いぶろぐ

3割打者の凡打率は7割。そんなブログ。

鈍感であること

2007-02-19 03:20:54 | いぶたろう日記クラシック
今日の朝日新聞の天声人語に、
「幸せであることの条件はちょっと鈍感であること」
という話が載っていた。
例えば、味にうるさい人ほど、
何を食っても物足りなく感じるはずだから、
それは不幸なのではないか、ということ。
味音痴といわれようが、
何を食っても美味い美味いと言える方が幸せなんじゃないかと。

これはたしかに、そうかもしれないなー。
本当にそれが価値のあるモノなのかどうか、
またそれに序列をつける必要があるのかどうか、
そんなことは抜きにして楽しめる方が、実際楽しいだろうなー。

でも反面で。

グルメを気取ってあーだこーだ言う奴に限って、
実は本質的な価値について盲かったりもして。
で、そういう自分のあり方については、
当然、他人による自分評につながるわけじゃない?
人にあーだこーだウンチクひけらかして悦に入っている自分の姿にも、
またそれにうんざりしている周りの空気にもまた鈍感なわけで、
本人の個のレベルでは幸せかも知れないけれど、
やっぱりそれは不幸と呼ぶべきかもしれないなー。

僕のとある知人に聞いた。
同じ職場の、ほんとーに困った人がいて、
何ともやりきれずにいるそうだ。

いわく、
指示が守れない。
モノの扱いが乱暴。
言葉の使い方を知らない。
電話や来客の応対が出来ない。
学歴コンプレックスが異常に強い。
体型に関して異常とも思える自己顕示欲があり、
欠かさず自分の体脂肪率などを話題にする。
自慢話が多い。
人の話に首を突っ込んで来ては、軽率で不用意な一言を発する。
言わずもがなの一言が多い。
やたらとひけらかしては空気を冷やす。
人の話がまったく聞けない。
自己評価が高く、周囲による実際の評価とのギャップに苦しむ。
注意されると職場放棄する。
場の空気が全く読めない。

僕はその人を知らないが、
聞いている限り、鈍感のかたまりなのである。
可哀想だなあ、と思う。

僕はといえば、
むしろ敏感すぎて神経をすり減らし、
ストレスをため込んでしまう。
ちょっとやそっとのことでは満足しない。
本物とか、完璧というものはそうそう手に入らないことを知っている。
常にどこかに物足りなさや渇望感を覚えている。

だけど、苦しいけれど幸せなことだと思う。
見えていないよりは見えていた方がいいし、
何も知らない幸せよりは、色々知っているが故の苦しみにあった方がいい。
僕の本質的な人生観や、価値判断、
人に対する好き嫌いの基準はどうもここにあるような気もしている。

僕は、知っている。
どんなに素晴らしいものにもさらなる上があることを。
僕は、知っている。
どんなに酷く、辛く、苦しく見えるものにもさらなる下があることを。
そしてちゃんと知っている。
僕自身がまだまだものを知らないと言うことを。

32年が瞬く間に過ぎ、果てしなく見えた自分の人生も、
やがて折り返し点を迎えようとしている。
だけど、僕はまだまだ。
限られた時間ではあるけれど、
守りに籠もることもなく、無謀に攻めることもなく、
ただ歩みを止めることはせずに、
もっともっと色んなことを学び、知りたいと思う。
欲深な人生を、もっと。

そんな風におもう32回目の誕生月。
お祝いメールをくれた多くの皆さん、本当にどうもありがとう。
これからも敏感に、時に気づかぬフリなども交え(笑)、
がんばって生きていきます。
仲良くしてね。
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26万円分の

2007-02-03 04:19:01 | いぶたろう日記クラシック
服、パンツ、靴、ベルトを買ってしまった。






















……………………………8万円で。

そう、知る人ぞ知る、「SPIC」のファミセです。
トルネードとかハイストとかの季節在庫一掃セールだね。
だいたい1万5千から4万くらいの幅なんだけど、
全品70%引きという驚異のセール。
これにより、俺の持ち服の70%がSPIC系になるという、
実にわかりやすい現象が起きております。
だってねえ、安く買えるに越したことないじゃないねえ。
サイズがなかったり、色が選べなかったりするけれど、
そこはそこ、とっとと贅沢に見極めていけばいいのだ。

痩せたからいろんなもん着られるようになって、また嬉しくなっちゃって、
今回はだいぶ買ってしまいました。
一気に8万も遣うと安くなった感も吹っ飛ぶなあ。。。
だから定価を計算して気分を落ち着けてます(笑)。
26万だぜ。Mac買えるぜ?
いや、8万でも原付買えるけど。
しかも帰りにうっかり美味そうな寿司屋入っちゃって、
またここで1万くらい飲み食いしてしまいました。
忙しいから給料もらっても普段遊んだりとかで遣う暇なくて、
こういう時に破壊的に爆裂してしまう。
うーん、まさに典型的な独身貴族というやつだな。
バンドがないとこんなに金が余るものか。
…なんて、憎たらしいことをさらりと言ってしまう俺は、
もう立派な腐ったオトナよね。
でもいいの、幸せだから(笑)。

しかしこれだけ服買っても着るヒマがなー。
だって1月なんか俺、午前3時より早く帰ったの1日だけだぜ?
4時とか5時とかざら。昨日は7時だ。
休みは5・6日とれたけど。
労働時間計算してみたら軽く350時間越えたよ。
しかも残業代なんかないから、
ホワイトカラーなんたらかんたらも一足お先に適用中。
こんだけ頑張ってんだから、ちょっとくらい浪費して自慢しても罰あたらんだろ。

ちなみに、今日の俺のハートにメガヒットアイテムはこれです。
おしゃれな靴にしか見えない、ミュール。
最近は安易にスーツに頼らない、
塾でもイケるギリギリの線のファッションを追求しているので、
彼は即戦力です(笑)。
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ブームはとうに去ったけれど

2007-02-02 07:53:44 | 特選いぶたろう日記
僕はあの「たらこ・たらこ」の歌が大好きだ。
何を今さら、と笑うなかれ。
そもそも、万事に於いて、流行っているかどうか、
売れているかどうか、ブームのあとかまっただ中か、
そんなものはハナっから僕の価値基準にはないのだ。
僕がいいと思うかどうか、がすべて。
僕に見る目があるかどうかもどうでもいい。
どこぞの権威に「ある」と認めて頂かなくとも、
僕が選ぶものを僕が気に入っていればそれでいいのであって、
この完全かつ明確なる自己完結・自己満足の流れに他人の評価軸などお呼びでない。

だって大衆の選ぶものなんて、たいがいロクでもないじゃない。
「売れてるものには理由がある」かもしれないけれど、
それは必ずしも「品質がいい」ことと同義ではないよね。
浜○とかK○○-○○Nとか、そんなもんがチャートの1位なんだから、
真贋を見定める目なんか大衆に備わっているわけがない。

だからまんまと踊らされて納豆買いだめに走った恥ずかしさを打ち消すように、
みんなでテレビ叩いてるんでしょ。
テレビがウソつくのなんて当たり前。今に始まったことじゃない。
流行はテレビと無知蒙昧な大衆が作るものであって、
それを追いかけている人、追いかけてるつもりで追われてる人が哀れでならない。

閑話休題。
またやってしまった。

で、たらこが好きなんです。
ついつい、口ずさんでしまうのです。
たまに真夜中の仕事場で替え歌にします。

♪しーごとー、しーごとー、
たーっぷり、しごとー、
しーごとー、しごーとーたーっぷり、
しーごとーがやーってくーるー♪


あのメロウで、でも人を食ったような、
食べ物のくせに、
そういう感じに救われます。

で、前々から思っていたんだけど。

僕が詩・曲とも遅筆である理由のひとつに、
「ダメ絶対音感」があるのね。
声優の声で誰と誰が一緒とか、このメロの一部はこの曲と一緒とか、
もんのすごい敏感に気づいちゃうの。
teddy songが出来た時は、イントロのリードの
「たらたらー、たらたらー、たーらーら、たーららー」
が、シャムシェイドだったかの
「もーっと、もーっと、つよくつーよくー」
に聞こえちゃってしょうがなかったし、
「時はただぼーくらーをーきざーみーつづーけー」
が、モーニング娘の
「こんなにーやーさしくされーちゃ」
とカブっちゃってもーやんなっちゃったり、
まあ、センシティブなんですよ。
だからメロ考えてると色んな歌とかぶってる気がして、進まなくなっちゃう。
まあ、今となっちゃあどーでもいい話ですが。

で、今回僕のこのアンテナが捉えてしまってるのが、たらこ。
僕だけかなー。
まあ、歌ってみてよ。
もちろんパクリだとか何だとか言うつもりは毛頭ないよ。
これだけ世に音楽があふれてて、全くかぶらないわけがないんだから。

♪たーらこー、たーらこー、
風にー乗れば今夜ー、
たーらこー、たーらこー、
扉がどこかで、ひらーくよー♪



歌詞見ただけで何の曲か判る人だけ、楽しんでください(笑)。
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2月1日は

2007-02-01 23:48:05 | せんせいとよばれて
東京圏私立中の入試初日。
僕にとっても、特別な日だ。
鬱屈と絶望と憤懣やるかたない世界から、
夢と希望と自由があふれる新天地へ抜け出すべく、
扉をこじ開けた思い出の日だ。

あれから20年が経った。
飛翔があり、旋回があり、着地があり。
いま、あのときには想像もしなかった立場で、
子供たちを送り出す側にいる。
不安、自信、無力感、緊張、希望、彼らの気持ちは痛いほどよく解る。
解りすぎるほどによく解る。
だからこそ、希望通りの結果を出せた子がいれば、
そこまで辿り着けない子もまたある、
そんな現実が胸に突き刺さる。
わずか12歳にして背負わなければいけない十字架の重み。
まばゆいばかりの夢に胸をときめかせてきたればこその、
厳しい、あまりにも厳しい現実。

前者は必ずこう言う。
「ありがとうございました、先生のおかげです」と。
しかしこれを鵜呑みにする教師など、いない。
受験において教師がしてやれることなど、ほんの少しだ。
結局はどこまでも、本人の戦いだ。自分自身との戦いだ。
その孤独を和らげ、行く先を指さし、眼前の足元を照らしてやる、
教師の役割などその程度だ。
本人の努力と信念こそが称えられるべきなのだ。

後者は、あるいはこう言う。
「先生、ごめんなさい」と。
言葉を失ってしまう。
誰よりも本人が辛いはずなのに、なお、教師を気づかう。
胸に迫る。

今日もまた、悲喜こもごも。
決して器用なタイプではないが、
塾を心から信頼し、文字通り昼夜を分かたず日参し、
誰よりも愚直な努力を積み重ねた女の子が、第一志望校に合格した。
塾の実績なんて頭をかすりもしなかった。
ただ、彼女の労苦が報われたことが嬉しかった。
我が事のように、とよく言うが、もはや我が事であった。
これ以上なく嬉しかった。

またある子は、
僕ごときを「尊敬する人」の位置に据え、心の支えとしているという。
それは錯覚にすぎないかもしれず、
それに気づけないほどまだまだ小さな世界の中で、
ひたすらに僕のあとを付いてきた男の子。
俺のマネをして髪を伸ばし、模擬面接の歳には、
「塾の先生のおかげで社会が大好きになって…」という話を衒い無く披露し、
心細くて仕方ないが故にはしゃいで見せ、
最後まで塾を信頼して闘い続けている彼は、
まだ結果が出ていない。

自宅では無力感に嘖まれ、
先生に顔向けできないと自責を重ねているのか、
電話にも出られないという。
大人にとっては長い人生の一部であり、勝負は時の運であり、
挫折こそが大きな経験である。
しかし、それを解るにはあまりにも幼い彼の身を思うと、
察するに余りある。
これ以上なく、辛い。

この職にある者にとって、
最高の充実感と、最大の虚無感とが交差する、
春は暖かく残酷な季節だ。
Comments (2)
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