ、声を上げて駆け寄ったり、殊更に握手したり、
大げさなことを言ったり、というのは僕はあまり好きじゃない。
生徒にはいつも平常心でいくのが一番だと言っている。
なのに先生がはしゃいでどうすんだ、と思う。

もちろん可愛い教え子たちだ、心配する気持ちはあるけれど、
なるべくささやかに、さりげなく、いつも通りの気安い僕のまま、
行ってらっしゃいと声をかける。
効果のほどは、知らない。
でも気持ちが伝わればいいか。

今日から最長40日間、夏休みにも匹敵する長い闘いの日々。
願わくは悔いの残らないものとなりますよう。
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言い足りないことなど

2018-01-12 08:57:01 | 超・いぶたろう日記
先に「僕の苦手な話題」について少し書いたが、
たぶんその共通点は
「自分だけがおかしく(逸脱して)ないか不安で、確認し合うための話題」
なんだろうな、と思い当たる。

そしてその先にある
「会社(学校)なんて」「世の中(人生)なんて」=『こんなもんだ』
という達観ぶった態度、予定調和的な同調、
そういうものが透けて見える会話がニガテなのだろう。
この人達は次にどんな話をするのだろう、とちっともワクワクできないからだ。
世間一般で使い古された、
もっともらしく無難で説教臭いキーワードを聞くのはとても残念だ。
その人の口から語られる必然性が感じられないからだ。

会社員だからとか、既婚未婚だからとか、男が女がとか、何歳がとか、
そういうことじゃない。
いまさら盲目的に、あるカテゴリに属する人を
ひと括りにして批判しようなどと思わない(不明にも若い頃はそうでしたが)。
個別の事情を無視して大きく括った物言いをすると、
自分は理解できたような気がしてスッキリするけれど、
見失うものの方が多くなるからね。

また人々が「安心したくて交わす会話」を全否定するようなものでもない。
人との会話の目的なんて、
安心(共感・協調)か、優位性の確認(自慢)か、相互理解(主張・議論)か、だろう。
それが面白く感じられるかどうかの違いだけで。
いちいち否定してると誰とも会話できなくなる。

ただ、言い方とか話し方というのは大切で、
時には何を話すかよりもそれは重要だったりもする。
相談のフリした自慢だったり、
自己否定の形をとった承認欲求だったり、
他者を慮るかのような自己主張だったり。

それは自分が気持ちよくなるために言ってるだけじゃないか。
本当に相手を動かそうと思うならもっと違う言い方ができるのではないか。

普段、多様で未熟で繊細な子供たちを相手に、
どうしたら気持ちが伝わるかということを考える機会が多いと、
大人同士の粗雑で傲慢で尊大な会話が耳につくこともある。
延々続く自慢話、マウンティング、憐れみを隠した同情のフリ。
みんな自分が気持ちよくなりに来ているのだろうけれど、
自分の話が相手にどう受け止められているかを考えなければ、
他人を不快にする前提でしか自分は楽しめないことになる。

たかが飲み会、酒席で遠慮も気遣いも要らないというのも勿論ありだ。
でも、その場だけで気をつけるなんて話じゃなくて、
普段からどういう人付き合いをしているかがその場に象徴的に表れるのだ。
僕はそういう場所で大事な人たちをガッカリさせたくないと思っている。
だから直接顔を合わせて会話をするときにはとても気を遣って話しているつもりだ。
不特定多数に向けて書くときにはご覧の通りの遠慮のなさだが、
それでもメッセンジャーで直接話すときには、やはりとても気を遣う。

自分でも結論が見えない話なので、
ダラダラと書き散らかしてしまっているが、
結局のところ、
「僕自身がこれだけ気を遣っているのに、無思慮な他人を見ると腹が立つ」
というだけの話だったのかもしれない。
だとしたら何と狭量な。

まあ、他人に合わせようと窮屈な思いをしたり、
逆に人にアレコレ注文付けるなんて傲慢なことはやめて、
自然体で一緒に居て気持ちのいい人とだけ、
付き合っていればいいことなんですけども。
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18年後の答え合わせ

2018-01-11 08:53:16 | 超・いぶたろう日記
…は、大正解だった。
あれは喪失なんかではなく、まぎれもない解放だったのだなあ。

面倒くさいのはお互い様よね。
ただ、自覚しているかどうかの差は、ものすごく大きいと思うけどね。

見紛う時間のいたずらや、20世紀は遠くなりにけり。
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ブレブレなるままに

2018-01-10 23:21:40 | 超・いぶたろう日記
我が心にうつりゆく由なしことを、言語化して考えずにはいられず、
あまつさえその中身を軽はずみにSNSやブログなんかに、
そこはかとなく書きつけてしまう悪いクセが治らない私。

新年早々長〜いテキストをいくつも書いたが、
相変わらず長いね、と苦笑しつつもきっちり読み込んで
感想をくれるありがたくも貴重な友人もいれば、
字面だけで僕という人間への先入観を膨らませてしまう人もいて、
あやしうこそものぐるほしけれ。
まあ難しいなとは思う。

でも、そんなの気にして無難なことばっかり書くのもつまんないし、
人の目線を気にして萎縮していくのは僕の流儀じゃない。
月は隈なきをのみ見るものかは。
僕が過去に積み重ねてきた言行やそれに伴うイメージと完全に切り離して、
ここのテキストだけを読み込んでもらうなんて期待しちゃいけないし、
まあどう思われようと仕方ないかなと溜息ひとつ。

わかりきったことじゃないか。
自由であることは孤独なことでもある。
当然のように理解を求めてはいけないわね。
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道標

2018-01-10 23:15:19 | 超・いぶたろう日記
年頭のこの数日は、実に多くの人に久しぶりに会えて楽しかった。
まるで日替わりで僕のルーツを辿るような感じだった。

いまの立場で接する教え子たちや、
麻布の同期たちとの関係性は、
おそらく自分の中で確固とした位置づけが成されているのだろう、
純粋に楽しかったし、ありがたい人間関係だなあと素直に感謝している。

一方、今日会ってきた大学のサークル仲間は、
またちょっと違った感慨があった。
同じく気持ちのよい仲間達で楽しかったし、
大事な関係性には違いないんだけれど、
質的に少し異なる趣があるというのか。
感謝の度合いがという意味ではなくて、
ありがたみを感じるポイントが微妙に異なる気がするのだ。
とことん内省的な話でゴメンナサイなんだけど。

早稲田を代表する学生ミニコミ雑誌、といっても過言ではないだろう。
早稲田の学生なら一度は手にする「MILESTONE」を
作っていた編集・出版サークルに、僕はいた。
僕が大学に入った頃(1994年)は、
早稲田に2000はあるといわれる色んなサークルの情報を集め、
新入生に紹介する「EXPRESS」と呼ばれる雑誌を作るのが主な活動だった。

高校時代から文化祭のパンフやら文集やら、
あるいは卒業アルバムやらの制作に携わり、
文章を書いたり編集したりといった作業が好きだった僕は、
大学に入ってからもバンドサークルのかたわら
このMILESTONEにも籍を置かせてもらった。
オウムの学生団体(と後で判ったんだけど)の合宿に潜入取材したり、
合宿と称してあちこち旅行したり、
4人集まっちゃあ雀荘行ったり桃鉄やったりと、楽しい時間を過ごさせてもらっていた。

先の投稿にも少し書いたが、僕の大学生活と言えばそりゃまあヒドイもんだった。
最初からかっ飛んでいた僕が、1年生で取得した単位はわずか6。
成績票を前にした僕の感想は、「大学って厳しいな…」だった。
中高では、テストがどうあろうと提出物がなかろうと、
とにかくゴメンナサイして救済措置にすがればどうにかなった。
それが大学という所はほんの1分遅れても提出を受け付けてくれないばかりか、
テストを受けなければ一切の救済もなく、単位もくれないというのだ(あたりまえだ)。

加えて僕ときたらテストも受けてなけりゃレポートも出してない。
そもそも講義に出たことがほとんどない。我ながら実にヒドイ。
二外なし、体育なし、数学なし、ゼミなし、卒論なし、という、
早稲田イチ…どころかおそらく日本一楽勝な学部に籍を置きながら、
1年目にして早々に留年確定したんである。
早稲田は学年進級はできるけれど、残り単位的に5年在学決定だ。
母はよく僕のようなバカ息子をひと思いにやっちまわずにいてくれたと思う。
その慈悲深さたるや観音菩薩の域だ。
僕が親だったらこんな息子、たぶん原子炉かなんかに放り込んでいる。

さて、2年生になった僕はこの窮地を脱すべく、ある一計を思いつく。
サークル情報を売りにしていた春の「MILESTONE-EXPRESS」誌の編集にあたり、
各サークルに出稿を依頼する折、同時に「楽勝講義」の情報を集め、
掲載してはどうかというものだ。
単にサークルを利用して自分が助かろうというだけの魂胆だったのだが、
同期Uくんの尽力により、瞬く間に企画は現実のものとなり、
それによって「EXPRESS」は飛ぶように売れた。

以後、MILESTONE編集会はこの企画にすっかり味を占め、
毎年この「科目情報」に注力するようになり、
いまやサークルではなく、そちらがメインの情報誌になっていると聞く。
早稲田に進んだ教え子にこの話をすると一様に驚かれるのだが、
君たちが単位を取れるのは僕のおかげだとドヤ顔で恩を着せていたりする。
当時の僕もその後十二分に恩恵に浴し、
一方でレポートやテストはここには書けないような荒技で乗り切り、
どうにか5年で卒業できた。
好き勝手やりたい放題の贅沢な大学生活だった。

さてそんな思い出深い「MILESTONE編集会」なのだが、
僕は学年が上がるにつれて何となく漠然とした疎外感のようなものを抱き始め、
バンドが忙しいことを口実に、少し距離を置いたりもしていた時期があった。
これは別にサークルの仲間たちにイヤな思いをさせられたわけでもなく、
僕が勝手に思い込んでそうしただけで、彼らは何も悪くない。
悪いのは僕だ。主にアタマが。

当時の僕はバンドにのめり込むあまり、アウトローを気取るようになっていた。
いつでも虚勢を張り、人の話を聴かず言いたいことを声高に言い、
モメなくてもイイ人とモメなくてもイイことで派手にモメ、
普通にやればいいことをわざとひねくれたりハズしたりして、
それが個性だと勘違いしていた。

一方、MILESTONEの仲間たちはいわば「普通の大学生」であり、
遊ぶばかりでなく、当然のことながら授業にきちんと出て単位を取り、
資格を取ったり、留学したりなどして、将来を考えてコツコツと努力を重ねていた。
そして僕はといえば、具体的な計画もなく、
根拠のない自信だけで音楽で食っていくんだと吹聴し、
それを言い訳にやるべきことを何も成さず、日々遊んでばかりいた。

それだけならいざ知らず、そんな自分を正当化しようと、
マトモな努力をしている「フツーの大学生」をつまらんヤツだと決めつけて忌み嫌い、
仲間が就職活動なんか始めた日には
「好き好んで社会の歯車になるなんて」と内心バカにしてたりもしていた。
時には言葉や態度に出していたと思う。
本物のバカは自分だったのに、だ。
いま思えば実に浅はかで恥ずかしいが、
そんな僕でもよくぞ縁を切らずにいてくれたもんだ。
地蔵菩薩のごとき仲間たちの寛容さには感謝せずにおれぬ。

ただ、当時の僕は僕なりに必死だったのも事実だ。
何とかして自分の価値を証明したいという、頑迷な自己承認欲求に取り憑かれて、
普通じゃいけない、とびきりの非常識で個性派じゃなきゃいけないんだと、
ガラにもない無頼を無理に演じようとして苦しんだり、
これ見よがしに奇行や暴挙に走ったり、
とにかく四方八方手探りで迷走していたように思う。

今日久しぶりに会えた後輩からも、
「昔の先輩は尖りまくってて怖かった」なんて言われてしまい、
恥ずかしさのあまり地中に頭を埋めてお詫びした。
尖ってたというより、カッコつけてただけだったんだよ。ごめんな。

ただ、それが奏功したのか、たまたまなのかは知らないが、
その後バンドがある程度軌道に乗ってしまったばかりに、
僕の勘違いは留まるところを知らなくなる。
自分がサボっているだけのことを、個性やこだわりと言い換えて、
すべてを周りのせいにして、おおよそ自分に我慢を強いることをしなかった。
「特別な才能をもった人間」だけに許される非常識なワガママを、
あたかも自分にはその資格があるごとく振りかざしていた。

結果、スタッフや事務所、メンバーとも対立してバンドは瓦解するわけだから
すべては自業自得なのだけれど、いま思えば大きなことを学んだと思う。
随分遠回りはしたけれど。
もしあのまま、まかり間違ってぽーんと売れてしまっていたら、
天狗になった挙げ句どうしようもないクズ人間になっていたんじゃないかと、
背筋が寒くなる。
まあ、いまがそうでないという保証があるわけでもないのだが(笑)。

あれから12年が経ち、僕の立場も考え方も色々変わった。
なのに、僕はいまだにいわゆる「普通の会社員」や「普通の学生」たちが
当たり前に交わす、よくある話題がとてもニガテなままだ。

会社員が、というわけじゃない。
僕もさすがに四十を過ぎて、昔みたいな偏見で言うのではない。
「普通の社会人」なんて括り方自体に意味がないこともわかっている。
ただ、おそらく当事者達のまったく意識にないところの「あの感じ」が僕はどうもニガテなのだ。

それは何かといえば、「僕は/私は」が主語に来ない、いわば顔のない話題。
その人の個人的な意見や考え、主義主張なら面白く聞けるのだが、
「知ってるか知らないか」だけが焦点になるような、
いわば情報や流行への感度だけを気にするような話題がとことんニガテなのだ。

特に企業や所属組織、はたまたどこかの有名人を主語に、
どこそこがこんなことをやっていて、
それがいかに「ビジネス的」にすごいかとか、
「次は何が来る」だとか、まあその手の話題がほんとダメ。
知的マウント合戦が始まるともうムリ。
ビジネストークはたいがいダメだ。顔に出てしまう。

実は今日の仲間たちと食事に行った折に、ひとしきりの思い出話の後、
一部で始まったのがこうした「業界トーク」的な話題だった。
とはいっても、彼らに悪気があるわけじゃなく、
社会人としていつも普通に交わしている(と思しき)話題が始まっただけなのだが、
僕は顔色や素振りには出していないつもりだが、
明らかに耳が聞き取りを拒否し、脳が休み始めた。
そして、しばしの休憩の後、僕の甘酸っぱい脳みそはもはや場の話題を完全に離れ、
どうして自分はこうなのか…と内省的なテーマを考え始めていた。

しばしの沈思黙考の末、たどり着いた仮説は「コンプレックス」だった。
きっとあまりにも自分だけが、
みんなが携えているものを積み重ねてこなかったばかりに、
その辺りの彼我の差が浮き彫りになるような話題になると、
無意識に脳髄が忌避してしまうのだろう。
それはコンプレックスに他ならない。

思えば、前職でも教室現場では実に楽しく仕事をしていたのに、
いざ会議などで「いかにも会社っぽい」空気になると
途端にモチベーションが下がっていた。
「社会人として/組織の一員としてイカガナモノカ…」なんて言われると、
必ず噛みつき返していたくらいだから、
もはや「会社アレルギー」または「オトナアレルギー」と言うべきか。
単なる不治の中2病か。

まったくもってお恥ずかしい限りなのだが、
もう直しようもない欠点なので、これはもはや個性。
許していただくより他にない……なんていう理屈で言い逃れようとするあたり、
本当に20年前から我ながら進歩がないなあと思う。
あの頃よりはずっと丸くなったとも言われたけれど。
人当たりも体型も。

結局何が言いたかったのかよくわからなくなってきたけど、
たぶん僕なりに自分の昔の無思慮不作法を反省し、
彼らに謝りたかったんだと思う。
感謝の質がとか、また訳のわからん誤解を招くようなことも書いたけれど、
要は友達でいてくれてありがとうというところに違いはないのだから、
イイトシしてごちゃごちゃ余計なこと書くんじゃないよおれ、ほんとにもう。

一生懸命書いたつもりだが、
ここまで読み込んでくれる当時の友人がどれほどいるだろうか。
読んだところで新たな誤解を生むだけのような気もしてきた。
もっとも、これだけのテキストの読解に時間を割いて、
わざわざ他人の心情を理解するなんてことに、
メリットなど何も感じられないというのが正直なところだろう。
じゃあ、まあ、いっか。
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説明すんの難しいし、理解してもらわなくていいけど、とにかく最高なんですよこいつらは

2018-01-10 22:52:44 | 超・いぶたろう日記
久しぶりに都内に赴いた。
場所は南青山のワインバー。
毎年恒例・中高同期の集まる新年会があるのだ。

母校・麻布についてはここでもよく話題にするし、
ことさらに書くこともないのだが…とか言いつつまたクドクド書くが、
とにかく僕はこの学校のおかげでいまがある。
どこへ行ってもはみ出す自分、誰からも非常識だと言われる自分、
そんな自分のままでいいんだ、と包み込んでくれたこの学校のおかげで、
僕は自分を見失わずに済んだ。

でも、別に誰かがそうわかりやすく言ってくれたわけじゃない。
僕なんかごく普通で平凡な存在に思えるほど、
強烈な個性と才能を当たり前に兼ね備えた同期が綺羅星の如くいて、
またそれが全員好き勝手に校舎じゅうを飛び交い、ぶつかり合うようにして、
互いに激しく主張し合っているのだ。
「常識」なんて枠もなく、「管理」の鉄柵もなく、「同調」の圧力もなく、
さすがの僕もはみ出しようがなかったのだ。

勉強「しか」できないのは、ダサイ。
ものを知っているのなんか、当たり前。
それよりどんな面白いことができるか。
尖りに尖った同期や先輩後輩との刺激的なやりとりは、
激流にもまれる石のように僕自身を磨いてくれたし、
いまもって僕に誇りをくれる彼らとのつながりは、宝物のように思っている。

人と違うこと、自分を貫くこと。
それがどれほど孤独なことか。
だけど、それがどれほど大事なことか、
身に染みて体感させてくれたのが麻布だったし、
それを忘れそうになったとき、いつでも思い出させてくれるのが同期のみんなだ。

長らく同窓会的な企画もなくて、
人によっては疎遠になってしまっていたところに、
facebookでのつながりが生まれ、ぼちぼち数人単位で集まり始めたのが数年前。
その後、初めての公式な同窓会も企画でき、すっかり里心もついてしまった。
大規模な集まりとなると運営も大変だけれど、
とりあえず年に1回位は顔を合わせられる場をつくろうと、
ここ3年くらい継続的に新年会を催している。

個人的には、同期の一人が突然亡くなったことが、ものすごく大きかった。
普段いつでも会えると信じて疑わないでいるが、
本当にこういうこともあるのだ、という厳然とした事実。
会いたいヤツに会えるなら、会わないでいることはない。
会えるときに会っておかなけりゃ。

そんな思いで始めた新年会だけれど、
みんなも楽しみにしてくれているみたいで本当に嬉しい。
Facebookがあればイベントの立ち上げも告知も出欠確認もカンタンだし、
会場が同期のやっている店ということもあって、その点でも気が楽だ。
イイ時代になった。

今日もまた、めっちゃくちゃに楽しかった。
10年20年会ってなかったヤツでも、年1回しか会ってないヤツでも、
あっという間に30年前に戻る。
あたかも毎週顔を合わせてでもいるかの如く、
ものすごい勢いで会話のラリーが始まる。笑いの渦がおこる。
四方八方に散らかる話題の展開にも、一切説明が要らない。
他に得がたい関係性だと思う。

今回もお店がほどよく埋まるくらいの同期が集まってくれたが、
それでも30名ちょっと、学年全体の1割だ。
もっとたくさん集まれる機会はないものか。
というわけで、今年は「卒業25周年」をネタに、
ひとつ大きな同窓会をやれないかと企てている。
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Mのこと

2018-01-08 23:04:36 | 超・いぶたろう日記
今日は夕方から某所へ。
僕の家から60km近くあるこの地まで、高速で1時間と少し。
約束の時間に少し遅れて、
久しぶりに会う大学時代の仲間たちと合流する。

大学時代はとにかく毎日遊び回っていた記憶しかないのだが、
特に1年生の頃の僕は糸の切れた凧のようだった。
大学生とは名ばかりで、毎日キャンパスには現れるものの、
講義にはほとんど出向くことなく、
いつでも居場所といえばサークルのたまり場か雀荘、スタジオ。
そうでなければアルバイト。
ほとんど家にも帰らなかったような毎日を過ごしていた。

そんな僕が、いったいどこで寝泊まりしていたのかと言えば、
1年生の頃はたいてい親友Mの家だった。
Mはプロレス好き、サッカー好き、バンド好き。
アウトローを気取る剛胆な見た目によらず意外に繊細で、
理屈っぽくってナルシスト、でも憎めなくて、
情に厚くて面倒見がよいので、誰からも慕われる男だった。

僕はこのMと入学早々に意気投合し、
1年の時はもうほとんど彼とツルんでいたといっていい。
国領にあった彼のアパートにはいつも僕が寝泊まりしていて、
しょーもない話で一晩中騒いだり、桃鉄やったり麻雀やったり、
夜中に牛丼食いに出たり、いま思うと実に贅沢な時間を過ごしていた。
「アチャー」と「何事?」が口癖で、
それはそのまま僕の口癖にもなってしまった。
いまでもクチをついて出てしまう。

2年からはお互い彼女ができたり、友人関係も拡がったり、
僕もバンドに費やす時間が長くなったりもして、
以前ほど濃厚な付き合いではなくなったけど、
それでも何かというと一緒になって後輩をいじったり、
飲み会の幹事やったりと、気心の知れた関係は変わらなかった。

卒業後、僕は本格的にバンドを始め、
彼だけでなく中高や大学の友人たちと疎遠になってしまった時期があった。
それでも彼は僕のことをずっと応援してくれていて、
大きなイベントライブになるとサークル仲間を引き連れて観に来てくれもした。
なかなかゆっくり会って話す時間は作れなかったが、変わらず僕の親友だった。

そんな彼が亡くなったのは4年前の冬のことだった。
以前からの難病で入院したとは聞いていたものの、まさかのまさか、だった。
突然の訃報に、胸の奥を鋭利な氷柱でひと突きにされたようだった。
12年前の夏に突然倒れ、数々の手術を乗り越え、ずっと難病と闘い続け、
一時は劇的な回復を見せたのだけれど、最後は本当にあっけなく逝ってしまった。

そして僕は、元気なウチに彼を見舞うことも、
彼を見送ることもできなかったばかりか、
訃報に接してなお、あまりのことに気持ちの整理がつかず、
お葬式にすら行くことができなかったのだ。
行けば、認めざるを得ない。それが怖かった。
とてもじゃないがアイツの亡骸なんて見られない。
焼香なんか冗談じゃない。
ずっと遠いどこかで生きていることにしたかった。
やり過ごしてしまいたかった。

彼は最後まで彼らしく、明るく気丈に振る舞い、
病人のくせに周囲に気を遣い、その姿にまた彼を慕う仲間たちが彼を支え、
そして溢れる創作意欲で闘病記をブログで発信したり、
様々な形で作品を創りあげたりしていたそうだ。
とにかく好奇心とバイタリティの塊のような男だった。
こんなに早く、さぞ無念だったと思う。

あれだけの交誼がありながら、生前に彼を励ますことも、
最期に見送ることもできず、自身の感傷に押しつぶされ、
どうしようもない恥ずかしさや後ろめたさも手伝って、
僕はしばらくお墓参りにも行けずにいた。
それが、今日、ようやく仲間たちと行けることになったのだ。

数年ぶりに再会した彼は、当たり前のことだけれど、冷たい石になっていた。
墓標を目の前にしてもなお、僕にはまったく現実感がなく、
どうして今日Mは来てないんだ?などと、
頓珍漢なことさえ頭に浮かぶ始末だった。
形として線香を手向けはしたけれど、
手を合わせることも、墓石に語りかけることも、
まるで生者にそれをするかのような、
タチの悪い冗談のような気がして、やはりできなかった。
昔の写真を何枚か、そっと墓石の上に置いた。
そこにあるのは彼の足跡だけで、やはり彼はもういなかった。

墓参後にMの奥様にお目に掛かり、可愛らしい双子に会うこともできた。
奥様は心優しく慎み深く、またたいへんに情の深い方で、
おひとりで二人のお子さんを育てることの苦労など微塵も触れない。
ただただ、Mの忘れ形見を大切に大切に守り育てていらっしゃる。

そんなご家族の思いを察するに、僕なんかが何を言えた義理でもない。
仲間が用意した塗り絵やおもちゃのプレゼントを手に、
うれしそうにはしゃぐ子供たちを見つめるばかりだった。
彼らがじっと堪えているだろう言葉を、
僕が口にすべきでないこともわかってる。だけど。

僕は当たり前に居るべき彼がここにいないことが、
急に姿を消してしまい、その後いつまでも現れないでいることが、
さびしくてたまらない。

人間は必ず死ぬ。
でも、何度かに分けて死ぬ。
たとえ肉体がなくなっても、
彼の記憶を留めている人間が居る限り、彼の精神は死なない。
何十年も経って、彼を知る人がいなくなっても、
この子供たちが彼の血を継いでいく。
彼らは父の面影すらも知らないけれど、
毎年彼らに絵本やおもちゃをプレゼントしてくれた、
不思議な大人たちのことは記憶に留めてくれるだろう。
それがみんな、彼らの父を慕う仲間たちであったことも。

人間はそう簡単に消えてしまったりしない。
そう信じることだけが、この寂しさを少しだけ和らげてくれる。

でもさ、M。
お前に聞いてほしい話が、いっぱいあるんだぜ。
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闘将を悼む

2018-01-06 22:44:50 | トラ、トラ、トラ。
帰宅して驚いた。
「星野仙一氏逝去」の報。
もう、この字面からして違和感しかない。
燃える男星野、いつでもバイタリティに溢れた豪気な闘将。
こんなにあっけなく亡くなるなんて、まったく信じられない。
ついこの間、殿堂入り祝賀パーティなんてやってたのに。
かなり重い病気を患っていたのに、ほとんど誰にも話していなかったそうだ。
それも、彼の人らしいといえばあまりにらしい。

強すぎる個性が故に、毀誉褒貶半ばする人物かもしれないが、僕は好きだった。
あの野球に対する暑苦しいほどの情熱や浪花節、
クサイほどのロマンチックでストレートな台詞の数々、
それらは「星野仙一」が主語になるだけで、見事な画になる。
選手・監督として偉大な足跡を残されたこともさることながら、
それ以上にファンの心を、盛り上げ方を知っている演出家だった。
時にはアンチ巨人の急先鋒として、時には猛り狂う乱闘の主人公として、
そして温かく味わいのある数々の名スピーチメイカーとして。
これほど野球をドラマチックに彩ってくれ人もいないだろう。

中日での熱血、阪神での優勝、楽天での日本一。
できすぎだと思えるような場面をいくつも産み出してきた。
感情を表に出さず、コメントは優等生、
そんなスマートな選手・監督ばかりじゃつまらない。
ファンはプレーや勝ち負けだけじゃない、ストーリーを求めているのだ。
星野氏はその辺を十二分に知り尽くしていた。
ファンを大事にし、選手を大事にし、その家族や裏方までをも気遣い、
野球に関わる人々をみんな大切にしていた。
だからあれだけ厳しくとも、多くの人に慕われたのだろう。
野球界の将来についてもさまざまに憂慮し、いつも建設的な提言をしていた。
個人的には彼こそコミッショナーに相応しいと思っていたのだが。
つくづく、日本の野球界は惜しい人を亡くしたと思う。

彼が虎の監督を引き受けてくれなかったら、
いまのタイガースはなかったろう。
いち虎党としても心から感謝したい。
謹んでご冥福をお祈りします。
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新年会

2018-01-06 07:18:40 | 超・いぶたろう日記
5日深夜。

ここから毎年ウチの教室は
「オールナイト新年会・今夜は寝ないぞカーニバル」を開催している。
教職員・アルバイト学生に加え、
大人になった教え子たちも幅広く参加し、
オードブルに舌鼓を打ちながら、
夜11時から朝6時まで喋り続け・笑い転げるという壮大な宴だ。

参加条件は「18歳(大学生)以上/未成年は飲酒NG」だけ。
好きな時間に来て、好きな時間に帰る。
もちろん会費なんかいらない。
無理に飲ませたりするのはキライ。そもそも僕が飲めないし。
朝まで本当に笑いの絶えない、極めて健全な夜会だ(笑)。

打ち上げ好きの僕が音頭をとって、かれこれ4回目になろうか。
今年も多くの教え子たちがやって来てくれた。
上は2008年度生から、下は2013年度生まで、総勢15名。
何年も前の、それも前職での教え子たちが、
正月早々深夜にこれだけ広く集まってくれるなんて、
先生冥利に尽きるってもんだ。



大人になった彼らとの話は実に味わい深い。
僕ももうちょっと人生の先輩として、
それっぽい話のひとつもできれば格好いいんだろうけれど、
なんせ生まれてこの方、徹頭徹尾脱線人生なのでロクなアドバイスが言えない。
酒も飲まずに7時間ずーっと機嫌良くアホなことばっかり言って、
難しい話を始めるヤツが居るとせっせと混ぜっ返す。
そんなオトナゲナイ僕の姿に、教え子たちも腹を抱えて一様に
「変わらないですね」と安心してくれるという、
もうどっちが先生だか生徒だかわからない、
ひょっとしてこれは非常に高度な介護なんじゃないかと思えるほどの楽しい時間だ。

卒業して大人になったら、もうみんな弟や妹みたいなもん。
僕もいつまでも先生ヅラなんかしてられない。
彼らの悩みに耳を傾けることはあれど、
説教なんかでこの時間を費消してしまうのはもったいない。
ただみんなの健康と幸福を願いつつ、
今年もみんなにとって素晴らしい年になるよう、
心を込めてバカ騒ぎするだけ。

まだ来たことのない卒業生のみんな、
来年参加資格をゲットするみんな、次回は是非おいでね。
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あけましておめでとうございます

2018-01-01 00:00:00 | 超・いぶたろう日記
いぶろぐ、数えれば19年目の年明け。

来年はなんと20年目ですよ。
よくもまあこれだけ長いこと、好き勝手なこと書いてきたもんだ。
継続は力なり、とはよくいったもんで、
現在95万PV。今年中に100万PVいきそうな感じ。
有名人でも何でもない、個人のブログにしてはそこそこかと。
いまだに日々、100人くらいの読者がおいでになる。
どこの誰が読んでくれているんだろう……。

さて、年頭なので、今年の目標を簡潔に。

「ぎっくりしない!」

ホント、これに尽きます。

どこのどなたか存じませんが、読者の皆様、今年もよろしく。
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