どうも変だな?と思って声をかけ、話を聴いてみる。
生徒の活動パターンがイレギュラーになっている、
または明らかに生活リズムがおかしい、
さらにはやるべきことがほとんどやれていない。
そんなときは、まず間違いなく家庭に何らかの問題があり、
保護者の管理・監督がおろそかになっている。
ネグレクトとまでは言わなくとも、
少なくとも保護者の興味関心が子供に向いていない。
それが単なる親のエゴであれ、
多忙や単身赴任などの時間的・物理的な理由であれ、
「誰にも関心を払われていない子供」は糸の切れた凧。
どこへゆくかわからない。
ほとんどは自身の未熟で安易な判断で、
ラクな方へ流れ流されてゆく。
将来の可能性もどんどん喪っていく。
「親なんか関係なく、おれは自力で自分の道を切り開いたよ」
なんてうそぶく人もいるが、
それは陰に陽に見守ってくれた大人の存在を都合良く忘れているか、
単にラッキーだっただけ。
子供には大人が必要なのだ。
ちゃんと耳を傾け、理解してくれる大人が。
憧れ、手本になってくれる大人が。
危険から護ってくれる大人が。
本気で叱ってくれる大人が。
無償で愛してくれる大人が。
家庭も学校もその役割を果たせないというのなら、
僕らがやるしかないじゃないか。
学習塾としてそこまでやるのが正しいのかどうか、そんなことは知らない。
ただ、僕はそこまでやるし、ウチはそういう教室でありたいというだけ。
だって子供達にとっては、僕らもまた斉しく「先生」なのだから。
せめてその呼称に込められた期待に相応しい存在でありたいよね。
生徒の活動パターンがイレギュラーになっている、
または明らかに生活リズムがおかしい、
さらにはやるべきことがほとんどやれていない。
そんなときは、まず間違いなく家庭に何らかの問題があり、
保護者の管理・監督がおろそかになっている。
ネグレクトとまでは言わなくとも、
少なくとも保護者の興味関心が子供に向いていない。
それが単なる親のエゴであれ、
多忙や単身赴任などの時間的・物理的な理由であれ、
「誰にも関心を払われていない子供」は糸の切れた凧。
どこへゆくかわからない。
ほとんどは自身の未熟で安易な判断で、
ラクな方へ流れ流されてゆく。
将来の可能性もどんどん喪っていく。
「親なんか関係なく、おれは自力で自分の道を切り開いたよ」
なんてうそぶく人もいるが、
それは陰に陽に見守ってくれた大人の存在を都合良く忘れているか、
単にラッキーだっただけ。
子供には大人が必要なのだ。
ちゃんと耳を傾け、理解してくれる大人が。
憧れ、手本になってくれる大人が。
危険から護ってくれる大人が。
本気で叱ってくれる大人が。
無償で愛してくれる大人が。
家庭も学校もその役割を果たせないというのなら、
僕らがやるしかないじゃないか。
学習塾としてそこまでやるのが正しいのかどうか、そんなことは知らない。
ただ、僕はそこまでやるし、ウチはそういう教室でありたいというだけ。
だって子供達にとっては、僕らもまた斉しく「先生」なのだから。
せめてその呼称に込められた期待に相応しい存在でありたいよね。