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いぶろぐ

3割打者の凡打率は7割。そんなブログ。

夜勤帰りのクルマの中で

2002-10-30 15:47:34 | いぶたろう日記クラシック
ラジオを聴いていた。
するとジョージ・ハリスンの遺作が本日オンエア解禁とかで、
たまたま聴く機会を得た。
厳密に言うと昨年11月に亡くなった彼が生前録音していたものを、
彼の息子がプロデュースしてアルバムにまとめたものだという。

じっくり、聴いた。
しかし、どうってことなかった。

ジョージといえばジョンやポール、リンゴとともに、
間違いなく世界の頂点を極めたバンドをやっていた人である。
その人が死を目前にして、
おそらくは彼の音楽的キャリアのすべてを動員して、
紡ぎ上げたであろう作品である。

このことを知った上で、ビートルマニアが聴いたならば、
なにがしかの感慨や感傷を得ることは出来るだろう。
しかし、俺は特別な思い入れはない。
残念ながら何も感じるところのない曲であった。

ビートルズという、もっとも多数の人が史上最高と認めるであろうバンドの一員の、
その最期の作品にしてこれである。
なのにこれっぽっちのキャリアで曲を作ろうとしている俺が、
何かものすごいものを生み出せるんだろうかと、
悲しい気持ちにもなった。

音楽というものは不思議だ。ごまかせない。
理屈なしにいいものはいいし、よくないものはよくない。
その基準が万人に共通でないというだけ。
美人の基準や異性の好みと似ていると思う。
俺から見たジョージの遺作はどこにでもいそうな感じだったが、
彼にしてみれば最期にふさわしい伴侶であったかもしれない。

その後流れたのは、アニメソング史上に残る傑作といわれ、
しかし未だ俺がきちんと聴いたことのない名曲、「海のトリトン」であった。
これはめちゃくちゃよかった。

誰がなんと言おうが、いいものはいい。
だめなものはだめだ。
つくづく。
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対峙

2002-10-26 22:45:29 | 似非哲学の部屋
音楽が無限の可能性を秘めたものだと信じていた時期もあった。
だからこそ無条件で情熱を注ぎ込んでこられたんだろうなと思う。
しかし音程や音色、アレンジ等による組み合わせは無限に近いかもしれないけど、
結局「心に響くかどうか」ということを考えたら、
生み出すことの出来る音楽というものは有限で、
そして既にその殆どは出尽くしてしまったのではないかと疑った時期もあった。
だからこそこうして苦しんでいるのだと思う。

単なる周波数の羅列に過ぎないはずのものが、何故にこんな力を持ちうるのか。
「ド」とか「レ」とか短音をただ聴いただけでは何も感じないのに、
どうしてそれが組み合わさると美しさを伴うのか。

また、
いい曲=今までにない新しい曲ではなく、
いい曲=どこかで聴いたような気がする曲。
それこそは一面の真実であり、つまらない現実でもある。
日本のヒットチャートなどを見ていると失望を通り越えて絶望的な気分にさせられる。
音楽の可能性とは一体どれほどのものであるのだろうか。

これが音楽と対峙するときの俺の思索だ。

音楽は「言葉」をも内包することによって「歌」となり、
より深く味わいのある感動を生み出すこともできる。
しかし、昨今の「ヒット曲」はこの「言葉」、
すなわち「歌詞」があまりにも軽んじられている。
有線で流れる曲、ちょっといいメロだなと思って聴いていると、
惨憺たる歌詞が曲の良さをぶち壊しにしていることが多々ある。
自分が音楽を創ることに携わる上で、もっともこだわりたいと思うのはここだ。
「歌詞なんかどうでもいい」
そううそぶく人間も少なくない。
しかし俺に言わせれば、それは歌詞の書けない人間あるいは、
いい歌詞を生み出すための苦労から逃げている人間の言い訳だ。
せっかくいい曲が生まれたのにクズみたいな歌詞を乗せちゃあ、
せっかくおいしい料理を作ったのに地べたに置くようなもんだ。
でも、現実に数字の出ているものを見ると、そういうものが無批判に受け入れられている。
それを根拠に歌詞なんかどうでもいいから売れ線のウケそうなのを書け、
という意見にふれるたんびにとても絶望的な気分にさせられる。

でも「本物」に触れた時、そういう迷いは吹き飛ぶ。
聴いたことがないのに、何故か耳に馴染みがいい。
確かな実力と練りに練られたアイデア、そして作品に込められた気持ち。
そういう作品やアーティストに出会うたびに、
まだまだいけるじゃないかとも思うのだ。
俺がSteven Tylerを神と仰ぐのはその超人的な才能や実力のみならず、
作品や姿勢を通して俺に希望をくれるからだ。

アーティストとは、とても不安定なところからメッセージを発することでこそ、
受け手の心の琴線に触れることが出来るのだろうと思う。
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宿命の対決

2002-10-25 02:43:44 | いぶたろう日記クラシック
阪神と巨人。
猪木と馬場。
鹿島と磐田。
翼と日向。

決して相譲ることのない、意地とプライドの激突がいくつものドラマを生む。
こいつにだけは負けたくない、
そんな一心が不可能を可能にし、互いを磨き合う。

実は俺の内部にもそんな宿命のライバルがいるのだ。

食欲と睡眠欲。
決まって寝る前のこの時間、なぜにこんな腹が減るのか。
食ったら結果は明らかだ。
翌朝の壮絶な胃のもたれ。
そして脂肪の沈着しやすい条件が体形の崩れをも招く。
かといって寝入ることもままならぬほどの猛烈な空腹感は、
食い物を口にせずしてそうやすやすと鎮められるものではない。

こんなとき、どうする?

俺は最近発見した。
みそ汁を一杯飲むと落ち着くのだ。
たいしたカロリーでもないし、胃がもたれるようなこともない。
それでいてぽかぽかとするのですいっと眠れる。

そんなわけで俺は今朝6時に起きてずーっとフルかいてんだったからきょうわちkりちゃったんだいそがしくてめしくうひまもなかたくらいなんさ。
んではらへてんだけどみそしりのんだりゃねむくなちたkらもうねる。
あしたわひさびさのきゅじつでからh
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やっぱし持ってやがった

2002-10-22 03:53:46 | いぶたろう日記クラシック
こわいよ~北朝鮮。
核爆弾持ってるんだってよ~。
やばいよ~。
これは幼稚園児に実弾入りのピストル持たしたようなもんだぜ。
かんしゃく起こしてめっちゃくちゃにぶっ放すぜ~。
こええよ~~。

俺、子供の頃から原爆とか水爆とか落ちる夢をよく見るんだ。
必死に逃げたり、小さな植え込みの陰とかに懸命に隠れたりしてんの。
あの恐怖ったらないね。
俺の育った大阪では「平和教育」と「同和教育(差別問題を考える)」がとてもさかんで、
道徳の時間は遊びじゃなくて、
「にんげん」という専用の教科書で勉強したんだ。
その教科書にはもう戦争の怖~い話と、
理不尽で陰惨な差別の話がこれでもか、ってくらいに詰め込まれてるのね。
まあ、インパクトも相当強かったけど、
あれぐらいの教育を子供の頃にしておくというのは大事だな。
おかげで俺、いわれのない差別は大嫌いだし、
戦争なんてこの上もなくキライだ。

「死にたくない」「殺したくない」てのは、人間として普通の感情だと思うんだけど、
それを集団的に強力に麻痺させちゃうようないろんな理屈があるんだよね。
「国のために死のう」とかさ。
「日本人の純血を守ろう」とかさ。
俺に言わせればさ、「国のため」とかいったって、
結局は政治家のためってコトになっちゃうんだよ。
一見、家族とか恋人とか親友たちを、
彼らと築いた社会を守るためかのように言われるけど、
でも戦争の原因を作ってるのは政治家だもんな。
なんであんな程度の低い中年オヤジの身代わりになって死ななきゃいかんのかね。
俺だったら家族親類友人みんなと一緒に逃げるね。 どこまでも。

「純血を」なんてのもおかしな話だよな。
日本人なんて元々起源からして混血なんだぜ。
そもそも男と女の血が交わらないと子供ができないんだから、
今の自分があるってコトは幾世代にもわたって何万という血筋が混じり合ってきたと言うことだ。
おかげでいろんな遺伝が伝わってるんじゃないか。
純血なんてもんにこだわってたら進化しないぞ。

それにしてもさ、やだねほんと。
核爆弾なんか落とされたら何十年もかけて作り上げた街も、
思い出のいっぱい詰まったいろんな風景も、
そこに住むいろんな人々のささやかな幸せも、
何もかもが一瞬で灰になるんだぜ。
まっぴらだ。

戦争で死ぬのなんて一番あほらしい。
参加もしたくないのに核で殺されるなんて冗談じゃねえ。
国のトップ同士でタイマン張って決めりゃいいんだ。
金正日と一対一でケンカだ。
向こうはおいそれと首脳変えるわけにはいかないだろう。
そこをついてこっちは猪木首相だ!!
さあ、覚悟しやがれ。



【2005年追記】
「オレは戦争になったら兵隊に志願して国のために戦うよ!」
とある知人はそんな風に語っては、悦に入っていた。
一種のナルシシズムだろうな、とは思う。
本当の戦場に出てもなお、そんなこと言えるんだろうか。
言えたら尊敬するよ。オレには無理だ。
世界がどうであろうとも、自分が死んだらそこまでだ。
だからオレは何よりも自分の命を大事にする。
そのことが他の命に対する思いやりにもつながるはずだ。
生きるために他の命を犠牲にしなくてはいけないという原罪、業も受け止めて、
理想と現実の上でバランスをとりつつ生きていく。
間違ってもこの知人のように、オレは甘美な理想のために現実を見失いたくは、ない。
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新たな血

2002-10-20 03:39:33 | Rebirth歴史資料館
今日は先日終了したラジオ番組の打ち上げだった。
ジュンイチ、おれ、イサキ、ディレクターとその知人。
例によって朝まで呑みつつ、色んなことを喋ってた訳だが、
これが実に面白かったのだ。
ボブサップからラーメンから清瀬からバンドまで。
特に朝方は、それまでの狂乱がウソのように熱くRebirth論を語り合ったのであった。
これが、よかった。
イサキというのは今まで色んな形でバンド活動を展開して来た人物で、
さまざまな体験から導かれる彼の持論はとても新鮮であった。
ネタばらししちゃうとつまらないので、それは今後の活動から汲んで貰いたいのだが、
メンバーが入れ代わり、新たな血が入ったことを実感した夜だった。

今までのRebirthに頑にこだわることなく、
柔軟に貪欲に新たな形を模索しようと思っている俺にとって、
新加入したメンバーが自分なりのアイデアを色々持ち合わせているというのは大変嬉しい。
もちろんこれから摺り合わせていく上で色んな衝突やすれ違いもあるだろう、人間だから。
特にイサキの場合は基本的にオレと考え方・価値観が何から何まで正反対だ。
しかし、根本に相手を尊重する気持ち、
議論での勝ち負けではなく相手に自分を理解してもらい、
自分もまた相手を理解することに主眼をおくこと、
これを忘れずにいればきっといいものが生み出せるに違いない。
彼がその点を十二分に知っている人であれば、 きっと新生Rebirthもうまくいくだろう。

バンドの中での議論において勝ち負けなど存在しない。
それは例えて言うなればドラクエの「さくせん」を決めているようなもので、
呪文を節約しながら命を大事にいろいろやってがんがんいこうぜ!って、
そんな全部は無理だわな。
だからその時々に応じて最適の作戦を選ぶべく論議が生まれるわけだけど、
魔法が得意な奴と打撃が得意な奴と金儲けが得意な奴とでは、
当然見方考え方捉え方が全て異なってくる。
力任せに剣でモンスターをぶった切る様な奴に、
呪文を必死に覚えて非力をカバーして戦う奴の気持ちなんて、
すぐにはわかりっこないからね。

でもパーティの目的は「大魔王を倒すこと」で一致しているわけで、
ある一つの段階においていかなる作戦を採るかを探る議論においては、
勝ちも負けもありゃしないのだ。
誰かの唱えた作戦がダメだったら、また違う作戦を練ればいいんだし、
ダメだったからと言ってその作戦の提唱者が誹りを受ける理はないのだ。
だってそいつはそいつなりに、パーティのタメを思って、
そいつに考えられる最善の策を提供したのだから。

時期やバンドの進展段階なども大きく作用するでしょう。
今までは色んな街やダンジョン回って宝探ししてたけど、
新しい武器買う金貯めるために、しばらくはこの街の周りで雑魚倒してようぜ!
とか。まさに今のRebirthだな。

俺はバンド内におけるいかなる議論についても、
そういう感覚で捉えている。
俺に用意できるベストの策を進言すればいいのだ!と。

そして12/7がまた1日近付いたのであった。


【2005年追記】
まあ、今読むと涙がちょちょぎれそうな日記である。
結論から言えば、「その点を十二分に知っている人」ではなかったわけだね。
ただの精神論好きな頑固親父だったわけだこれが。
何かってーとすぐキレてみせるしね(笑)。

この日記を書いた時点では不満に思っていても書くわけにはいかず、
なんとか呑み込んでいるのだけれど、
実はこの夜も、オレは彼に一晩中否定されっぱなしだったのである。
いわく、
「イブキの歌詞は難しい言葉が多すぎて誰にも解らない」
「もっとアホな女子高生にでも解るような歌詞を書かないとプロじゃない」
「嫌なことでもやるのがプロだ、やりたいことしかやらないというおまえはアマチュアだ」
「オレはずっと業界を見てきた、オレの言うことは絶対正しい」
「イブキのMCなんてお笑い芸人のそれには絶対叶わないし、そのせいで離れている客もいるはずだ」
であった。

よく考えてみれば、このときから同じこと言われてたんだな(笑)。
妙に「業界での経験」を自慢げに語るのも同じだ。
当時もよく知らないながら、ずいぶんとんちんかんな思い込みを、
一方的に決めつけて言う人だなあとは思ったが、
下手なこというとまたメンバー探しに行かなきゃいけねえしな、
と思い、おとなしくしていたのである。

思えばこれが間違いだった…。

ちなみに、彼のこのオレ評は最後まで変わらなかった。
この一点だけを見ても、
バンド内の相互リスペクトなんて最初から無理だったのである。
このときに気づいていればなあ。

あ、オレ、正直に書きすぎ?(笑)
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物差しで測るグローバリズム

2002-10-17 03:21:32 | 特選いぶたろう日記
今日はリハがお休みなんである。
すんすけ先生が実家にお帰りになったのである。
彼の実家といえばいわずと知れた沖縄である。
これが普段我々が思ってるより相当遠い。
どれだけ遠いか気になって来たので、地図帳を引っ張り出してみた。

二宮書店の「現代地図帳」である。
ウラには「近藤さやか」と書いてあるところを見ると、
妹の高校時代のものであろう。
生意気なことにドイツが一つである。
ソ連もちゃ~んと消滅している。
ナミビアも独立しているし、バルト三国もある。
俺の高校時代の地図帳は改訂が間に合わなかったので、現代に即した地図帳というのは大変新鮮だ。

地図っていいよね。俺大好き。
地図帳1冊で1~2時間はヒマ潰せるなあ。
なんか夢が広がる気がするよな。
国境なんて人間が勝手に引いただけで、
地球レベルで眺めるとみんなおんなじだってのは強く感じるなあ。
想像の中でこのへんだ、と思ってた国を意外と変なとこに見つけたりすることも多々ある。
コートジボアールとかトリニダードー=トバゴとか、
急にいわれてもどこにあるかわかんねえもんな。
パラグアイとウルグアイとか、アルジェリアとナイジェリアとか、
どっちがどっちかよく解ってなかったりするでしょ。
フランス、イタリア、スペインというとヨーロッパって感じでしょ、
モロッコ、アルジェリア、リビア、チュニジアって聞いたらアフリカよね。
でもこの国々は地中海挟んでお隣なんだよね。
日本と中国、ロシア位の距離。
スペインとモロッコなんか目と鼻の先。
九州と韓国どころか、新潟と佐渡島くらいの距離なんじゃねえか?

いや意外。
地理専攻の奴からしたらこういうリアクションは笑えちゃうんだろうけど。
地図帳は思い込みやイメージを一気に修正する、実に気持ちのよいアイテムだ。

さて、沖縄である。
え~どれどれ、地図上の3センチが300キロに相当...と。
うおっ!!
と...遠い。これは遠すぎる。
直線距離でも2000キロ近くあるぞ。
飛行機ルートで行けば福岡までが900キロ、そこからさらに900キロだ。
福岡が中間地点だったなんて。

「ヨナハラ選手、いよいよ福岡ですね!」
「いえいえ、まだこんなのは通過点に過ぎません」

納得のコメントである。
沖縄からは九州より台湾の方が近いというけど、本当だったんだなあ。
那覇から台北まで約600キロ、東京ー神戸間である。
まあ、その間海ばっかしというのがまた、想像しにくいんだけど。
ちなみに、東京から沖縄までの同じ距離を北に延ばすとどうなるか。
なんと、樺太まで届いちまうんである。
しかも北の先っぽの方だ。
札幌までは800キロだった。
まあ、いずれも地図帳の上に物差しちょこんとのっけて概算しただけだから、
正確な数字とはいえないんだけれど。
ちょっとびびった。
案外広いんじゃん、日本。

ところで。
地図だけでは解らないものというものがまた確かにある。
行ってみて肌で感じて初めて実感として解るのだ。
北海道の例でいうと俺はかつて、札幌ー函館間を車で往復したことがある。
近いと思うだろ?東京ー横浜位だと思ってるだろ?
北海道をなめちゃいけねえ。
なあんと片道たっぷり300キロだ。
名古屋まで行けちゃうんだぜ。
標識見たときはぶっとんだぜ。

初めて北海道へ行ったとき、大阪や東京だけで日本を解った気になっちゃあいけねえな、と痛感した。
沖縄もまた然り。色々と話は聞くが是非一度肌で感じたいものだ。

すんすけ!今度俺もつれてけ!!
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君はボブサップを見たか

2002-10-16 03:17:18 | いぶたろう日記クラシック
とんでもない奴が現れた。
その名はボブ=サップ。
身長2メートル、体重170キロの豪傑ファイターだ。
とにかく、何もかもが規格外れ。全身が筋肉の鎧なのだ。
しかも、ただの巨漢ではない。
ついこないだまでトップアスリートの集団であるNFL(アメフトね)の選手であった彼は、
なんとその巨体で100メートルを11秒台で走るのだ。
とにかく見たことない人は、一度その姿を目にしてほしい。
俺だったら例え拳銃持ってても奴とは絶対にケンカしない。
ボブサップと対戦した連中はバンジーやスカイダイビング以上の勇気の持ち主だ、尊敬する。

そんなボブサップ、今までどんな試合をしたかというと。
まずはK-1で中迫という日本人でそこそこ強い奴とやった。
ボブサップの前評判は、その巨躯とパワーはともかく、
テクニック的には素人同然のため、負けないまでも苦戦するだろうという見方が多かった。
試合の結果は反則負け(反則を犯した方が負けることね)。
しかし勝負として見た中身は圧勝、大人と子供の喧嘩だった。
「蟷螂の斧」という言葉があるが、文字どおりカマキリ対ゴリラだった。

相手がダウンしたり、ゴングがなったらすぐ攻撃をやめるというのが絶対のルールだが、
彼はこの枠にも収まらない。
それをやっていいのは猪木だけ、もとい、プロレスだけだ。
ひたすらぼっこぼこ。中迫の攻撃はまったく効かない。
このため、反則行為ばかりが注目を集めてしまい、
K-1ファンの反感を一身に集めてしまったが、彼は悪びれた様子も全くない。
どころか、自らに期待されている通りの悪役キャラを演じきっているのだ。

次の試合はプライドという総合格闘技の場であった。
「総合」とは、要するにパンチキック寝技何でもありである。
急所攻撃と目潰し以外は基本的に何でも認められるというルールで、最近流行りの試合形式だ。
ここで、ボブサップの真価が爆発した。
相手は「人類最強」とまで呼ばれたアントニオ・ホドリゴ・ノゲイラという、
ブラジリアン柔術の達人である。
これに格闘技は素人同然のボブサップが挑む。
勝負やいかに。
観客みんなが度胆を抜かれた。
ノゲイラの攻撃がなにも効かないのだ。
マホカンタ状態、いやアストロンといっても過言ではあるまい。
しかもノゲイラは頭からさかさまに落とされたりして、危うく死ぬとこだ。
結果こそ、一瞬の隙をついてノゲイラがボブサップの腕間接を極め、
ノゲイラの勝利に終わったが、試合後の両者の様子からするとおおよそ勝敗は逆に思えた。
「わぁお~、信じられないよ~ボブ~」
深夜の通販ならずとも、こう叫んでしまいたい程の非常識な強さだ。

そして先日のK-1。
K-1最強最高のテクニシャンにして、過去3度の優勝を誇り、
ミスターパーフェクトと異名を取るアーネストホーストとの一戦だ。
前評判ではホースト有利だった。
あの完璧な技術の持ち主が素人相手に負けるはずが無いと。
ホースト大好きな俺もまた、彼の勝利を信じて応援した。
ところが。
ボブったら勝ってしまったんである。
序盤こそ、ホーストのローキックに足を封じられたが、
突如突進したかと思うとあとは左右交互に猛然とパンチを打つのみ。
それだけで、勝ってしまったんである。
正確には、ホーストが右目まぶたを大きく切ってしまったため、
流血が止まらず、医師が試合続行不可の判定を出したのだ。
ホースト自身はまだやれそうな感じではあった。
しかし、負けは負けだ。
呆気にとられた。
誰が勝てるんだこいつに。

続いて昨日は新日本プロレスで中西という怪力レスラーと試合をした。
ここで奴はなんと巨体を浮かせてドロップキックまで披露し、
まるで相手にしない感じで圧勝してしまった。
決着はキックで場外にふっ飛んだ中西のリングアウト負け(プロレスでは20カウント以内にリングに戻らないと負け)、
いささかプロレス色の強いラストだが、
とにかく彼はまた勝った。
しかも普通これだけの短期間に、
ルールのまったく違う試合を続けて行なうなど、考えられない。
ましてや相手はいずれも一流どころだ。
これは認めざるを得ない。
ただちにいくつもの記事をチェックし、ボブサップの何たるかを調べあげた。

結果、奴は相当なインテリであることが判明したんである。
アメリカの一流大で薬学を専攻してたらしい。
しかも、コメントがいちいち知性的だ。ユーモアのセンスもある。
おそらく彼はかなり頭がいいはずだ。
自分に求められているものが何か完璧につかんでいる。
テレビの前でりんごを握りつぶしたり、
対戦相手の名前の書いた紙をむしゃむしゃ食ってしまったり、
それらはいずれもインパクトを与えるための演出だ。

実は中西戦の前にテレビで彼の特集があって、
彼は動物園に連れていかれ、対戦相手を捜し求めてさまよい歩き、
ゴリラやゾウの檻の前で吠え暴れるというキャラを演じきった。
普通、バカにされてると思ってまじめにやりはしない。
ところが彼は真剣なのだ。
きちんとカメラの前で期待通りの姿を見せてくれるのだ。
これは本物のプロだ。
しかも、檻の前で勝ち誇っているところに、
スタッフが中西の写真パネルを持ってくると、
とたんに「ナカニシ~~!!」と雄叫びをあげておもむろにシャツを脱ぎ、
パネルをびりびりに引き裂いてしまうという演出付きだ。
何度も何度も律儀にお約束を果たす。
おまけに一人二役で
「おい中西、負けを認めるか?」
「ハイ~ボクノマケデス~(裏声で)」
「俺が最強のチャンピオンだな?」
「ハイ~アナタサマハ最強デス~」
などとミニコントまでやってくれるんである。

気に入った!!!!

このプロ根性には脱帽だ。
しかも文句無しに強いんだ。応援することにした。
みんなもボブを応援してやってくれ!
ホースト戦で圧勝しながらも、心ないK-1ファンのブーイングを浴びてしまった、
可哀想な彼に熱い声援を!

ひとつ、とっても驚いたことが。
なんと奴は、俺と同い年なんである。
阪神今岡、巨人松井、ミルコクロコップ、そしてボブ。
う~む。
うう~む。

俺も頑張らねば。


〈2005年追記〉
いまや誰もが知るところとなったボブサップ。
彼の登場に限りない可能性を感じた俺の熱き文面がまぶしい。
その後伸び悩んでいるサップだが、きっとまた度肝を抜いてくれるだろう。
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親友の結婚式に出た

2002-10-15 01:52:31 | いぶたろう日記クラシック
高校時代一緒にバンドを組んでいた親友の結婚式に呼んでもらった。
初の経験である。
幼い頃、親に連れられて親類の結婚式に出たことはあるが、
成人してからの結婚式出席は生まれて初めてだ。
緊張した。
てか、何をどうしたらいいのかさっぱり解らん。
なんせ、マナー云々以前に俺、ネクタイがひとりで絞められないのだ。
だいたい、ネクタイってなんだ?
何の役に立つんだ、こんなもん。
曇ったメガネが拭けるでもなし、こぼれたスープを拭くわけでなし。
そもそも、息苦しい。文字通り、俺は苦しい。
肩も凝る。「締める」と言うより「絞める」が的確だ。

さておき。
そういうフォーマルな場に出たことがなかったんですよ。
どんな格好で、何がタブーで、ご祝儀はどれくらいか。
サングラスは失礼じゃないか、アクセサリーはいいのか。
いつもは母のりこに教えを乞うのだが、あいにく留守。
やむなく田舎の叔母に電話して訊くというていたらくだ。
叔母もいい迷惑だ、てか情けないな~てなもんだろう。
でも、快く教えてくれたのでそれに従った。

さて、いぶたろうといえば遅刻で有名である。
それはもう、青森といえばりんご、大阪といえばたこやき、
宮崎ピーマン茄子高知、遠州浜松うなぎパイ、
越中富山の薬売り、鼻くそ丸めて万金丹、
てなくらい俺の代名詞である。

この日も、やってしまった。

言い訳させてほしい。
この日は表参道で朝11時からの式で、自宅を9時45分に出れば間に合った。
俺は9時35分には準備をほとんど完了し、残す作業はただひとつ、
これさえ済めばいつでも家を出られる状況であったのだ。
このたったひとつの作業のために、液状化現象を起こしたかのごとくズブズブと足を取られ、
遅れる羽目となったのである。

ネクタイだ。締め方わからん。

自分で試行錯誤して、色々やってみるも長さがどーにも合わない。
鏡の前で悪戦苦闘すること45分、しまいにゃ左手がつった。
左手の犠牲と引き換えにようやく結べた頃には遅刻確定である。
情けない。。。むしろ俺が嫁さん欲しい。。。

そんなこんなで家を出る。
暑い。とにかく暑い。
裾をズボンに入れ、ボタンを上まできちんと閉じるなんて何年ぶりだろうか。
スーツもネクタイも結婚式と葬式でしか着たことない。
スーツは弟の借り物である。おいそれと脱いでしわにはできない。
慣れないネクタイが何とも息苦しい。文字通り俺は…って2度目か。
羽生善治をもしのぐであろう俺の奇跡の一手でかた~く結ばれたネクタイは、
一度外そうもんならもうニ度とは戻らない代物である。 ガマン大会。
行きの電車の時点で既にだいぶ参ってる俺。
これ、電車空いてっからまだいいけど、
サラリーマンは毎朝こんなカッコで、 満員電車に揺られているんだねえ。
考えただけで気が狂いそうだ。 ありえん。

そうこうしてるうちに会場到着。
神父さんの元で新郎新婦が誓いを立てている。
俺はキリスト教は嫌いだが、なんだかとっても厳かだ。
壇上の二人は輝いて見える。
今日ばかりはくだらんケチを付けることなく、大きな拍手を送った。
披露宴でも、会社上司という肩書きの人にありがちな、
会社の宣伝とよくわかんないオヤジギャグに耐え、忍びきった。
新婦の大学恩師は新郎の名前「剛=つよし」をスピーチで最後まで、
「タケシさん」と言い切ったツワモノだ。
教授予習せずの巻。

俺の周りの友人はやはりバンドマンが多いため、
あんまり結婚式というものに縁がない。
バンドマンというのは基本的に自由で気ままな、
言い換えれば不規則で不安定な日々を送っているため、
ともすれば世の中の一般的なシステムや作法や常識にも疎くなる。
会社にも勤めないから接待や表面上の付き合いというものにも理解がないし、
社会人の必須アイテムであるところのスーツやネクタイにも縁がない。
さらには反骨精神だけは旺盛であるため、
既存の体制や権威や慣習や形式といったものに、
無条件でアレルギー反応を示してしまうのだ。
果ては納税や年金や保険すらも満足にこなせない者も多く、
冠婚葬祭など理不尽なまでの形式縛りの場に至っては、
硬直を通り越して石化してしまう向きも多かろう。
とはいえ俺も(それでも幾分かは常識的な方だとは思うが)
またご多分に漏れず、
そんな非常識かつ反抗的バンドマンの一人なわけである。

そんな俺にとって今回の体験は、
「結婚式」という形式主義の最たるものに触れ、
その実体を理解するといういいきっかけといえた。
それまで俺の想像の中にあった一般的な結婚式といえば、
当事者ふたりというより、
むしろ会社のお偉いさんやら微妙な親類やらのための、
色んな事情や気遣い、思惑などが
とてもいやらしく絡み合うイベントに思えてあまり好きではなかった。
形式と偽善だけのイベント。ムダにお金絡むしね。
あれは何年前だったか、ラジオ番組の打ち上げで、
「結婚式って泣けるよね~」などと、
まるでドラマや映画かの如く語る女ディレクターと
それに解ったふうにお追従の相づちを打つ
某バンドの某ドラマーとのあまりにクサイ会話に、
「これ見よがしに泣いてるのはウソ臭い。感動しなきゃいけないみたいな空気に合わせて泣いてんだか、単に何でもいいから感動したがってるだけなのか、わからん。結婚式で純粋に泣ける人間なんて限られてるはずだ」
と言ってのけて煙たがられたこともある。
実際、あまりにもうさんくさくて突っ込んだだけなんだけど、
俺の側にも結婚式に対する偏見があったのには違いない。

それが、親友の式を実際に見たことで少し変わった。
人によってはこういう温もりの伝わるのもあるんだと知った。
いいものをいっぱい見せて貰ったのだ。
じわっと胸の底がぬくもった、印象深いシーンが幾つか。

ひとつは、新婦のご家族がピアノと歌でお祝いをしているときの、
それを会場の隅で見つめている車椅子のおばあちゃんの本当に嬉しそうな笑顔。
顔を輝かせて喜んでいる彼女の姿には、なんとも心を揺さぶられた。
ひとつは、新郎新婦の両親への感謝の言葉のとき、
その答礼で「新婦の」父が、
十年前に新郎の父が急逝したことに触れ、
思わず言葉に詰まり号泣してしまったこと。
彼が新郎の父に会ったことのあるはずもなく、
結婚という縁がなければ全くの赤の他人なわけだ。
それが、「この姿を見せてあげたかった」という、
子供が結婚する歓びを今まさに味わっている同じ親としての立場から、
心からの同情を涙にして表したのだ。
本当にいい人なんだなあと思った。
それ以上に彼が新郎に対して抱いている気持ち、
義理を越えた実の家族同様の思いやりや優しさ、
そういうものがひしひしと伝わってきた。

そんな中、新郎がお母さんに捧げた言葉。
「お父さんが亡くなってからも、何一つ不自由に思ったことはありません」
これを言い切った彼の姿はとても格好良かったし、本当に立派だった。

そんなわけで、
安っぽいとって付けたような「感動」が大嫌いな俺が、
24時間テレビとかやるたんびにキレちゃう俺が(見なきゃいいのにね)、
素直に感動してしまったんである。
これは本物である。
随所でこの二人ならではの「らしさ」が感じられたことも大きかった。
苦しい懐事情ではあるが、
ご祝儀は借金せずにちゃんと自分の給料からひねり出した。

やはり他ならぬ親友である彼の結婚式であったということ、
これはとても自然に色々な思い入れが湧いてくるので、
形式だの何だの、余計なことは何も考える隙間がなかった。
同席した高校の同期達は、
会社の付き合いなどで結婚式も普通に出席経験があり、
聞けば俺が想像していたような堅苦しい結婚式というのも少なくないそうだ。
しかし本人達と周りの人々の人柄であったり、
結婚する当事者と出席する自分との距離や関係、
そういうもの次第で色んな結婚式があるのだという。

なるほどねえ。

まあとにかく、実に素晴らしい結婚式だった。
めいっぱい大きな拍手を何度も送らせてもらった。
初めて出た結婚式が彼等のもので本当によかった。

しかし「つよし」よ、
思い出写真のコーナーに俺たちのやってたバンドを出すのはいいが、
なぜに俺が頭剃られた直後のとか、
俺が中指おっ立ててるのとかをチョイスするのだ。

んなろ。

お幸せに。


ーーーーー
(2005年追記)
彼もいまや一児の父。子供がかわいくて仕方ないという。
彼を筆頭に高校時代の親友たちがここ数年で次々と結婚し、
もはや独身は俺とF本くらいのものとなった。
市場の評価としては俺とF本は同じくらいというわけだな。
やっぱり、いーかげんなやつが売れ残るんだなあ(笑)。
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さぼりぶた

2002-10-07 22:47:38 | いぶたろう日記クラシック
リハをさぼってしまった。
いや、わざとじゃないのよ、わざとじゃあ。
ホントは今日野球の合宿があるはずで、リハをお休みさせてもらったのね。
そんで、俺はてっきりリハ自体をなくしたもんだと思ってたわけ。
そしたら演奏だけでも合わせておこうよと、
俺なしでちゃ~んとリハに入ってたわけ。
しかもこないだのファックな台風のあおりを食って、合宿は中止になってたわけ。
いぶたろうそんなことはつゆとも知らず、 呑気に合宿代わりのイベントに行っちゃってたわけ。
夜、上機嫌で帰って来たらシュンスケから着信留守電あったわけ。

「今日、一応息吹の他はスタジオ集まってるんで、もし合宿ないんだったら来てちょーだいねー。」

マズいわけー!

慌ててシュンスケに電話して事情を話し、謝った。
そんなこったろうと思ったよと、案外すんなり勘弁してもろた。
理解があるというか、俺も読まれてるというか。
結果としてさぼっちまったんである。
常日頃から、
「バンドマンなんてバンド一生懸命やらないならタダのクズ」
と公言してはばからない俺、
そこはかとない罪悪感。。。

まあ、さておき。

ちょいと出かけた先にペルシャ絨毯の店が出てたので見て来た。
アジア衣料などでよくある、2週間限定出店形式だ。
イランの人が二人で運営していたが、
店主と思しきひとりは奥でお客さんと商談をまとめていて、
もう一人の感じの良い兄ちゃんが流暢な日本語で俺に色々話してくれた。

ペルシャ絨毯というのは世界的にも有名で、
全部手織り/手染めの至高の芸術品だ。
お値段も相当なもので、安いものでも20万強、
高いのだと350万とか600万とかザラなのだ。
これホントに全部手で織ったのか?と思う程、
じっつに細かく美しくデザインされていて、
アジア大好きの俺にとって魅力的な逸品たちである。

感触も厚手でフカフカだ。
もともとは放牧などを生業とする、
野外で巨大なテントのような住居に住む人々の知恵で、
地面にこの絨毯を敷き詰めたり、壁に吊ったりすることで、
寒さを凌げるのだという。
見れば見る程、深みがあって惹き付けられる。

欲しかった。
欲しかったんだ。

でも買える訳ねえじゃん。
不況に沈む昨今にあってもなお、金持ちってのはいるもんで、
この店でも金持ちから電話があって、
3~4枚ぽいぽいっと買ってったのだという。
総額900万円。 俺の自給1200円。
7500時間程働けば買える計算である。
毎日毎日10時間働いても2年かかる。
2年働いてカーペット3枚だ。
泣けて来た。

こみあげる涙を拭きつつ、
色んな話しをしてくれたイラン人の店員に感謝の気持ちも込めて、
ちょっと良い感じの腕時計があったので買ってみた。
2980円。これなら3時間でおつりが来る。
消費税込みで3000円にしてくれた。
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戦後最大級とかいう

2002-10-02 23:43:08 | いぶたろう日記クラシック
ものすごい台風が来ると言うので、
いい大人がはしたない、と思いつつ、
ついつい「期待」してしまっていたのだが、
いつもとそんなにかわんない普通の台風だった。
とはいっても、台風が来ると言われても安穏としてられるのは、
さすがに21世紀の建築技術と治水技術のおかげであって、
たまたまそれらが完備されたとこに住んでいるから、ということでもある。
洪水なんて自分の住んでいるところで起きるとは思いもしないが、
よく考えてみれば、あれだけの水が降り注いで、
地表のどこにも溜まってないなんて方が不思議なのだ。
川が氾濫しないように築かれた堅固な堤防も、
高度成長後の日本の、
しかも都市部に住んでいるからこそ「当たり前」なんであって、
それ以前では我が江戸川区でもしょっちゅう洪水が起きて大変だったと言う。
腰まで浸かって行き来して、舟で避難したんだとか。
自分が当たり前だと思っていることの中に、
感謝すべき諸々が詰まっているものだなあと思う。

それにしても、土砂崩れや川の氾濫の被害に遭われた方はお気の毒だが、
毎回毎回決まって、自ら死にに行くようなのがいるのが見逃せない。
防波堤へ荒波を見物に行ったとか(おおよそ防波堤の存在意義を理解してない)、
チャンスとばかりにサーフィンしにいったとかで、
波に呑まれて死んでいくヤツが必ずいる。
まあ、それも含めて自分の人生だ、勝手っちゃあ勝手だが。
他人に迷惑のかかる死に方はよくないよな。
あれ、捜索しなきゃいけなくなった方はいい迷惑だぜ。

今日は晴れた。
海が生け贄を吸収して、気が済んだのだろうか???
なんて怖いことを考えてしまう。
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