いぶろぐ

3割打者の凡打率は7割。そんなブログ。

親心

2020-09-24 23:05:08 | パパと呼ばれて〜親バカデレデレ日記
息子が次々と「初めての○○」を達成するので、
何とか記録に残そうとカメラを向ける。
息子にしてみれば何もかもが新鮮なチャレンジ。
記憶には残らなくとも、こういう写真が幸せな日々の証として、
いずれ大人になった息子の心を温かくする日もあるだろう。
いまの僕がまさにそうであるように。

親という生き物は、どうしてこうも世話焼きなのだろう、と思っていた。
子供が明らかにイヤがっているのに、手を出し口を出ししないと気が済まない。
あるいはもう自立を促さなければならない局面なのに、
あれやこれやと手を回し、お膳立てし、尻を拭く。
それを続けている限り、親離れなどできようはずもないのに、
親にはまったくといっていいほどその自覚がない。
なんならウチは放任ですなんて、悪びれもせず言い放つ。

そのくせ、まったくいつになったら手がかからなくなるのか…なんてコボす。
「手がかからない」=「親の思う通りに動く」だとしたなら、
そんな日は永久にこないと言っていいだろう。
あいつは生意気だ、社会で痛い目に遭って学べ…とかなんとか言いながら、
ちゃんと喰ってるのか、寝てるのか、体は大丈夫かと気を揉む。
まったく困った生き物だ、理解に苦しむ…と思っていた。

…自分が親になるまでは。

子供が何らかのトラブルやメンタル不調を抱えている場合、
経験的には体感8割程度、親子関係や家族の不和に大きな原因があるようだ。
(決して『親学』的な意味ではなく…僕はああいうの大嫌い・笑)
それがまた皮肉なことに、
親が余計な手出し口出しをすればするほど子供の心は離れていくし、
逆にまったくの無関心でいても子供は荒む。
親子関係にも様々あるし、万能の一手というものもない。
難しいのには違いないが、ともかく親の方から改善を図るしかない。
親からしたらすべて良かれと思ってやってること。
だけに、それが裏目に出てしまうことをなかなか認められない。
理屈ではわかっていても、自分の意にそぐわぬ子供の姿を見ると、
ついついうるさく言ってしまうのが性だ。

第三者から見ると実に理不尽な生き物なんだけれど、
いざ自分が親になってみると、何となくわかる気がしてくるから不思議だ。
ウチはまだまだこれからなんだけど、このわずか一年足らずの間にも、
親の思いとはどういうものかと、考えるヒントは色々得たように思う。

ついこないだまで、ウチの子はミルクしか飲めず、
寝てばかりで、寝返りさえ打てなかった。
抱っこして子守唄でも歌ってやればすぐに寝ついた。
…はずが、気がつけば歯が生えて、離乳食を様々に食み、
蒸しパンやバナナをねだり、自らつかんでかじり、
起き上がっては部屋中を這い、あまつさえ立ち上がる。
最近は横抱きにすると身体を捻じって嫌がる。
縦抱きで頭を肩に委ねて寝る。
日によってはベッドに転がしておいた方が早かったりもする。

わずか1年足らずの間にもこんなに変化がある。
同じ「赤ちゃんだから」という認識のままでは、
たぶん息子の意思とズレてしまうこともあるだろう。
ついこないだまでは…こうだったのに…とはいつも思う。

この「ついこないだまで」そうだったのに、という感覚が親なんだろうと思う。いくつになっても、たとえ成人しても、ずっとそれは続く。
だからいつまでもいつまでも気がかりで仕方ない。
そして子供の成長と親の認識がズレていく。

関係が良好な親子は、このへんの補正がうまいんだろうと思う。
親は子供を認めてみせ、子供は親を立ててみせ、
時折くだけた調子で互いの失策を笑い合う。
自然体でそんな風に成熟していく親子もまた、たくさん目にしてきた。
ウチもまたそうでありたいと思う。

親もまた、子供によって成長する…とはよく言われるところだけど、
本当にそうなんだろうねえ。
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わずか1日の出来事

2020-09-23 23:00:33 | パパと呼ばれて〜親バカデレデレ日記
・ベッドから自力で降りる
・引き戸の開け方に気づき、開けきる
・階段をすべて登りきる
・ベッドと同じく足から降ろせばいいんだとわかり、階段も降りきる

息子の成長ぶりに驚かされることしばしば。
まだ1歳前なのに…歩くより先に階段登りきるとは……。

他の子と比較して早いの遅いの言うつもりなんか毛頭なくて、
ただただ、ついこないだまで寝返りも打てなかったのに…という感慨。
こんな短い間にぐんぐん成長するんだなあと。

ふり返って45歳の我が身よ、この11ヶ月で君が何がどうなった?
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幸せの自覚

2020-09-19 05:36:26 | 超・いぶたろう日記
何というか、言い方が難しいんだけど。

たびたび書いているように、僕はとにかく運が強かったと思う。
とはいっても大金がドンドン入るとか、みるみる出世するとか、
そういうのは別にないんだけどね(笑)。

絶体絶命のピンチからスルリと逃れる。
普通なら誰もが陥る落とし穴に落ちない。
薄氷を踏んでいるはずなのに決して割れない。
振り返ると地雷原だったことに気づくことも多い。
交通事故にもよく遭って、片手に足りないほど救急車に乗っているが、
いずれもかすり傷程度で骨ひとつ折ったことがない。

あらゆる所で後先考えずぶつかって飛び出して、
その都度、気づけばもっと居心地の良い所へ辿り着いている。
欲しかったはずのものが手に入らなくても、
あとでちゃんとそれ以上のものを手にしている。

夢中になって追いかけていたもの、
実はそれが一時の錯覚やカン違いに過ぎなくて、
後でよーく考えれば、身の丈に合わなかったり、
無理して手に入れるようなものでもなかったり、
固執するほどのものじゃなかったと気づく。
むしろ、それを手にしていたら今頃相当面倒くさいことに…
…なんてことも多くある。

たとえて言うと内定もらえなかった会社が後で潰れてた的なことね。
僕は就活したことないんで、あくまで喩えだけど。
「幸運」というか「悪運」がやけに強いんだなあと思う。
たもとを分かった人たちの現況を伝え聞くにつけ、
我が身の幸運を感謝せずにはいられない。

そういや、この歳に至るまで大病も大怪我もほとんどない。
生活習慣考えると一つや二つやっててもおかしくないんだが…。
僕を守ってくれているものは何なのか。
わからないけどいつも感謝している。
でも、ひょっとしたら「自覚」の問題かもしれない。
当然のように自分の身の回りにあるもの・ことはすべて、
大きな幸運に守られてのことかもしれない。
そう思うだけでずいぶん幸せに生きていける気がするんである。

僕は本当にラッキーで、
いつもいつもやりたいことやって、好き勝手に生きてるだけなのに、
なぜだかうまいこと帳尻が合ってしまう。
そのせいで少なくない人に妬まれ、嫉まれ、 嫌われてきたけれど、
でも僕を嫌いな人たちは、大概、僕から見ても嫌いな人なのでOKだ(笑)。

そしてそんな人たちが定期的に、
そろそろアイツに天罰が降った頃では…と、
ここを時々覗きに来ていることも知っている。
そういう人々にはネガティブに応戦するよりも、
とびっきり楽しそうで幸せそうな姿を見せるに限るよね。
だから僕はいつも欠かさず、 最新の僕ちゃん幸せ情報をアップデートする。
これからも全力で、 腹立つくらいの幸せ者であり続けたいと思っている。
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爺の楽園

2020-09-15 10:29:31 | この国の憂鬱
どこの国とは言いませんがね、
権力トップにズラリ爺さんばっかり並べた国がありましてね、
改革だの女性活躍だの少子化対策だの、
どの口が言うかと思うわけですよ。

別に爺さんだから無条件でダメだとは言いませんよ。
ちゃんと仕事してくれるんならイイですけどね、
見渡す限り、不正・強権・隠蔽・改竄・捏造・虚偽の名手ばかりでしょう。
老い先短いこの面々が考えるのは、
その場しのぎの嘘八百と経済ドーピング策、
あとは逃げ切りだけでしょう。
そら原発も防災も少子化もやるわけないわな。
どれも日本を亡ぼしかねない深刻な問題なのに。
差別にも環境問題にも無頓着でしょう。

どこの会社とは言いませんがね、
トップにズラリ爺さんばっか並べて沈没してった会社がありましてね。
エラそうなこと言う割に出すもの出さないケチな会社でしたわ。
まあ今時どこも同じかもしれませんね。
旧来の日本型組織って、まんま国家と相似形みたいなとこありますもんね。
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早くその足でトイレに向かうんだ

2020-09-10 13:36:41 | パパと呼ばれて〜親バカデレデレ日記
数ヶ月前に寝返りを覚えて以来、
うつ伏せ行動がメインになった我が息子、
もはや仰向けではいられない。

オムツ替えの時だってもちろん自由でいたい。
おとなしく仰向けでなされるがまま…など、いまは昔。

すると必然的にオムツ替えミッションの難易度は格段に上がるわけで、
ここしばらく悪戦苦闘が続いていたのだが、ここにきて戦局に変化が訪れた。

息子のレベルがまたひとつ上がり、
「おれは立てる…ずっとつかまって立っていたい…!」
になったのだ。

するとどうだろう、とりあえずつかまり立ちさえさせておけば、
オムツ替えも着替えも楽々じゃあないか。
素晴らしい!こりゃイイや。

でも、じきに次のステージ
「おれは自由だ…どこまでも歩いていきたい」
になるはずなので、
またここでオムツ替えがスーパーハードになるんだろうなあ…。
部屋中にばら撒きながら…か……。
ちょっとしたテロリストだよなあ…。
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台風かわしゃ

2020-09-06 13:30:47 | 超・いぶたろう日記
しかし、キッチンジローの大量閉店で思ったんだけど、
僕の来し方ふり返るに…

1)高校時代の空手道部
 → 主将時に最大在籍数も、卒業後不祥事で廃部

2)高校時代にバイトしたセブンイレブン
 → 在籍時にバイト仲良く売上ピークも、新店長とバイトリーダーが対立、義理立てして退職後にしばらくして閉店

3)大学時代のバンドサークル
 → 幹事のとき学内最大級だったのが、2つ下の代の幹事がやらかして以後はどんどん規模縮小、現在は4分の1ほどの小さなサークルに

4)大学時代にバイトしたキッチンジロー
 → 僕がバイトしていた頃は店舗数も最大だったけれど、このたび大量閉店

5)バンド時代にバイトしたファミリーマート
 → ここもまたバイト仲良く盛り上がってたけど、僕の退職後すぐオーナーが契約解除、閉店

6)30まで頑張ったバンド業界
 → コロナ禍でライブハウスもイベンターも青息吐息

7)30代を捧げた前職学習塾
 → 担当していた400名の最大旗艦教室が今年ついに閉鎖、全社でも僕がいた頃の半分以下の在籍数・売上に…

とまあ、僕の足跡が次々に焦土と化していったのがわかる…。
これだけの地雷原を踏破してきた僕が異常にラッキーなのか、
はたまたこれだけの場所を荒野に変えた僕こそが疫病神なのか……。
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キッチンジロー

2020-09-05 13:28:09 | 超・いぶたろう日記
コロナ禍によるものか、大量閉店のニュースが。

大学生の頃だから、実に四半世紀前か。
水道橋駅近くの「三崎町店」で2年半くらいバイトしてた。
店長始めスタッフの皆さん温厚な方ばかりで、
仕事はなかなか大変だったけど、居心地のいいバイト先だった。
僕がいまタマネギだけはささっとむけるのも、
洗い物がやたら早いのも、ここの厨房で身につけたスキル。

たまーに店舗巡回に来る社長さん(=創業者のジローさん)、
直立不動で出迎える店長ほか緊張のスタッフをよそに、
「え〜、社長ってひょっとしてジローさんっスか?」
と食いついていく若気の至れり尽くせりな僕を気に入ってくれて、
「今度一緒にスキー行こうぜ!」
みたいにいってくれた思い出があるなあ…結局行けなかったけど。

しかし残念。美味いんだよキッチンジロー。
ここのバイトはとにかくまかないメシが魅力でねえ…。
スタミナ焼き、クリームコロッケ、メンチカツ、
みんな美味かったなあ……おかげで肥ったけど…
…っていまに比べりゃ大したことないか…。
けんちん汁もよかった。ああ懐かしい。喰いたくなってきた。
1店舗だけでも残るならまた食べに行きたいなあ。
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文豪グースカ

2020-09-02 13:23:23 | パパと呼ばれて〜親バカデレデレ日記
「バカだなあとーちゃんは…とーちゃんの仕事は、いかに生徒や保護者の心を動かすかであって、政治とか闘いとか自己証明ではないんだ。感動を生み出せるだけのナイーブな感性は、その裏返しにささいなことで自分を傷つけ苦しめる、それは神が与えた運命で、堪え忍んでいかざるを得ないんだよ…やりとげたまえ…」

と、どこかの文豪っぽい息子(生後10ヶ月半)に寝言でたしなめられた。
たぶん明朝には抱っこからのぶんぶんをせがまれると思う。


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千代田の南、麻布の丘に

2020-09-01 10:20:42 | 超・いぶたろう日記
たぶん、どこで話しても寒がられたり、ウザがられたり、
白い眼で見られたり、冷たくスルーされるような、
政治的話題の投稿をいくつか書いてるんですが、
それでもちゃんと読んでくれて、
安易な共鳴や表面的な同意のフリとかじゃなくて、
リアクションをくれる友人がいてくれることに、心から感謝します。

またそのほとんどが、懐広い母校の畏友・先輩後輩、
時に恩師であることを思うと、
そのご縁を得られたことは本当にラッキーだったなと思うのです。
無批判に何かに染まる・染められることをよしとせず、
多様性を重んじる美学あればこそだと思うのです。

自分とは異なる価値観をも許容する理性、
議論によってどこまでも相互理解を求める手法、
僕はまだまだ全然ダメですが、
畏友たちのそういった「本物の知」のもつ余裕にいつでも触れられるおかげで、
孤独感に苛まれることもなく、いつも救われる思いでいます。

すっごい、言い方難しいんだけれどね。
12歳からこっち、ずっと僕にとっては大きな心の拠り所です。
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