いぶろぐ

3割打者の凡打率は7割。そんなブログ。

失望の国のエクソダス

2011-04-29 03:23:30 | この国の憂鬱
小中学生に公民の授業で、基本の原理をそのまま教えるたびに
「え?憲法変えるのなんて絶対無理じゃん…」
「自衛隊ってどう考えても憲法違反じゃん…」
というストレートな感想に触れる。
コドモは解ってないと見下すのは簡単だけど、
やはり歪んでいるのはオトナ社会の「常識」だなあと痛感。

ただ、被災地でもある新浦安の子供たちにとって、
自衛隊は「給水に来てくれた優しいおじさん」であり、
「東北で頑張っているカッコイイ人」でもある。
昔とは全然イメージ違うね。
少なくとも人を殺すよりも救う機会の多い
史上唯一世界無二の軍隊であることは名誉といってもいい。
「暴力装置」なんて言うのは時代錯誤だな。
自衛隊がこれだけイメージアップしていると、
子供たちが憲法9条と自衛隊の関係、
あるいは改憲の可能性ということを考える上ではフラットな条件が整ってきたと思う。
僕も変なイデオロギーには偏ることなく答えも示さず、
じっくり考えてもらえばいいなと思っている。

「自衛隊は違憲ではない、戦力ではない」という論法は日本ならではだよね。
「原発は(放射能は)危険ではない」というのにも似ている。
というと「自衛隊と原発を一緒にするな」とか、
「じゃあ憲法を守って外国に侵略されるのか」とか「電気いらねえんだな」と
条件反射で喚く人は必ずいる。
気の毒に、脳細胞がひからびてしまっているんだろうなと思う。
「戦力じゃない軍隊」とか「絶対安全な原発」とか、
詭弁はやめて欲しいというだけなんだが。

必要かどうかという論議は、言葉の解釈とは切り離して行われるべき。
本当に必要ならば、リスクやデメリットを明らかにしてきっちり議論すればいい。
その上で多数の選択に従うという民主主義のプロセスを経ていないものが多すぎる。
みんな曖昧にいつのまにか決められちゃう。
「頭のイイ官僚」が詭弁を弄して蒙昧な民衆を欺きながら率いていく、
という構図は明治以来何も変わっていない。
逆に言えば、まんまとそれにハマっている国民にこそ進歩がない。
日本人に最も足りないのはトレードオフの感覚で、
八方すべてほどほど良しをやろうとする。
できなくても言葉遊びでごまかしちゃう。

リスクを嫌う、説明を省く、きれいな言霊でごまかす、誰も責任をとらない。
横並びを好む、出る杭は打つ、対立を嫌う、独裁を嫌う。
空気に流される、議論ができない、失敗を許さない。
若者をバカにする、年寄りがいつまでも出しゃばる。
この国に希望を探す方が難しい。

3.11がエポックになるという論調はよく見かけるが、
この政府のていたらくと、
この期に及んで免責を探り、
なおかつ浜岡原発も稼働しようという電力会社の無神経ぶりを見るにつけ、
「がんばろう日本」から「逃げ出そう日本」に変わっていくんじゃないかと純粋に思う。
事実、本当に優秀な人は政治家になんかならないし、
国内にも留まらない。
希望の国のエクソダス…どころか、
想像以上の泥舟ぶりが明らかになっただけのような気もしている。

「だって自分が死ぬわけないもの」

2011-04-16 04:03:13 | 超・いぶたろう日記
まあ本当によく地面が揺れる。
そのたびに原発が心配になる。
何度も映像で繰り返された津波のインパクトは相当なものだった。

僕も被災した。
職場の建物は傾き、道路は足元から裂け、
あちこちから潮のリズムで大量の泥水が噴き出た。
近くのアパートは左右にスライドしていた。
駅前の広場は泥に埋まり、階段は途中で割れ落ち、
右も左も避難してきた人でいっぱい。
久しぶりにつけたラジオからは、原発の緊迫と津波警報。
…ちょっと、死ぬかもしれないと思った。

幸いにして、僕も家族も知人もみんな、命は無事だった。
しかし上下水道は停まり、ガスも電気も停まり、
現実感のない生活が始まった。

あれから1ヶ月、街は少しずつ立ち直った。
停電もなくなり、建物の修復工事も進み、授業も再開、
以前の暮らしを取り戻したようでもある。

でも、なんだろう、やっぱり以前とは違う。
なんだか目が醒めた気がするね。

ほんのふた月前、
「もうじき戦後最大の大地震が来て、津波で東北は壊滅する。原発が事故を起こす」
なーんて言おうものなら鼻で笑われたろう。
誰もそんなことが目前に迫っているなんて思いもしなかった。
でも、起きた。
つまり現実とは「何が起きても不思議じゃない」世界なのだ。
たとえ10秒後に死んでも不思議はない。

それが、今までは逆転していたように思う。
つまり、「何も起きない退屈な日々」が現実で、
「何が起きても不思議じゃない」のは夢と冒険と……。

でも、違った。
何も起きない平和で退屈で凡庸な毎日こそが、
実はなかなか実現できない夢のような世界であって、
日本は長らく夢を見させてもらっていたのだ。
あまりにも多くの人が死に、数えもきれない悲劇を生んだ戦争の、
見返りだったかもしれない。
神様が哀れんで、60年余りもの太平をくれたのかもしれない。
でも、もう期限切れだ。

誰もが食うに困らず、寝るところもあり、
学校に行けて職に就けて当たり前。
何でもあるけれど希望だけがなく、
漠然と「本当の自分を探したい」なんて寝言を言う。
本当に必要な努力もしないで、夢を追いかけるなんて言い訳重ねて、
生きるための辛さや厳しさから目を背ける自分を正当化する。
ダメ人間を自称し、自称することで免罪された気になる。
中身のない自分を何かで埋めるために、
現実に見立てたゲームやアニメに耽溺する。
自分は常にお客さんで、権利意識だけは過剰。
義務や責任についての意識は薄く、いつでも誰かのせいにする。
全員同じが大好きで、差がつくと文句を言う。
トレードオフの概念が乏しく、見返りなしに望むすべてをよこせと言う。
「ちょうだい」と「イヤだ」の2種類のダダをこねるだけ。
社会保障はしろ、税金は上げるな。
保険料は上げるな、老人医療は充実させろ。
原発はやめろ、電気はよこせ。
問題は全部、政治家と官僚と大企業。
金持ちが悪い、権力者が悪い。
一番悪いのは国民なのに、スケープゴートを見つけては袋だたきにする。
それでスッキリしちゃって、問題を忘れ、思い出した頃に同じことを繰り返す。

もう、そんな夢みたいな日本は、おしまいですよ。

それが何だか知りもせずに、
放射能コワイコワイって、バカみたい。
政府・東電をこき下ろせばいいと思ってるオヤジ、みっともない。
ウラ事情を知っているとうそぶく一般人、超カッコ悪い。
買い占めに走るオバちゃん、醜いにもほどがある。
福島県産、福島県出身を一括りに遠ざける人々、人間失格。

あなたたちみんな、おしまいですよ。

これからの日本は、必要以上に生産しない。
消費のために色んなものを歪めない。
物欲の肥大に合わせて消費を拡大し続けた結果が、この惰弱だ。
望めば何でも手に入るこの快楽が、現実感覚を麻痺させて、
本当の危機が迫っても理性的に行動できない日本人を生んだ。
考えない人。条件反射。集団幻想。
みんなといれば、死なないという根拠のないもたれ合い安心感。
そんなのも、もうおしまい。

これからの日本は、駄目なヤツは淘汰される。
一生懸命やんないと、負ける。死ぬ。
精一杯生きていかないといけないのだ。

こういう世の中の騒ぎをイベントだと勘違いしてるヤツは多い。
よくわかんないけど、とりあえず参加してる雰囲気を味わいたいヤツが、
自粛自粛って騒ぐんだろう。
かと思えば「消費こそ応援」なんて、どっかの受け売りで、
相も変わらずやりたい放題やるだけの日々を過ごしたり。
安全な首都圏で、ちょっと不便になっただけで
「震災トラウマ」を自称したり。

「はやく終わんないかなー」と思ってるだろ。
イベントだと思ってる証拠だよな。
以前の日本が帰ってくるなんて保障がどこにある?
経済にも生活にもじわじわ、影響が出てくるよ。
それこそ放射能のように。

とあるサイトでは、
「自重は終わり…もうそろそろいいよね?」
「悲しいこと、辛いこと、あるさそりゃあ。でも前向きで楽しまないと」
なーんてまったく何も考えてないコメント見ちゃって、
ああ、二度寝しちゃってるヤツもいるんだな、と思った。
もう、そんなイイ夢見られないよ。
起きなきゃそのまま死ぬよ。

ツイッターで情報流して、デマ呼ばわりされて。
安全だよ、騒ぎすぎないでと言ったら嘘つき呼ばわり。
危険だよ、気をつけてと言ったら煽り呼ばわり。
原発怖いと言ったら狂信的反対派呼ばわり。
原発やるしかないじゃんと言ったら政府の犬呼ばわり。
世の中は 行くな戻るな 居座るな 寝るな起きるな 立つな座るな。

下劣な自分を抑えきれず、言いたい放題言って、「今のは釣りでした」。
怒ったら「ひっかかった」。
なにそれ。
よくわかんねーな。
どこまでも他人事だ。好きにしようよ。
「だって自分が死ぬわけないもの」。


…ネットって、昔じゃわからなかった膨大な情報が入ってくるから有り難いけど、
昔だったら知らなくて良かった頭のイカレタ人も沢山見なきゃいけないから、
精神衛生的にはプラマイゼロだな。
でも、何も知らずに死んでいくよりは、知ってた方がいいかな。

まっすぐですみません

2011-04-12 02:22:42 | 特選いぶたろう日記
お気づきの通り、
自分で言うほど、曲がってなんかないんです。
普通の人が巧く曲がれるコーナーで、
しょっちゅう縁石に乗り上げてます。
でも、コースアウトしない妙なコツを知っていて、
それで何とかリタイアせずに生きている、
そんな感じです。

いやいや、君はひねくれている、と言ってくれる人もいます。
あんまり親しくない人が多いですけど(笑)。
色んな理屈で自分の本音を歪めて、
周囲に合わせよう、目立たないようにしよう、
そんな感覚が少し欠けているだけです。
むしろ、そっちの方がきちんとひねくれている感じがします。

僕はイヤなものはイヤなだけで、好きなものは好きなだけで、
ほんとはひねくれてなんかないんです、たぶん。

いままで、頭に浮かんだけれど、
ブログに書くまでもないな、と思って消えていったこと。
この1ヶ月はツイッターに全部残してきました。
振り返ると、本当にまっすぐでした。
ブログを書くときはどうも照れ隠しにちょっと気張っているようです。
ツイートの断片をかき集めてみると、ちょうど一枚の絵が浮かぶように、
愚直な自分の思考の跡がありました。
僕はまっすぐなだけでした。

偏差値とか体脂肪とかでしか自分の実績を語れない屈折も、
法律論や哲学の文言の生呑み込みや難解な用字で、
ショボイ自分を実際以上に大きく見せようとする虚勢も、
僕には無用なヘアピンカーブでしかなかったのです。
僕はただ、いつでもまっすぐ爽快に走っていたかった。

コーナリングにこそ、その人の腕が表れるのでしょう。
上手な大人はたくさんいます。
僕はその真似事はできるけれど、
ブレーキパッドがすり減って、いつもどこかが軋んでる感じです。

まっすぐ、ただまっすぐに走っていきたいのですけれど、
どこかで曲がれなければ、同じ所には留まれません。
今いるところがどうというのではなく、
まっすぐであることの宿命のようなものだと思うのです。

まっすぐですみません。
まっすぐで申し訳ない。
まっすぐでこれからも、ご迷惑おかけしますね。

マスの墓標

2011-04-09 01:02:13 | 超・いぶたろう日記
もう誰も、テレビなんか見ない。
もう誰も、新聞や雑誌なんか読まない。
もう誰も、レコード会社のCDなんか買わない。
もう誰も、流行り廃りなんか気にしない。
もう誰も、記号消費なんかにとらわれない。
もう誰も、つくられたブームに乗らない。
もう誰も、タレントの真似事ファッションなんか追いかけない。
もう誰も、ただの非常識なクソガキをカリスマと崇めない。
もう誰も、ギョーカイなんかに憧れない。
もう誰も、踊らされたりしない。
もう誰も、マスコミなんか信じない。

これからは、
みんなが自分の感覚を信じて、
自分の嗅覚で自分に合うものを探す。
自分にとって本当に価値のあるものに対価を払う。
消費を促されるのではなくて、消費を通じて人と繋がる。
切り取られ、加工された、誰かに都合の良い情報じゃなくて、
様々な視点に立った複数のソースから、自分の責任で判断する。
自分の頭で考えて、自分の心で感じて、自分の声で発信する。

早く来ないかな、新時代。
あとちょっと、という気がしてるんだけどな。

僕は信じないよ

2011-04-08 19:23:17 | 超・いぶたろう日記
予言が当たったと騒がれている人がいる。
どうも、こういう社会不安が増大してくると、その類の話が出て来てしまう。
科学の力の限界を見て、非科学に頼るマインドになってしまうのか。

でもね。僕は信じないよ。

信じる人は勝手だし、僕はその人たちを非難はしない。
予言者を自称する人を否定もしない。
だけど、僕は信じない。

それが何だかわからないが、イヤな予感がすることがある。
そして、あとで何かまずいことがおきて、ああこれだったのか、と思う。
でも、そんなのは誰にでも経験のあることで、
だからどうしたというレベルのことだ。
中にはこれを自分の特殊能力と考えて、あれこれと予言をしてみせる人がいる。
そしてそれは有名無名問わず、日本中に数多くいる。
仮に数万人としても、彼らが地震を予知したとしたらその候補日は数万通りだ。
どれかは当たるだろ、そりゃあ。

当たったとなると異常に注目される。
しかも細かい部分にはかなり寛容に目をつぶってもらえる。
一方で外れたときにはまったく気にも留められないし、忘れられる。
当たったときだけ部分的に色濃く思い出されて、強烈な印象を残す。
つまり、占い(僕はこれもまったく信じていないのだが)と同じようなもんだと僕は思っている。

日蓮は「立正安国論」で外国の襲来を予言した。
後に元寇があって、当たったと大騒ぎ。
しかしこの時、日蓮は
「浄土宗などの『邪宗』を放置しておくと、内乱が起こり、日本は外国に攻め滅ぼされる」
と言ったはずだ。
しかし日本が滅ばなかったのは史実に明らか。
つまり、見事に外れているのだ。
「私が懸命に祈ったから法力で滅亡は回避された…」とか何とか言い訳したのだろうか。

ノストラダムスは1999年に恐怖の大王が降ってくると予言した。
日本人の作家はそれを勝手に人類滅亡と解き、さかんにあおり立てた。
何とでもとれる抽象的な詩を、なんやかやと結びつけて、
アレも当たったコレも当たったと強弁する。
そして1999年、人類は滅びなかった。
すると今度は、
「あれは西暦じゃなくて、ユダヤのナントカ歴で、それは西暦でいうと20XX年で…」
とやりだす。
勝手なものだ。

富士山噴火も毎年のように予言されている。
大震災もしょっちゅうだ。
でも、そんなの世界一の火山国・地震国であるこの日本で、
いつかは来るのが当たり前。

いつ、どこに、どんな形で来るのかを100%の精度で明確に言い当てられなければ、
予言なんて何の意味もない。
いつかどこかに地震が来るなんて、そんなこと日本中誰でも知っている。
曖昧なこと言っておいて、後からほらみろやっぱり当たったと自慢されても、
何のこっちゃわからん。
よほど黙っててくれた方が有り難い。

パターンとしては、
「何だか空気の流れが悪い気がするんです…何かが起こります、気をつけて下さい」
とでも言っておいて、
何か起きたら
「やはり私の悪い予感が当たりました…」
何も起きなければ
「幸い、今回は杞憂に終わりましたが、しかしまだこの次があるように思うのです…」
とか何とか。
そんなの、僕でも言える。

今回話題となっているある人の「予言」では、
「三陸沖で地震が続いていますが、私の判断では、ほぼ間違いなく関東~東海にかけての大地震の前兆だと考えています。規模的にはM8前後の非常に大きなものとなることが予想されます。震源が深ければいいのですが、浅い場合には、相当な被害が出ます。みなさま、今一度防災対策の確認をされてください。いま、すぐ発生するかどうかは私にも分かりませんが、やがて、起きると考えていたほうがいいと思います」

とある。

ちゃんと検証しましょうよ。
「関東~東海」→「東北~関東」
「M8前後」→「M9」
震源の浅い深いもわからない。津波や原発には言及されていない。
「やがて起きる」で、たまたま翌日起きただけ。

これ、当たったの???
「これだけ当たれば上等じゃん」ってことなの?
翌日に地震が起きたというそれだけで、ディテールには目をつむって、
当たったと大騒ぎすることに何の意味があるの?
細かいことであら探しするのが目的ではないよ、意味を問いたいわけ。
つまり、
「この予言を多くの人が知っていたら、東北のみんなは助かったのか?」
と問いたいんだよ。

興味本位でオカルトにしちゃいけないと思ってるんだ。
例えば自分が事故で肉親を亡くし、悲しみにうちひしがれているときにね、
「実は数日前に彼が何かよからぬことに巻き込まれるイメージが浮かんで…」
「ブログには一応書いて、気をつけて欲しいと思っていたのですが…やはり…」
とかやられて、いい気する??
これが果たして何を生むのかと問いたいんだよ。

で、今度はさ、
「私に、きょう、とんでもない事態が発生する幻のような映像がねふとした瞬間に浮かんできました。原発が吹き飛ぶ映像です。再び大地震によって、吹き飛ぶのか、現在の、福島第一原発に問題が発生して吹き飛ぶのか、ちょっとわかりかねます。とにかく、あの原発の高炉から黒煙が上がって、吹き飛びます。映像がアップなので、その周辺がどうなっているのかわかりません。ただ、それは4月7日前後に起きると思います。多少ずれて10日くらいまでになるのかも知れません、、でも、そんなに先の話ではないと思います。」

で、これが、4/7深夜の余震で大当たりだ…となったわけ。

…何なんだ???
原発は吹き飛んだか?

これだけ余震が頻発してりゃ、5日間も幅を取れば起きても不思議はない。
しかも地震が来た、というだけ。
原発は今回もかなり脆弱な電源事情をさらけ出したけど、何とか堪えた。
福島の状況は予断を許さないけれど、まだまだ。

サイコロの目は7回連続で当てられるけど、人前では無理、とか。
超能力の存在をほのめかしつつ、
「本格的に地震についての研究を始めて、様々な観測を毎日欠かすことなく続け、どの組み合わせが一番正確かもわかり、的中率は80%」
と、なぜか「科学的な裏付け」があるかのように正当性を訴える。
このタイプの人の典型じゃないか。

ここまでにしておこう。
この人を責めても仕方がない。
この人はあくまで善意で、自分の信じる方法で人々に警鐘を鳴らしたかっただけ、
そう解釈するに留めよう。
散々不安を煽っておいて注目を集め、
このタイミングで有料ブログに移行したのはちょっとあからさまだと思うが…。

有名人の息子が、親のようにはなれない自分をあきらめきれずに、
注目を集めようともがく心境。
そういうことだったら、僕にも痛いほどよく解るのだが(笑)。

これはひとりごと

2011-04-05 10:58:10 | 超・いぶたろう日記
今日は完全な独り言。
僕の中でムカムカ来ている部分を、
つばきのように吐き出しただけの、
多くの人には関係ない話。

大震災。大津波。原発事故。
膨大な死者、避難民。
電力需給。放射性物質。自衛隊。
風評被害。買い占め。節電・自粛。
テレビ。新聞。SNS。
日本の再定義。

これだけの凄まじい変化の中にあって、
「語る言葉が見つからない」で済ませてしまう鈍感さは、
アーティストの名に値しない。

「みんなを笑顔に」なんてのは、極めて抽象的な、
著しく現実感覚を欠いた思い上がりであって、
何をするでもなく「その日を待つ」という受動的な言葉に潜む、
他人事感覚は覆い隠しようもない。

公式コメントに隠れて、
何らの事情も展望も説明しない姿勢は、
それを支えてきた人々の心情を理解していないものだ。

世の中で何が起きようと、自分が如何に人を傷つけようと、
すべてをキレイゴトで済ませようとするその姿勢は、
僕がずっと忌み嫌い、批判してきたものだ。

何の主張もない。
何のこだわりもない。
現実に目を背けて、色々言い訳しながら、
格好つけてうっとりしたいだけ。

結局、どこまでも「ごっこ」なのだ。

アーティストが聞いて呆れる。
「サークル活動」がいいところだ。
そのままぐるぐる同じ所まわってなさい。