いぶろぐ

3割打者の凡打率は7割。そんなブログ。

それは理想じゃなくてサクセス欲だよね

2020-06-08 22:55:36 | 超・いぶたろう日記
自分の中に「何か言いたいこと」が軸としてあって、
さりげなく色んな実例や逸話、
名著や名言などを引いてくる人の話には惹き込まれるし、
深い教養も感じられて憧れや尊敬の念を抱く。

でも、「言いたいこと」以上に、
自分自身の箔付けやアピールが目的化してしまっている人は、
リスクを嫌ってか自分の中から出てくる言葉がない。
他人のフンドシで完結してしまう。
だからせっかくの名言や名著も高尚な学説も、
空虚なアクセサリにしかならないのが残念だ。

着こなし方やその人の個性よりも、服のブランドとか価格を見て欲しくて、
まるでタグがついたまま服を着込んでいるようなものだ。

そういうのがセルフブランディングだと信じる価値観もあるのは否定しないし、
投稿なんて好きにやればいいと思う。
わざわざケチつけにいったりもしない。
だけど、そういう人のことはあんまり「お洒落」だとは思えないし、
魅力も感じられないんだよね。
ごめんねー。

引越して1週間

2020-06-07 22:51:55 | 超・いぶたろう日記
近隣のご挨拶も済み、住環境もさることながらお住まいの方々も穏やかで、
子供と安心して暮らせる町だと判る。
引越してよかった。

NURO光の導入を決めるも、工事はまだ1週間も先。
当座を凌ぐためのレンタルWi-Fiは予想外に使えず。
4Gの方がはるかに速いんだもんなー。

というわけでネットもテレビもない1週間は、予想外に快適。
静穏なのが実にいい。
地上波だけでも繋ごうかと思ったけど、
むしろ地上波だけならテレビなんて無くてもいいかなと思うに至る。
ひかりTVのコンテンツもおおよそ一周した感があるので、
もはや嫁のグリーンチャンネルにしかその存在意義を認められなくなってきた(笑)。

とはいえ、
あとちょっとしたら息子がアンパンマンやらトーマスやら見たがるのか…。
そうすると捨てるわけにもいかないのかなーと。
個人的には松本零士で育てたいのだが。

話変わって昨日また皮膚科へ行った。
初回の足の裏の液体窒素治療があまりに痛かったので憂鬱だったのだが、
今回はもう足の裏も首のイボも全然平気だった。

さておき、待合室の元ヤンママみたいのが実に不愉快だった。
子供3人、1人は生まれたて、大変なのはわかるけど、
男の子への当たりがキツすぎて傍目に見ていて気の毒だった。

「さわんな!さわんなっつってんだろがよー!」
「騒ぐんじゃねーよ、外行け外」
「はぁ?マジ〇〇なんですけど、うぜーな」

スマホをいじりながら、男の子の方には一瞥もくれず、
ひたすら聴くに耐えない怒声を浴びせている。
別にそんなヤンチャでもない普通の子。
病院の床に一度寝そべったのが母親にはいたく気に入らなかったらしく、
そこからはもう寄るな触るな汚いとバイ菌扱い。
男の子は泣くと怒られるので必死に耐えながら、目に涙をいっぱいに溜めている。
叱られているというよりは嫌われているとしか思えないだろうな。
一方の女の子はそんな彼の些細な落ち度を見つけてはせっせと母親にご注進。

日々これじゃあ男の子もキツいよなあ。
そしてこういう扱いしてると、十数年後に親に跳ね返ってくるんじゃないのかなあ。

ともあれ、僕もそんなに立派な親じゃないけれど、
息子と一緒に病院で「痛いよー」「怖いよー」って泣ける父親ではありたいのだった。
息子に慰められたりしてさ。

生きることに必死なのかな

2020-06-06 23:43:48 | 超・いぶたろう日記
聞こえのいいキレイなフレーズや、
さも物が分かった顔ができるナントカの法則だのモデルだの、
どうでもよくないか?

ちゃんと自分の頭で考えて絞り出した自前の言葉で、
リスクをとってでも自分の理想語ってみろよ。
否定も反論もされない安全地帯から一歩も出ずに、
他人の受け売りばかりで自分を飾り立てるの、カッコ悪いぜ。

自分に軸がないから、他人の褌をあてにするんじゃないか?
実は自分に理想なんかなくて、あるのはステイタス欲かサクセス欲、
あとはナルシシズムだけなんじゃないか?
他人の言の引用と自撮りとハッタリばっかで埋め尽くされるなんて、
空しくならないのか?

いつも誰かにカブれて、エラそうなこと言うけど、相手選んでちゃあね。
勝てそうな相手は見下してシカトして、
肩書のある人やカネになりそうな人には、おべんちゃら言ってご機嫌とって、
昔はそんなにカッコ悪いヤツじゃなかったけどなあ。
すべてが営業トークみたいで、嘘くさいよ。

いったいこの間、どこで何を見てきたんだい?
そんなんで、賢くクールに生きてるつもりなのかい?
僕の声が届くこともないんだろう、ものすごく残念だよ。

緊張と緩和

2020-06-05 23:46:18 | 超・いぶたろう日記
古今東西、名作といわれる文学作品や映画、
傑作といわれるゲーム、名人と呼ばれる話芸、
それらに共通しているのは、
「緊張と緩和」が絶妙なバランスとタイミングで織りなされることだろう。

緊張は死の恐怖や生命の危機に通じ、
緩和はそれを脱して安全に戻ってこられた安心に通じる。
生あるものの根源的・本能的な部分だ。
つまり、すぐれたエンタテインメントは、
リアルな人生の縮図というか模擬演習でもあるわけだ。

実際の人生とは違って映画や小説なら、
他人の成功や失敗に自分を置きかえて考えることでシミュレーションできる。
遊びやゲームなら失敗しても致命的なことにはならない。
いくらでもやり直せる。
だから、エンタテインメントに通じ、よく遊ぶ人こそが、
人生の達人なのかもしれない。
遊ぶように学び、遊ぶように働き、遊ぶように生きている人はしなやかだ。
決して折れてしまうことがない。

そして楽しく遊ぶには、本気でとりかかることが大事だ。
いい加減な気持ちでやったって面白くもなんともないし、得るものも何もない。
本気なんだけど、一方で多少の遅れなんていくらでもカバーできるし、
人と比べたって意味はないし、失敗したってまたやり直せばいいだけさ、
という心のゆとりを携えている。
そこがいざというピンチの時に活きる。

他人がどう思おうが、自分は大まじめに、思い切りふざけて、
楽しく遊ぶように生きていく。
どうやらそれがやっぱり正解なんだなと、最近確信に至った。
これからも息子や生徒たちに体現できるといいな、と思う。

四半世紀前の面影やいずこ

2020-06-01 09:43:10 | 超・いぶたろう日記


引越中、預かってもらった息子を迎えに行った母の家で発見。
時に西暦2000年2月6日。
25歳の誕生日、渋谷でのライブに母をご招待。
たしかライブ後にファンの子が撮ってくれて、
あとで額に入れてプレゼントしてくれた1枚。
思えば僕の好き勝手ワガママやりたい放題の人生、
すべてこの人の太平洋と見紛うばかりの広すぎる懐のおかげです。