いぶろぐ

3割打者の凡打率は7割。そんなブログ。

いやもうほんと

2009-06-23 02:11:27 | 新・いぶたろう日記
死にたくなるほど忙しい毎日です。
いや、絶対死なないけど。
ここでもまーったく音沙汰ありませんで、
更新なくても訪ねてくれるみなさんにもーしわけないです。

「この時期は忙しいからね…」と一年中言ってるウチの会社で、
中でもとびきり忙しいのが12~2月と、6~8月なんです。
先週なんて朝9時に家を出て、午前4時に帰ってくる、て感じ。
一日中ぼーっとして、ちょっと死ぬかもと思ったなー。
さすがにアタマに来て、訴えてはみたんだけども、
どーせ「段取りが…」「俯瞰して…」「優先順位を…」の繰り返し。
それは理想であって現実的な方策は何もないのよね。
結局「これを乗り越えれば…」みたいな話になっちゃって、
どーにもこーにもなんだかなーです。

乗り越えたところで、エラくもなんともないだろーに。
組織のために我慢強い人間になれたところで、
俺の価値観からすればなんの意味もないなあ。
時間がとことん削られて、やりたいことも見失って、
消耗するばかりのここ2~3年。
はたと気がつくと「夢」を持っていない自分に愕然。
借金生活を抜け出して、安定的な生活レベルを手に入れて、
なのになんだか空しさがついて回るのはどういうわけだと思っていたら、
そういうことだったんだね。

しかし、そうは言っても
簡単には抜け出せない年齢にもなってしまったわけで。
夢を追いかけるだの自分を見つけるだの言いながら、
なんの生産性も持ち得ないイイ年したオトナの格好悪さはよく知っているので、
どうしたもんかなと考えています。

でも、何かを変えるには動かなければならず、
動くには最後のチャンスかもしれないんだよね。
待遇でも評価でも賃金でもなく、
今の僕には考える時間がない。
ただ、求めに応じて動かされているだけ。
あんまり具体的に書けないけれど、
決して本当に自由にやっていい訳じゃなくて、
要はよくできた誰かの代わりをやらされてるだけ。
もうどこかで脱け出さないと、ダメになっちゃう気がしています。

さて、どうしたものか。
Comments (2)
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人はなぜ

2009-06-09 02:40:26 | 新・いぶたろう日記
金魚の墓標にはアイスの棒を選ぶのであろうか。

卒塔婆に似ているからなのか。

そしてなぜ、どこのクラスにも必ず、

「゛(濁点)」をつけてしまうヤツがいるのか。

無惨にも『金魚のばか』と書かれて眠る、

元クラスのマスコットに心を痛めてか、

終わりの会で告発する女子は、必ずグループ提訴の形を踏む。

そして容疑者は絶対に男子だ。

何かと前歴のあるものは真っ先に疑われる。

というより早くそいつを犯人にしてしまいたい。

物的証拠なんていらない。

先生の意向こそが何よりの基準だ。

吐け、早く吐け、俺がやったと言ってしまえ。

じゃなけりゃいつまでだって終わらないぞ。

みんな塾とかあって早く帰りたい。

クラス中の恨めしげな視線が哀れな容疑者に突き刺さる。

やがて老かいな地方公務員の落としのテクニックが炸裂。

「…正直に言ってくれたら、今だったら先生怒らないから…」

「謝れよー、認めろよー、あーやまれっ!あーやまれっ!」

容疑者の人権など髪の毛の先ほどにも認めない、

ゆがんだ民主主義の暴力に、

教師は止めるどころか微笑すらたたえて頷く。

ここに絶望した幼い容疑者は、無実の罪を自らかぶる。

「やっぱりなー」
「そうだと思った」
「何で早く言わないんだよ…」

口々にとどめを刺し、家路を急ぐ世論。

次もまた、何かあれば自分だ。

怒らないはずの教師は、

一方通行の教育熱と押しつけがましい正義心を燃やし、

ひとり残った「犯人」をじっくりと処刑する。


…とまあ、
小学校の頃こういう思い出に事欠かない私としてはですね、
日本での裁判員制度は非常に危険だ
と思うのですよ。

こんなに「個」が未成熟な国もないでしょ。
組織の中でいかに目立たないように生きるかに汲々とし、
集団であれば、匿名であれば、
遠慮容赦なく自分の利害だけで他者を吊し上げる。
情実が何よりも優先され、
論理論証は感情でいかようにもゆがめられる。

もっとも支持を集めるものだけに敏感な地上波テレビ局が、
これだけくだらないコンテンツをばらまいている現状を考えたら、
この国の民度の低さだって明らかだ。
よくもまあ、こんな状況でこんな制度始めたもんだ。
言い出しっぺが誰だか知らないが、
どうせそいつも責任とりゃしないんだろ。

秋葉原の事件から1年が経ち、
刃渡り5.5cm以上のナイフは所持禁止だって。
バカらしい。
そんなもの、何ら本質的な解決につながらない。
また一つ、警察に余分な権力を与えただけだ。
鉛筆書きにこだわる作家が、ファミレスで原稿書いてたときに、
肥後守を取り出して鉛筆削ったら店員に注意されたとか。
なんて幼稚な「常識」だろうね。
ナイフなんか持ち歩いたことないけど、
これ見よがしに持ち歩いてやりたくなるよ。
刃渡り「5.49cm」のナイフを、さ。

何かしないと何もしないと言われる、
だからとりあえずろくに考えもしないで法律作ったんだろ。
ルールがなけりゃ刃物一つ管理できないなんて、
幼稚な社会だよ。
ナイフでもなんでも自由に持ち歩いてよし、
だけどそれで人を傷つけたり殺めたりしたら、
「裁判なしで即刻死刑」でいいんじゃないの?
それは人権に反するっての?
よくわかんねえな。

秋葉原みたいな事件起こしたヤツなんて、
その場で銃殺しちゃえばいいんじゃないの?
証拠も何も、明らかでしょう。
動機なんてどうでもいいよ。
どうせ全部もっともらしい後付なんだから。
どうせなら惨たらしく公開処刑して、
テレビで流してやんなよ。
それ見たらゲームやアニメで脳みそとろけた、
現実社会とのバランスを完全に失った妄想人間(=予備軍)も、
さすがにコレはやばいなと思い知るでしょう。

表向きだけ無難に収めて、
絶対悪にもとことん甘いからナメられるんだよ。
教授が自分を構ってくれないから殺した?
そんなヤツ、テレビであんまり持ち上げるな。
心の闇もくそもあるか。
甘ったるい砂糖漬けの人生なんだよ、タダの。

理屈の通用しない相手に、何言ったって無駄だよ。
そうは思わないか?

もうちょっとみんな自立して、個を持って、
自由だけどきっちり責任もあって、
本当の意味で大人の国にしてかないとマズイだろ、これ。
大人になるってのは、
「ワガママ言わない」とか、
「会社にちゃんと勤めてる」とか、
「夜遊び卒業する」とか、
「結婚する」とか、
そういう形だけのことじゃないと思うぞ。

形ばかり追って、自分のとげとげをみんなそぎ落としちゃう、
似たような丸っこいのが肩寄せ合って傷ナメ合って、
たまにヘンなのがぶつかり合って。
俺には大学も一般企業もそんな風にしか見えなかったな。
その中でうまく立ち回ってりゃエライなんてモンじゃないし、
うまく立ち回れないことの価値を感じるだけの余裕があれば、
誰も孤立しなくて済むんじゃないのか。
変なルール、作らなくてよくなるんじゃないのか。

全部教育が悪いんだ。
日本全国の無責任な親と教師こそが、最大の責任者だ。
目の前の子供こそが将来の日本そのものだ。
彼らに何を語るべきか、よく考えてみろ。
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2009-06-03 02:44:39 | 新・いぶたろう日記
あ、もしもし。私ですが。

なに?「裏切られた」って?
ふんふん。
なるほど。
そうは思わないかって?

…うーん。

俺はそういう定義の難しい言葉は使わないことにしてるんだよ。
ただ事実として「発言」と「行動」があるだけで、
それをどう呼ぶかというのは結局、後付けに過ぎないでしょ。
その響きが誰かにとって都合がいいか悪いかの差だけ。

しかし俺は、むしろ君がいま「裏切り」と呼ぶ行動もあって普通、
それが自然だと考えるよ。
自らの欲望に忠実であるということで考えれば。
むしろただひとりの相手に義理を立て続けられるということの方が希有だな。
別にいいとか悪いとかじゃなくてね。

でもこういう話をするときってのは、
どうしても自分の願望やあるべき論、
善悪や好悪の価値観が反映してしまうものじゃない?

たとえばそれが浮気ならば。
「ひとりに縛られずに色んな人と交渉を持ちたい」
という人間は肯定するでしょ。
「自分の好きな相手にそういう行動をとって欲しくない」
という人間は否定するよね。
性欲だとか独占欲、
いずれにしても自分の欲望なわけだ。
それだけのことじゃないかな。

でも人間関係なんて愛とか欲望とか、
ひとつの言葉でくくられるほど単純なものでもないからなあ。
真の意味での愛とか信頼があれば、
当然それ以外の者と交渉を持てば後ろめたい思いがするだろうし、
そもそもそういう発想には行き着かないかもしれない。

逆に心は愛していても、
行動がその範疇に収まらないという人もいるかもしれないし、
こればかりは何とも言えないな。
愛情、同情、欲望、清潔感、道徳心、利害、連帯感、
その他様々な価値観が混在して織りなすのが人間関係でしょ。
俺は考えて結論なんか出した気になったってムダだから、
もはやあれこれ考えないし悩むこともないよ。

ただ、この世には様々な事実の集積があってそれを何と呼ぶかは人によって違う、
それらを好きかキライかというだけの話。
俺はその多様性をこそ、
「人間」あるいは「社会」として受け止めているよ。

だから俺の中にはそれが「善か悪か」という価値観は、
きれいさっぱり、ない。
だから何とも言えないな。
それが人生だろ、としか。

え?相談する相手を間違えた?
そりゃそうだ(笑)。
残念でした。
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