素晴らしい優勝でした。
岸田の始球式はじめ、政治がやたらすり寄ってくるのとか、
「国威発揚」的に捉える向きとか、
隣国を侮辱・罵倒するようなネット言辞とか、
「日本スゴイ!」「さすが日本人!」「日本人の心!」とか、
そういうナショナリズムをくすぐる演出なんてのはイヤだったけど。
でもそれらを忘れるくらい、選手やチーム自体はすごく良かった。
大谷のコメント
「日本だけじゃなくて、韓国もそうですし台湾も中国も、その他の国も、もっともっと野球を大好きになってもらえるように…」
も、それを象徴していて素晴らしかった。
試合内容も良かったし、錚々たるビッグネームもfor the teamに徹していて、
日本人だからとか関係なく、
観ていて自然と応援したくなるようなチームだった。
何より「国を背負って…」なんていう、
あたかも出征兵士のような悲壮感もなく、
総じて明るい野球少年の集まりという印象で、
新たな代表チームの形を作ったように見えた。
これはやはり栗山監督の手腕によると、衆目一致するところだろう。
ハラではこうはいかない。
アマプロ問わず日本の野球、特に高校野球では、
軍隊を彷彿とさせる昭和の野球部スタイルが長らく幅を利かせてきたようだが、
トップチーム、それも世界ナンバーワンに輝いたチームが、
こういう新たなスタイルを示してくれたのはすごく意味があると思う。
これでしばらくテレビは栗山監督こそが理想のリーダーだと持ち上げ、
その指導法を大袈裟に礼賛し、
Amazonには「栗山に学べ」的なビジネス書が溢れ、
巷にはうわべだけ真似した上司・経営者が溢れるのだろうけど、
一過性のものにして欲しくないなあと思う。
権威的、パワハラ的な指導者に潰された才能って、
実はいっぱいあったと思うんだよね。
落合だって危うかった。
イチローは土井のままだったら世に出なかったかもしれないし、
野茂だって鈴木啓示に潰されかけた。
ダルも大谷も栗山だから戻ってきたわけで、
ここはよく考えないといけないところ。
日本代表の「名誉」だの代表監督の「メンツ」だのはもう通用しない。
選手が前向きに参加し、気持ちよくプレーし、
自然と実力を発揮できて、結果につながるような形とは。
特定の誰かを持ち上げるばかりじゃなくて、
またそれをいたずらに模倣するのじゃなくて、
本質的なところをよく考えて変わっていってほしいと思う。
スポーツに限らず。
後任候補にハラの名前が取り沙汰されるあたり、
本当にわかってんのかなと思うけど。
一方で、今回の栗山監督のやり方は、
超一流の集団だからこそ、という見方も出来る。
選手に敬意を払いつつ、気遣いも欠かさなかった、
素晴らしい手法だとは思うけど、
それがどんなチームにも通じるかといえば微妙よね。
技術はともかく意識面で非常に低いレベルにあっては、
もっとわかりやすい叱咤激励も要るかもしれない。
何事にも段階というものがあって、自由放任がベストかと言えば、
何も言われないのをいいことに甘える、手を抜く、
ふてくされるなんてのはよくある話。
こうした自分自分で頭いっぱいだったり、
やる気さえ疑われるようなレベルへの指導としては、
従来は厳しい圧がよくみられたわけだけど、
少なくとも僕の現場レベルではそれはあまり効果がないと実感している。
うまくいっているように見えて、面従腹背だったり、
管理側の自己満足だったりすることも多い。
じゃあどうするか。
ひとつの鍵として、
ひとりひとりの胸の内に「美学」や「美意識」のようなものを育ててやることだろうなあと漠然と感じている。
そしてそのきっかけは「憧れの存在」の格好いい振る舞い。
あんな風になりたい、あれほどの人がこんなことをやっている、
それが自然と自分を律する。
たぶん大谷もダルもそんな存在。
ダルから見ればきっとイチローがそんな存在。
僕が栗山ジャパンから感じたのはそういうところ。
これって、レベルを問わず有効な形なんじゃないかなと。