いぶろぐ

3割打者の凡打率は7割。そんなブログ。

内省的な思考なるもの2020

2020-05-25 07:00:14 | 特選いぶたろう日記
昨年、44歳にして長男を授かったことをきっかけにして、
自分の人生について考えることが多くなった。
過去を振り返るばかりでなく、
いままではなるようにしかならん、としか考えていなかった、
「これから」のことについて、考えずにいられなくなった。

息子が20歳になったとき、僕は64歳だ。
息子がいまの僕の年齢になったとき、僕は89歳だ。
…生きてるかなあ。

そう、まさにこの「生きてるかなあ」がリアルになってきたのだ。
見渡す限りの大海原だったはずが、
気づけば水平線に浮かぶ島影を視界に収めるほどになっている。
平均寿命を80歳として、僕は既に56%ほどを消費した。
スマホの電池が残り44%と表示されているような感じだ。
野球で言えば6回表、夏休みで言えば8/12、1日で言えば午後1時半。
いますぐどうこうということではないけれど、
いつか来る「その日」を意識しないではいられない年齢になった。

僕はちゃんと息子を成人まで見守ってやれるだろうか。
嫁や孫を見ることはできるのだろうか。
死ぬまで生きればいいだけさ、と
若い頃はまるでリアルに考えたことのなかった「老後」や「余命」が、
息子というカメラを通じて鮮明に突きつけられている感じさえする。

子供の誕生をきっかけに価値観が一変したというのはよく聞く話だが、
まさか自分においてさえ、ここまで変わるものなのかとおどろいている。
若い頃はあれほど泥臭く「自己証明」を追い求めていたのに、
いまや自分が他人にどう見られるかなどどうでもよくなった。
息子さえ幸せになってくれれば、というその一念。
そのために家庭を守り、自分も節制する、という決意。

仕事もただ自己実現というばかりでなく、
「家族と生きていくための安定的な収入の確保」という視点が加わった。
普通はそれが第一なんだろうけれど、
僕はいつも金銭的な見返りよりも、仕事そのものの充実感を優先してきた。
劇的な変化といっていい。
いざとなったら死ねばいい、なんてうそぶいていた自分が、
保険や年金についてこんなに真剣に考える日が来ようとは(笑)。

ふり返って僕の人生、いつでもなんでも遅かった。
受験勉強も、就職活動も、社会人デビューも、結婚も、子供も。
賢明なる周囲が前もって準備を始めても、
なんとなくピンと来ないまま同じ流れに乗るのがイヤで、
ギリギリ直前まで余裕をかましているんである。
それがいざ、にっちもさっちもいかなくなって、
時間も予算もない中で、慌ててドドーッと奇蹟的なつじつま合わせを始める。
運と要領と人間関係に恵まれていたおかげだろう、
それでも大概のことは何とかなってしまったのだった。
入試も、就職も、結婚も、独立起業も。
早い話が人生ナメてるんである。
それがいよいよ、年齢[=人生の時間切れ]という如何ともしがたい〆切に直面し、
初めて戦きを覚えているというのが正直なところだろうか。

実はいま転居を控えていて、連日荷物の整理に追われている。
引越あるあるなのだが、無数のアルバムやら写真やらが出てきて、
ついつい目を奪われ、時間をとられてしまう。
見ていてつくづく思うのは、
何と豊かな思い出に彩られた人生だったろうかという感慨と、
若い頃の自分はどうしてこんなに窮屈そうな生き方をしていたのだろうか、
という甘酸っぱいようなほろ苦いような感傷だ。

素直に思う。
なぜ自分はこんなにも格好つけて生きていたのだろうか。
なぜ自分は過剰防衛に思えるほど周囲に対して構えていたのだろうか。
ここ数年だろうか、もう別に格好つけなくていいやと開き直れるようになった。
そうしたら、ものすごくラクになったのだ。
ラクになったということは、つまりこれが自然体なのだろう。
あまり好きな表現じゃないが、「本当の自分」と呼べるものなのかもしれない。

僕はずっと自分を才能ある個性的な人間だと信じ、
鼻につくような言動と派手な実績で「自己証明」を図ってきた。
それが故に周囲から嫉妬され、疎んじられ、爪弾きにされ、
不遇をかこつハメとなり、さらなる証明のために闘い続けてもきた。
いわゆる多数派や主流派になじめず、異端の位置に自分を置き、
多くのアンチと少数のファンをつくって生きてきた。
あらゆる場で「自分の考え」にこだわり、批判層とは徹底して論争し、
さらに敵を増やしては孤立を深め、居場所を変えて生きてきた。

…というつもりでいたのだ。それも本気で。

これを自分の人間嫌いと反骨精神の故だと思い込み、
普通の組織の中では生きられないと決め込み、
表現への飢餓感と言うよりは、
ワガママを正当化できる手段として「バンド」を選び、
いつまでも「大人」にならなくていいネバーランドに安住し、
いかにも個性的に映るアマノジャクな発言や奇行を好み、
本当は臆病なくせに喧嘩上等のロッカー気取りで生きてきた。

でも、いま振り返って、本当にそれらはありのままの僕だったのだろうか。

45歳の僕は素直に思う。
僕はそんなに奇天烈な個性を備えた人間ではない。
雰囲気だけはあるかもしれないが、大した才能も持ち合わせてはいない。
争いごとも本当はニガテだ。堪えがたいストレスになる。
そもそも僕はストレス耐性が度を超えて低い。
我慢が利かない甘えん坊で、ワガママで、さびしがりで、
まるでロックなんてガラじゃない。
実は昭和の歌謡曲な人間なのかもしれない(笑)。

そんな恥ずかしい自分を隠すために、理詰めで雄弁で好戦的なキャラを装い、
引っ込みがつかないまんま、カッコつけて生きてきたのではないかと思う。
そして、それは一部の身近な人間にはバレバレだったのではないか。
彼らが気づかないふりをしてくれたことで、僕は自己完結できていたのかもしれない。
弱い自分、甘えた自分、恥ずかしい自分を認めて受け容れることができて、
はじめて本物のカッコよさが身につくんだよと、
いまなら若い頃の自分に助言してやれるのだが。

母に言わせれば、3〜4歳頃までの僕は実に穏やかな性格だったそうだ。
泣きも喚きもせず、よく食べよく眠りよく笑い、ふんわりとしていたそうだ。
それが幼稚園に上がる頃からグッとキツくなり、
いつも他者の言動に身構えるような子供になったのだという。
背景には、この時期の異常に厳しかった父の存在があるのではないか、と母は言う。
父は軍人だった祖父のスパルタ教育のもとに育った。
そして祖母がまた強烈で、金銭トラブルが絶えず、
子供も放って好き勝手やっているような人だったから、
父は根深い母親不信に囚われ、母性愛にも飢えているところがあったようだ。

そんな父は、長男への力みもあったのだろう、
「こいつはおれに似ているから、おれと同じく厳しくしないと(祖母のような)とんでもない人間になる」
というようなことを錦の御旗にして、僕に随分辛く当たった。
殴られ蹴られは序の口で、夜中に物置に括りつけられたり、
山中に捨てられかけたこともあるのは以前書いたとおりだ。
そのどれもが取るに足りないようなことで、

「ウソをついた」
「箸の持ち方が悪い」
「いい加減な知識でものを言った」

というようなことで、僕はしょっちゅうボコボコにされていた。
いつ何時、どんな理不尽なことで責められるかわからない。
一時期の僕はクルマの音で親父が帰ってきたと知るやいなや、
慌てて2Fへ駆け上り、部屋に逃げ込んでいたような有様だった。
何かあると階下から僕を呼びつけるでっかい怒声が響いてくる。
やがて大きな足音が階段を上ってくる。
足音が終わると部屋の扉が開き、家中がきしむような声で怒鳴られ、
散々に打ち据えられるのだ。
あの震えるような思いはいまでも夢に見ることがある。

とにかく僕は、親父に褒められた、認められた、味方をしてもらった記憶がない。
いつだって貶され、ケチをつけられ、叱られ、お前が悪いと罵られた。
いまとなっては別に怨みもなく、もう幼少期の笑い話のつもりでいたが、
こうして文字に起こしてみると随分なもので、
我が事ながら苛酷な幼少期だったなあと思う。

そしていまこれを敢えて書いたのは、
自分の人格形成に、この時期が少なからず影響しているのではないか、
と思い始めたからだ。
自分の人格なんて自分でコントロールできるはずのものだし、
あんな一時期だけのことで、そんな大袈裟な…と思っていたが、
考えてみれば幼少期の人格形成は一生にわたって影響を及ぼすものだ。
何歳まで、というような専門知識は持ち合わせないが、
少なくとも幼稚園程度までには人格の根底部分は形成され、
親の接し方がそれに大きく影響するのは間違いないだろう。
僕は職業柄、多くの親子を目にする機会があり、
また多くの教育関連書籍を読んでいるが、
それらを通じて得た客観的な視点を、自分自身の来し方に向けたときにようやく、
そんな当たり前と言えば当たり前のことに気づけたというわけだ。

何も自分のダメなところをすべて親父のせいにしようというのではない。
僕の人生の不出来・不作為はすべて自分の責任だ。
僕は自分自身の、ヘンに曲折した、ある意味で不器用な、
人格のルーツへの純粋な興味でこれを書いている。
教育なのか遺伝なのかは知らないが、親父から得たものもたくさんある。
多くの本を読んだり、自分で文章を書いたり、人前に出て話すこと。
それらをおおよそ苦にしない「言葉の力」はそのひとつだろう。
それが苦境に立つ僕を救う武器や防具にもなったし、
いまもって生き抜いていく力のひとつになっている。

だけど一方で、なんとややこしい性格になってしまったことか、という嘆息がある。
母親の言う、ふんわりとした穏やかな性格のままでいれば、
こんなにも敵をつくらず、学校でも会社でも孤立せず、麻布にもバンドにも縁がなく、
また全然違った人生があったかもしれない。
別に、そうだったらよかったとは、まったく思わないけれど。

とにかく子供の頃の僕は、どこへ行っても疎んじられた。
親父にコテンパンにやられるばかりか、
学校でも厄介者扱いされ、先生からもクラスメイトからも疎外されていた。
周囲の大人には煙たがられたり否定されたりするばかりで、
おおよそ褒められたり認められたりした記憶がほとんどない。
可愛がってくれたのは田舎の祖父母や叔父叔母くらいだろうか。

そして僕はそのイライラを、より弱く幼い弟や妹にぶつけていた。
親父が居なくなって、親父のように接することしか知らずに、
十代の頃は母にも随分居丈高に、冷たく当たったような気もする。
何もかも否定されるあまり、自己肯定感に飢えていたのだろう。
母親は大きな愛情で僕ら兄弟を包んでくれてはいたが、
この年頃では母親の言葉は素直に受け取れない。
ふり返り見て、少なくとも二十代くらいまでは、
「自分は愛されている」とか「自分は必要な人間だ」という自覚に乏しく、
常にそれを求めて、他者に要求していたようなところがあったのは否めない。
しかもそのやり方が素直じゃなく、毒舌や奇行で目を惹こうとするような幼さだ。

本当に、いまだったら当時の自分に気づかせてやれることができるのに、と思う。
僕自身は父性愛にも飢えているところがあり、
尊敬できる年長の男性と出会っては感化されてきたようなところもある。
惜しむらくは、それらが憧れの域を出ず、表面的な模倣に留まり、
内面から揺り動かされるまでに至らなかったというところだろうか。

そばに父親が居て、年齢に応じた軌道修正を施してくれていたなら、
こんなにも拗れなかったかもしれない。
親父は親父で、いずれそうするつもりはあったのだろうか。
何せほとんど家に居なかった上に、10歳からは別居状態だ。
普通は反抗期があって、父子でぶつかり合って、という経過をたどるのだろうが、
親父とまともにコミュニケーションできるようになったのは、ここ10年のこと。
定職に就き、結婚もしたことで、大人と大人の関係に成熟できたのか、
ここ最近の父子関係は極めて良好だ。
僕自身にも親父を許す…というのとはちょっと違うかな、
親父そのものというより、親子関係のねじれを「乗り越えた」という感慨がある。
四半世紀にも及ぶ親子の断絶、その修復はたぶん、親父にはできなかったろう。
それを僕からのアプローチで、自然な形でできたことが大きい。
そのことが多分、僕自身が自己像を修正できる心の余裕も生んだのだろう。
そしてそれは、これから自分が父親として、息子との関係構築を考えていく上で、
避けて通れないテーマでもあっただろう。

45歳にもなって親の影響がどうのなんて、言い訳めいた話だと思う。
「本当の自分は」だなんて、わざわざ言語化するようなことでもないし、
そもそも、人格なんてものは何とでも言うことができる。
自分語りは他人にこう見られたいという願望の投影でしかない。
だけど敢えてそれを語り、認めたくない、恥ずかしい自分を受け容れようと思う。

僕自身はいつでもどこでも同じ自分でいるつもりでいた。
けれど、人によって僕の人物評は180度違うこともある。
ある人は尖っているといい、怖いといい、ある人は温かくてやさしいという。
それは演じている「強い自分」への共感だったり反感だったり。
あるいは装いきれずに露呈している「弱い自分」への同情だったり嫌悪だったり。
僕はだいたいそんな風に理解していた。
ところが、ある日何気なく妻が呟いた一言で、
僕は頭を打ちのめされたような衝撃を受ける。

「あなたは自分を慕う人間にはものすごく優しいし愛情も注ぐけれど、
  自分を嫌う人間や裏切った人間にはものすごく頑なで冷たい」

ぐうの根も出なかった。
シンプルに、核心を衝かれた思いだった。
この僕評はおそらく、僕に関わったすべての人が一致するところだろう。
そしてそれはまさに、母性愛に飢え、
自己肯定感に渇いていただろう親父の性格そのものでもある。

教育か、遺伝かはわからない。
僕はおそらく、お袋のお人好しなまでの情の深さをも受け継いだおかげで、
親父のアクが薄まって、親父ほど良くも悪くも極端な人間にはならなかった。
僕の血も親父の血も、そしてお袋や妻の血も受け継いだ息子が、
これからどんな人間に育っていくのか、興味は尽きない。
ただ、僕は少なくとも息子に寂しい思いは絶対にさせたくないし、
父性愛にも母性愛にも飢えることなく、
自己肯定感たっぷりに育ててやりたいと思っている。
Comment    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« おっさんトーンポリシング | TOP | 皮膚科デビュー »
最新の画像もっと見る

post a comment

Recent Entries | 特選いぶたろう日記