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「子は親の鏡」は真理

2024-05-15 10:21:01 | パパと呼ばれて〜親バカデレデレ日記
仕事柄、長らく小中学生およびその保護者と接してきて、
さらにここ最近は保育園を通じて、
0歳から5歳くらいまでの子たちとも接してみて、
もう確信に近いんだけど、
「子は親の鏡」はまずまちがいないですね。

どういう保護者あるいは子供がいいとか悪いとか、
そういうことは簡単に言えないけれど、
本当に良くも悪くも子供の人格形成には、
保護者の在り方がまんま反映されている。
単にコピーとかいうことではなく、その反動も含めて。
そりゃ普段から保護者がそういう接し方してればそうなりますよねという感じ。

言葉遣いに表れる品性や思いやり、行動に表れる理性や自制心、そして主体性。
それらが自覚はされていなくとも躾や習慣として身についていたりなど。
乱暴な言葉遣いをする子供の後ろには、
必ずそういう言葉を遣っている保護者がいるし、
乱暴な行いをする子供の後ろには、
必ずそれらを看過している保護者の無関心がある。

なぜこんな素敵な保護者からこんな乱暴な子供が?
…ということはまずないし、
(あったらそれは子供の幼さか照れ隠し、あるいは保護者の外面の巧みさ)
一方でやはりこの保護者あってのあの子供なのだな…と、
深く納得させられることもよくある。

逆に問題を抱えた子供の保護者に会って話してみるとほぼ100%原因がわかる。
悲しいことに当の保護者は、
自分が原因であることに無自覚である場合がほとんどだけれど、
その伝え方は難しいし、伝えたところでおそらく理解されない。
本人は「お金をかけて」「子供のために」色々やって来たつもりでいる。
あるいは「本人のやりたいように/自覚に任せて」いる体で、
実は自身のこと(仕事・趣味・推し活・美容……)に夢中になっているだけ。
子供には無関心。

そのくせ、成績やら進学にはことさらに過敏で神経質。
過程も見ず、事情も聞かずに、成績だけを見てケチを付ける。
「大人の世界ではな、結果がすべてで…」なんてエラそうに、
効果もタイミングも弁えず説教しちゃう。
もちろん子供は聞いていない。
二言目には「やる気がないならヤメロ」なんて言い出す。
子供の側も売り言葉に買い言葉、
拗れに拗れて誰もが望まない泥沼方面へ…なんてこともよくある。

愛情の反対は憎悪ではなく、無関心だという。
愛している者に裏切られれば簡単に憎悪にひっくり返る。
憎悪していたはずの者から親切にされると容易に好意に変わる。
だけど無関心ばかりは変わりようがない。
「どうでもいい」のだから。

成績や進学先への関心は子供自体への関心じゃない。
スゴイ成績・スゴイ進学を果たしたスゴイ子供の親でいたいだけ。
結局は親の見栄。
子供がどんな気持ちでどんな表情でそれをやっているか、向かい合おうともしない。
そんなことは「どうでもいい」。
求めているのは輝かしい「結果」であって、地道な「過程」はどうでもいい。
課金して済むならいくらでも。
ほうらこれが親の愛。
きっと将来感謝することになるのだから、
いま苦しいとかツライとか、そんなことは「どうでもいい」。

「どうでもいい」扱いを受けた子供に自己肯定感など育ちようがない。
運に恵まれず、望んだ結果が得られなければ、親も自分も自己否定する。
行き着く果ては、自分を粗末に扱うようになってしまう。

子供が自分の思うとおりにならないからと言って、
何らかの大義名分を振りかざしながら
「誰に喰わせて貰ってるんだ」なんて、
前時代的な台詞を恥ずかしげもなく口にする親にはなりたくないなあ。
そんなこと言われたら
「頼んで産んで貰ったわけじゃねえや」って、
そりゃあ言うよ。

子供もまた、保護者が思うとおりにならないから反抗するんだろうけれど、
そこに行き着くまでには何らかの必然的な過程があったはず。
反抗期だから、なんて定型句でごまかしている内は解決は望めない。
あるときまではラクに通った要求が、なぜか条件付きになり、
あるいは保護者の気分次第になり…と、
保護者の側に有利な予告なしの一方的条件変更があったはず。
成長した子供の側が、保護者のそんな恣意的な面に気づき、
その理不尽さを訴えていると理解すべきだろう。

子供のいまの姿は、すべてこれまでの大人達の接し方の蓄積。
保護者の占める割合が圧倒的に高いのは否定できない事実。
子供を責めるばかりでなく、まずは自省すべきだし、
その上で子供の声に耳を傾けてみることが必要だろう。
「そんなこと、言うのは簡単だけどできっこない」
なんて言うのは既にコツコツと長年かけるべき関係構築に失敗しているから。
すべての親子に対して決めつけるようなつもりはまったくないけれど、
そう思わずにいられない事例は数え切れないくらいある。

理想論だと笑わば笑え、有言実行あるのみ。
頑張ろう、パパ業。
いまのうちから、日々の細かなひとつひとつが勝負だな、と思う。
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