【ブー君フー君の逆襲】

【ブー君フー君の逆襲】

小学生時代、学校が終わると走って帰り、誰もいないアパートの部屋の鍵を開け、ランドセルを放り出し、真空管式白黒テレビのスイッチを入れ、3時のニュースに続いて放送される『ブーフーウー』を見るのが好きだった。

進行役のお姉さんがトランクから小さな三匹のこぶたを取り出し、テーブル上のセットに並べ、壁にあるネジを巻き、スイッチを入れると人間が入った着ぐるみの三匹のこぶたの映像へとじょうずに切り替えられて動き出す。テレビ放送初期の素朴で可愛らしい特撮であり、種はわかっているのにワクワクしたし、番組の最後に動いていた三匹が人形に戻って動かなくなるシーンには何とももの悲しい情感があった。
 
どんな番組でも三匹のこぶたではウー君がいつも優等生であり、それは高度成長時代の模範的少年像だったのかもしれない。ブーブー不平不満を言い、フーフーくたびれてばかりいてはいけない、ウーウーといつも頑張り、家だって木や草では駄目で、石やレンガやコンクリートの家がいいんだぞ、と教え込まれた世代である。
 
折しも東京オリンピックが開催され、新幹線が開通し、高速道路が張り巡らされ、コンクリートの建物がどんどんできた。小学生時代を過ごした東京都北区王子ではコンクリート造りの小さなデパートもどきがいくつも開店し、地元小学生が招かれ、僕はそのシャッターにペンキで絵を描かせて貰ったりし、地域住民はデパートがいくつもできた王子はすごい街だと興奮したものだった。

そして、中学入学と同時に生まれ故郷に戻ったら、清水でもデパートができると大騒ぎしていた。


清水に初めてできたデパートの今
Data:MINOLTA DiMAGE 7

木や草など使わないコンクリートの建物は永遠に不滅だと思ったし、コンクリート建築にも寿命があると知るようになってからも、コンクリート建築の寿命はちっぽけな人間の寿命より遙かに長いのだから、その尽きるところを見ることが難しい分、やはりコンクリート建築は長嶋茂雄にとっての強い読売巨人軍と同様、永遠に不滅だと思ったのである。


よくコーヒーを飲んだこの店の裏手にあった清水商工会議所のモダンな建築もすでにない
Data:MINOLTA DiMAGE 7

懐かしい街を訪ね、唖然とするのは当時真新しかったコンクリート建築が老朽化し、災害時の危険をも指摘される厄介者と化し、早々に解体されて跡形もなかったりするのである。跡形もないならまだましで、誰も引き取り手がなく、解体の費用も捻出できないまま、哀れな姿をさらしているコンクリート建築も多いのである。


ドボルザークを口ずさみながら歩けば、いまも新世界はある
Data:MINOLTA DiMAGE 7

それに引きかえ、ちっとも暮らし向きが良くならないとブツブツ文句を言い、貧乏暇なしでいつも飛び回り、汗を流し、くたくたになって生きてきたブー君やフー君の家が根強く残っているのは感動的でもある。そういう真っ当な現実に感動することができず木や草の家は後進性の現れだと思いたい一部の人々から担がれた田舎政治家が、今だにウー君役を引き受けて欲という外壁材で覆われたコンクリートの箱物建築に血道を上げているのである。

( 2009 年 3 月に閉鎖した電脳六義園通信所 2004 年 4 月 25 日、18 年前の日記に加筆のうえ再掲載。)

コメント ( 0 ) | Trackback ( )

【夏みかん】

 【夏みかん】

保育園に通っていた頃、預けられていた清水市大内の祖父母の家には、日当たりのよい縁側に昔ながらの酸っぱい夏みかんがたくさん転がっていた。

祖母が器用に剥いてくれ、ホロをすべて取り去ると「バナナ」、ホロをくるりと裏返してつけたままにすると「カラス」と呼んでいた。「こんどはバナナかカラスか」と祖母が聞くので「バナナ」と言うと、錆びた握り鋏を使って飴細工のような手捌きで作ってくれた。

九州産の甘夏みかんを買ってきたので「バナナ」にしてヨーグルトで食べさせようと思ったら、品種改良が進み、柔らかく果汁が多すぎてうまくいかない。

往生しながらふたつ食べたところで祖母を思い出したので、最後のひとつは料理バサミを使ってみようと思う。

コメント ( 0 ) | Trackback ( )

【ミカンの花咲く頃】

【ミカンの花咲く頃】

母が上京して同居になってから、その母を伴っての清水帰省では自由時間がほとんどないない。

病いが重くなるにつれて、杖としてすがられることが増えてきたわけで、いつ名前を呼ばれるかわからないのでかたときもそばを離れられない。しかも、母はだんだん声が小さくなってきたくせに、
「呼んでるのに聞こえないなんて、あんたも歳を取って耳が遠くなったね!」
などと嫌味を言うのでかなわない。

それでもなんやかやと理由を作ってひとり外出できる時間がつくれることもある。
思えば高校を卒業したのを機に、さっさと郷里を離れてしまったので、花を愛でるような一丁前のロマンチック成人男子になってからの記憶がない。このところ頻繁に帰省するようになって、花の開花ひとつとっても驚くことが多い。

もっとも驚いたのは、東京より清水の方が桜の開花時期が遅いことで、東京で花の見頃が終わってから、清水では花見シーズンがやってくるのである。桜の品種の違いもあるのかな、とも思ったけれど、この時期すでに満開を過ぎたハナミズキが清水ではまだ開花していないので、やはり春の花は総じて東京より遅いのかもしれない。


Data:MINOLTA DiMAGE 7

静岡県清水岡町。朝の久能道を清水美濃輪町で魚屋を営む友人宅に向けてぐいぐい自転車を漕いでいたら、道沿いのミカンの木がみな白い花をつけているので驚いた。

ミカン産地に生まれ育ったりすると、ミカンの花はどんな花で、どんな匂いがし、いつ頃開花するのかと尋ねられることが多い。なにせ「花を愛でるような一丁前のロマンチック成人男子」になる前に郷里を離れてしまったのでしどろもどろになることが多く、そうか、5 月の連休前のこの時期に咲くのかと改めて知って驚くとともに、嬉しくもなった。


Data:MINOLTA DiMAGE 7

「♪み~かんのは~なが~さ~いている~、お~もいでの~みち~お~かの~みち~」
いいものを見た、いいことに気付いたとご機嫌になり、ズンチャッチャッズンチャッチャのリズムに乗って唄を口ずさみながら魚屋裏の自宅に行き、
「この時期にミカンの花が咲くんだね」
と言ったら、
「そう、この時期は藤も満開で次郎長通り裏もあれこれええ匂いんするですよ」
などと更に高尚な花情報で切りかえされた。ちゃんと地元に根付いて「花を愛でるような一丁前のロマンチック成人男子」になったやつにはやっぱりかなわない。

( 2009 年 3 月に閉鎖した電脳六義園通信所 2004 年 4 月 24 日、18 年前の日記に加筆のうえ再掲載。)

コメント ( 0 ) | Trackback ( )

【…とは】

 【…とは】

若者が主人公になった物理学をめぐる小説(昨日の日記に書いた機本伸司『神様のパズル』)を、本から本へ波乗りする勢いで買ったので、一気呵成ハードボイルドに読了した北方謙三に続いて読み始めた。

いきなり「ホロピアス」なんていうおっさんが知らない言葉が出てくるのでネット検索しながら読んでいく。検索では「とは」をつけて「ホロピアスとは」というように文字を打ち込んでいる。

つぎは「素粒子とは」と入力していちおうの基礎知識を確認すると「物質や場を構成する最小単位」という理解で合っていて、「とみられる」と後ろにつくところが大切だよな、と確認する。

メンデレーエフで「周期率とは」と入力すると次は「原子番号とは」を確認したくなり、じゃあ「陽子とは」あたりまでの波乗りを終え(「加速器とは」とやったら沖に流されそうで引き返した)、読みかけたページに引き返して続きを読む。

どうでもいいと思いつつ「ベタとは」とやってみると、「ベタとはひねりがないことを面白味がないと感じる若者言葉です」などと、星新一のボッコちゃんに教えてもらっているような答えが返ってくるのでおもしろい。こういうひねりのある・なし感覚は世代による気分の振幅として長いスパンで (ムゲン)だろう。

「対消滅とは」の答えは「素粒子の反応で、素粒子とその反粒子とが合体して消滅し、光子または他の素粒子に転化する現象」なのだという。消滅ということばに引かれると何を言っているかわからない。原色が混合すると対となる原色同志の関係は消滅するけれど、合体して白色光となる加色混合と、合体して闇になる減色混合があると言い直すと自分なりの意味は通る。

「物質と反物質とは」というのは視覚伝達技法の教育を受け、それを生業にしてきた人間から見ると「図と地」の関係に近しく思える。点が一点うたれた瞬間、点が「図」となり「図」以外の反・図が「地」となって、対の関係として「世界」と存在が名指せるものが生まれる。

「宇宙ひもとは」なんぞやと入力すると「宇宙には電磁波で観測できない暗黒物質がある」と考えられている物質の一候補なのだという。ビッグバンの直後ひとつだけチカラはあった、としたいわけだけれど、それがなぜ宇宙の扉をこじ開けるバールのようなものではなくて、高密度のエネルギーを持つひも状のものでなければならないのかはわからない。存在がまだ証明されていない理論という妖怪がでてくるガチャポンのようである。

「ゲージ粒子とは」を検索して説明を読んでいたらミックスベジタブルを構成する基本粒子トウモロコシ(黄色)・ニンジン(赤色)・グリーンピース(緑色)を思い出した。わが家ではグリーンピースのかわりにタマネギ(白色)を使った北海道産の冷凍ミックスベジタブルを愛用している。最近は飲食店で「グリーンピース抜きで」と注文する若者を見かけるので、グリーンピースを受け入れないそういうニーズがあるのかもしれない。

「超ひも理論」「とは」すると素粒子を点ではなくミクロなひもと考えることなのだそうだ。自分が子どものころ学校で点と線の幾何学的定義を習って「なるほど点と線っておもしろい!」と感動したのが視覚伝達美術を職業に選んだきっかけなので、そりゃ点より線で考えたほうが都合がいいでしょうよ(ひもだけど)と思う。

あと数ページでこの世界(本)もお終いというところで「人間原理」が出てきたので、そういうのが本当にあるんだろうかと検索したらウィキペディアに項目があって、その書き出しが「人間原理とは」だったので笑った。

人間原理(にんげんげんり、英語: anthropic principle)とは、物理学、特に宇宙論において、宇宙の構造の理由を人間の存在に求める考え方。「宇宙が人間に適しているのは、そうでなければ人間は宇宙を観測し得ないから」という論理を用いる。

そういう方法で一の場所に据えるのが「我」だったり「脳」だったりするのだけれど「人間」という「ベタ」なひねりの直球攻めになるほどと感心しながら読了

コメント ( 0 ) | Trackback ( )

【無為観照】

 【無為観照】

「趣味:映画鑑賞」と書く成人の気持ちがわからない。映画が嫌いなわけではなくて、ごくたまに観ることになって、優れた出来栄えには「いいものを観た」と感動はするのだけれど、表裏一体となって自分の実時間を損したという思いが拭えない。

自分の実時間に関しては無為に過ごしても損したと感じたり持て余すなどということがない。意にそぐわない干渉を受けるのが苦手で、幼い頃から一貫して、何もない場所でのひとり遊びが苦にならない。あえて書けば「趣味:無為観照」。

コメント ( 0 ) | Trackback ( )

【ぼたとおはたき】

【ぼたとおはたき】

自分の日記を読み返してみると、2000 年 11 月 20 日の日記にこんなふうに書いている。

「割れた米を「ぼた」と呼ぶ地方もあるそうだ。ぼたで作った餅だから「ぼた餅」だというのである。「牡丹餅=ぼた餅」の異説である。いずれにせよ、食べ物を大事にしていた時代のお話だ」

牡丹(ぼた)餅・お萩というのは春と秋のお彼岸商戦に合わせて和菓子屋が付けた名前であり、もともとは「ぼた米」で作ったから「ぼた餅」だったと思っている。ボタ山の「ボタ」とも語源を同じくしそうな穀類の屑である「ぼた」を、北陸では「おちらし」と呼び、郷里静岡では「おはたき」と呼ぶ。その「おはたき」と「ぼた餅」を繋ぐものはないのかしらと心の片隅で思っていた。

郷里静岡県清水の駅前銀座商店街。
すっかり人通りが少なくなったけれど、顔見知りの店主もいるこの商店街が、しばし介護生活から離れての買い物に都合がいい。義父の食事にはスプーンよりレンゲが適しているとわかったのだけれど、樹脂製のレンゲでは可哀想なので、薄い磁器製のを買ってあげたかったのだけれど、駅前銀座で馴染みの店に行ったらすぐに見つかった。続いて義父母の部屋の照明器具、そのグローランプが2種類切れていたのを出掛けにポケットに突っ込んで帰省したのだけれど、向かいの電気屋で「これと同じやつ」と言ったらすぐに棚から取り出して貰えた。すいている商店街というのは店主の応対もきめ細やかで、消費者にはかえって便利なのだ。

帰省するたびにシャッターを下ろした店舗が増えていくのだけれど、その前に荷物を広げて野菜や乾物を商う人たちが現れていて、僅かではあっても活力を補っているのがいいものだなと思う。戦後元闇市から発展した商店街を再生する鍵は、平成の闇市を復興することにあるのかもしれない。

何か買うものはないかしらと道端に並べられている商品を眺めていたら、「おはたきもち」なるものがあるのに驚いた。やはり、米俵や米櫃の底をはたいて集めた割れ米(ぼたまい)をためておいて餅にした伝統食だという。この「おはたき(ぼた)もち」を丸めて餡をまぶしたものが「ぼた餅」の原型だったのだろうと意を強くした。

( 2009 年 3 月に閉鎖した電脳六義園通信所 2003 年 4 月 23 日、19 年前の日記に加筆のうえ再掲載。)

コメント ( 0 ) | Trackback ( )

【潮流にのる】

 【潮流にのる】

検索のネットサーフィン――たぶん富山ライトレール関連の地名検索――をしていて、偶然目についた伊藤彰彦『最後の角川春樹』毎日新聞出版を電子書籍で買ってみた。おもしろく読んでいたら「えっ!」と驚く意外な裏話(角川「N市のモデルは静岡県の清水市なんですよ」)が書いてある本を見つけ、その北方謙三『さらば荒野 ブラディ・ドール⑴ 』角川春樹事務所を電子書籍版で買って読みはじめた。

偶然が連鎖しなければ北方謙三は一度も読むことはなかっただろう。意外な波に乗って思わぬ方向に流されたついでに、同じく『最後の角川春樹』に出てきた小松左京『果しなき流れの果に』角川文庫、機本伸司『神様のパズル』角川春樹事務所の電子書籍版も買ってみた。

暦どおり休日の島づたいに、仕事をしながら在京で過ごすゴールデンウィークの、きわめて電子的なマリンレジャーである。

コメント ( 0 ) | Trackback ( )

【怪しさ礼賛】

【怪しさ礼賛】

街の中で「怪しい物」を見つけると嬉しい。それは幼い頃から変わらない喜びである。
街の「怪しい物」とは、おとなたちの仕事や道楽や生活のアカが吹きだまりとなったものであり、かならず何らかのよんどころない事情が隠されていて、想像を働かせながらこっそりあばいて読みとることが子どもにとっては楽しいのだ。実はおとなになってもかなり楽しい。
 
「怪しい物」がぜんぜんない街はつまらない。健全な「怪しい物」は子どもたちの情操を育み、おとなたちをひと回りもふた回りも大きく見せ、地域に十倍も百倍も深みを与えてくれるわけで、その「怪しい物」は住民一人ひとりが創出するものでありながら地域全体の宝でもある。

『道(みち)』を歩くより『径(みち)』を歩いた方が断然怪しい物に出会えそうな気がするのは、単に『径』と『怪』の字が似ているからにすぎないけれど、それでも表通りより裏通りの方が楽しいのは確かである。

近所の小径(こみち)を自転車で通りかかったら道端の光景がプンプンと臭うように怪しい。
等身大で作り物の人体が暗がりに立っているというだけでドキッとするのだけれど、よくある出来損ないのブロンズ像ではなく、木彫であるのが相当に怪しいのだ。


Data:SONY Cyber-shot DSC-S85

芸大も近いし、木彫を志す市井の人がいてもおかしくはない土地柄だとは思うのだけれど、背中に背負った背負子(しょいこ)と薪と縄紐が彫刻ではなく本物であるのが極端に怪しい。ブロンズ像を作ろうとして人体は作ったものの、衣服の襞などの表現が難しいので本物の服を着せちゃった、と同じくらいの違和感がある。

というわけでこれは芸術作品を作ろうとしたものではなく、かなり意図を持った説明的な人体像であるように思えるのだ。

意図的で説明的な像、で思い出すのは二宮金次郎像なのだけれど、貧しい暮らしを強いられ薪を背負って働きながらも学業に励む少年だったからこそ金次郎像はありがたい。けれど、この金次郎は老けすぎていてほとんど尊徳に近い。金次郎は、少年には酷なほど重そうな薪を背負っていたはずだけれど、この尊徳はこの体つきならもっと背負えるのに、適当な重さを背負うことで楽をしている。どうにもひたむきさが感じられない。

持ち主すらこの像にさほどの芸術的価値を認めていないらしく、頭に『弥彦山』などと書かれた菅傘(すげがさ)をかぶせたりして、あまり大事にしていないどころか、半ば茶化しつつ呆れ、どちらかというと置き場所にも困っているのかもしれない。


Data:SONY Cyber-shot DSC-S85

帰宅後に写真を子細に眺めると、うしろに意味もなく巨大算盤(そろばん)があったりし、大きな煙突のあるご商売でもあるので、なんとなく「怪しい物」の謎解きはできる。頭の体操が社会勉強を兼ねるという意味でも、「怪しい物」は地域にとって今も昔も変わらない大切なものである。

( 2009 年 3 月に閉鎖した電脳六義園通信所 2004 年 4 月 22 日、18 年前の日記に加筆のうえ再掲載。)

コメント ( 0 ) | Trackback ( )

【朝の連立方程式】

 【朝の連立方程式】

自分があまりよくない考えごとをはじめたときは、たいがい過去のできごとを現在のできごとに代入しようとしている。

過去のいやな気分と現在のいやな気分が同じ原因であるという必要条件を並べて、他人のせいにするための十分条件をねつ造する方程式をつくっているのだ。

だから「現在に過去を代入するな」というのを座右の銘というか自分への戒めにしている。少なくとも朝から気分の連立方程式を始めるなと。

コメント ( 0 ) | Trackback ( )

【午後四時過ぎのひとまわり】

【午後四時過ぎのひとまわり】

桜の花が散り、向田邦子の好きな「豆がおいしい季節」になり、驚くほど日が長くなっている。

午後4時をまわっても外出してひと仕事できそうな明るさがあるのがうれしい。静岡県立大学木苗直秀教授らの執筆による『ワサビのすべて』という本の装丁データがまとまったので、納品するため東大正門前まででかけた。


東京都文京区本駒込6丁目にて
DATA:RICOH Caplio GX

本郷通り銀杏並木の若葉があまりにきれいなので、バス停の手前で見上げて写真を撮っていたら 1 時間に数本しかない貴重なバスを乗り過ごした。次のバスを待つか、とぼとぼと歩くか、それとももったいないけれどタクシーに乗るか、の三者択一に悩んでいたら、ふと秋葉原で買いたいものがあることに気づき、駒込駅から山手線で秋葉原に寄り道し、秋葉原から総武線でひと駅お茶の水まで電車に乗り、さらにお茶の水からバスで東大正門前に出るという大回りのコースにした。

御茶ノ水駅ホームからお茶の水橋方向に上る階段を駆け上がったら強烈に花の香りがし、改札手前で振り向いたらなんと古くて狭い駅構内に花屋ができていたのだった。
 
御茶ノ水駅界隈は亡き母が通い、いまでも義父母の通院が続く順天堂医院がある。ほかにも東京医科歯科大付属病院、日大付属病院、杏雲堂病院、三楽病院などおびただしい数の病院が集まっていて、見舞いなどに訪れて慌てて花を買い求める客を狙ったのだろう。それにしても、よくこんな狭い場所に店が開けたものだと感心した。


お茶の水橋橋上から見る東京医科歯科大付属病院工事現場
DATA:RICOH Caplio GX

2003年の晩秋に清水から上京し、順天堂医院に入院した母を見舞ってくれた郷里の伯母たちは、御茶ノ水駅で聖橋側出口から出てしまい、東京医科歯科大付属病院のまわりをぐるっと回って遠回りし、ようやくめざす病院を見つけたと苦笑しながら言っていた。

御茶ノ水駅も老朽化して手狭になったように感じられるし、各病院も狭い敷地を工夫して改築・増築を進めているし、お茶の水をめざす病人がどんどん増加しているように見えるし、その一方で初めての人にもわかりやすい街作りは遅れているし、通院する老人が増えているのに都営バスは赤字を理由にバスの本数を減らすし、満足にタクシーが客待ちをするロータリーさえないので、御茶ノ水駅界隈はおもちゃ箱をひっくり返したようになっている。


お茶の水橋橋上より聖橋方向を望む
DATA:RICOH Caplio GX

編集者の友人と話していたら、K大学付属病院に取材して聞いた話によると最近は医師からの説明を聞く際に三脚付きのビデオカメラを持ち込む患者が急増しているという。一世一代、一生に一度かもしれない医師からの告知を記念撮影したい……という理由ではなく、医師がどんな説明をしたかを証拠として記録するらしい。すさまじい世の中になったものだとため息が出た。

( 2009 年 3 月に閉鎖した電脳六義園通信所 2006 年 4 月 21 日、16 年前の日記に加筆のうえ再掲載。)

コメント ( 0 ) | Trackback ( )

【水の中の笑い】

【水の中の笑い】

絶望している人を癒し励ましともに今を楽しむというのは口で言うほど簡単ではない。

慣れない告知に戸惑う県立病院の若い医師に、自分は何度も死ぬ覚悟をしなくてはならない病気を経験したので、死ぬことはちっとも怖くないから大丈夫と逆に励ました母だけれど、余命半年と言われたのが 1 年を過ぎ、心と身体の痛みに耐えながら結局 2 年間生存し、その過程でいつ果てるともしれない苦しみの中、母にもやはり絶望がやってきた。

高校三年生の夏。明け方までやかましい店舗兼用住宅暮らしでは受験勉強ができないと、長野県白馬の学生村に泊まり込んで夏休みを過ごした。ときどき清水に電話すると激しく咳き込む母が気になった

学生村での合宿を終え、信濃森上発の中央線で新宿駅に着いた息子を迎えに出た母は、肺ガンで余命幾ばくもないと告知されたと言った。そして夕暮れの街をふたり並んで歩き、「映画館で『男はつらいよ』でも見ようか……」ということになった。

マドンナが誰で、どんな話の筋だったかまったく覚えていないし、皆が笑う場面でもちっとも笑えなかったと、のちになって母は笑いながら言った。

娘時代に患った結核が自然治癒した跡をガンと判断した誤診だとわかって命拾いし、その後 30 年ちょっとの人生があったのだけれど、母はあのとき一度絶望していたのだ。


DATA:NIKON COOLPIX S4

心の闇の中で絶望している母を誘い出しては六義園内を散歩した春があった。

園内のコイたちは餌を貰い慣れていて、池の端や橋の上に人影が見えると群れ集まって来て、口を大きく開け水面に突きだして餌をねだる仕草をする。母はそれがおかしいとよく笑い、当時は売店で売られていた麩やコイ専用の餌をやるのが好きだった。

口を開けたコイたちに向き合って心の底から笑っている姿は、母にとって数少なくなったよい笑いのひとつだった。


DATA:NIKON COOLPIX S4

あれからもう丸2年も経つんだなぁと感慨深く、雨上がりで人影まばらな六義園内を歩き、橋の上に立ったらコイが集まってきてやはり水面に大きな口が並んだ。

口を開けて待っているのも楽ではないようで、流れ込む水をゲプッと吐き出したり、流れ込んだ松葉に目を白黒させたり(そう見えるだけ)、仲間と押し合いへし合い場所を奪い合ったり、横にやってきた亀の頭を餌と間違えてくわえたり、いつまで待っても餌が降ってこないことに腹を立てたように激しく身を翻して水中に消えたりする様を眺めていると飽きることがなく、いつまでもそうしていたいと思っている自分がいる。

パカッ、パカッと水面に開くコイの口を見ていると無心になり、無心には絶望すらないという当たり前のことに改めて気づく。
 
絶望している人を癒し励まし共に今を楽しむことは難しい。
それはおそらく、癒そう、励まそう、楽しまそうとしているからであり、パカッと開いた間抜けたコイの口のような、無心の笑いをバカ息子なりにもっと母に見せてやれなかったものかと今になって思う。


DATA:NIKON COOLPIX S4

年老いた親たちを見ていて、親たちにとってかけがえのない癒しは無心でいることなのだろうと思う。さりげない仕草の中に無心を求めている姿を目にするたびに、親と子が無心に向き合って過ごすことこそ最高の親孝行だったのかもしれないなと、コイのパカッと開いた口を眺めながら思うのだ。

母はやがて「ふっ…」とコイが飲み込んだ水を吐き出すようなため息をつき、
「さあ、少し冷え込んできたから帰ろう…」
と言って身を水中にひるがえすように、六義園正門出口に向かって歩き始めるのだった。


DATA:NIKON COOLPIX S4

眺められている水中のコイからは、ヒトという絶望する生きものが癒しや励ましを求めて水上にパクッと口を突き出している、そんなふうに見えているのかもしれない。

( 2009 年 3 月に閉鎖した電脳六義園通信所 2006 年 4 月 20 日、16 年前の日記に加筆のうえ再掲載。)

コメント ( 0 ) | Trackback ( )

【地と図と二項対立】

 【地と図と二項対立】

図像は地(じ)と図(ず)でできている。

「地と図」とは「土台となる全体と、形となる部分」のことで、日の丸は二対三で横長の白い四角を「地」とし、その天地寸法五分の三を直径とする赤い正円を「図」とし、「地」の上下左右中央に「図」を配したものをいう。

そして青空に日の丸の旗を掲揚すると、そこでは青空が「地」で日の丸の旗が「図」となる。世界は「地」と「図」でできていて、「地」がなければ「図」がない、「図」があることによって「地」がある。「地と図」が一対の関係となって無から有をつくっている。

一対の関係をつくっている二つをむりやり取り出して論じると矛盾が生じてそれを二項対立という。英語でバイナリー・オポジション(binary opposition)といい、オポジション(対立)するバイナリーは、コンピュータだと「0」と「1」からなる二進数のことで、「無と有」が一対の「地と図」になっている。

人が二項対立の隘路に入ってにっちもさっちもどうにもいかなくなりがちなのは、互いの都合で「地と図」が反転して見えているのであり、二項対立を収めるにはその「図」を一対の関係として見るさらに大きな「地」が必要なのである。

コメント ( 0 ) | Trackback ( )

【侵略と拘束】

【侵略と拘束】

このところ郷里清水に帰省するたびに母の身辺整理を手伝わされることが多く、長期不在で荒れ果てたベランダ花壇整理を兼ねた復興作業もその一つである。

園芸に関して母は大ざっぱな人であり、ハーブのプランターに生えた雑草ごと「かわい子ちゃん」などと言って、バケツに溜まった雨水をかけたりしているし、何ヶ月も留守にしていて手入れも水やりもしないのに命永らえていた植物には「偉かったねぇ、頑張ったねぇ」などと声かけをしながら水やりをしている。

母は「かれん」「はかなげ」「けなげ」などと言えるような草花が好きであり、その一方でたくましく繁茂し、やがて自分の想像を超え、他人や公(おおやけ)の領域まで侵略を始め、手に負えない状況になりそうな植物は「気持ち悪い!」などと言って引っこ抜き、ビニール袋に入れて捨ててしまうのである。なんと身勝手で、冷酷で無慈悲な人だろうとわが母親ながらあきれるけれど、そういう行動をとる女性も世間には少なくないようだ。

かたや、想像を超えて激しく繁茂し、他人や公の領域まで侵略を始めた植物を黙認し、放置する人の姿も見かける。植物が勝手に生えたのであってどう繁茂しようと関知しないという態度なのか、手に負えなくなってほとほと困っているだけなのかが、旗幟不鮮明で外部の者にはわからない。


隣家、電柱、電線へと侵略を開始したキモッコウバラ
Data:SONY Cyber-shot DSC-S85

一方、想像を超えて激しく繁茂し、他人や公の領域まで侵略を始めた植物を放置することができず、なんとしても押さえ込み、丸く収め、時には闘い、生命と格闘しながらも共存を続けようとする人もいるわけで、「どんなにひどい事をされても、この植物のことが嫌いになれないんです!」と泣いているようにも見えて胸に迫るものがある。


金網でおさえて拘束されたアロエ
Data:SONY Cyber-shot DSC-S85

タケノコについてインターネットで調べていたら、タケノコ栽培の盛んな郷里静岡でも放置された竹林(主に孟宗竹)が想像を超えて激しく繁茂し、他人や公の領域まで侵略を始め、山林や他の植物を覆い尽くす勢いになって困っている地域もあるという。

何年か前、清水の柏尾峠で会ったタケノコ掘りの老人からタケノコを貰った際、今ではタケノコを掘る人も少なくなり山はどんどん荒れていくけれど「どんなにひどいことになっても、このタケノコのことは嫌いになれないだよ」という意味のことを言っていたのを懐かしく思い出す。

( 2009 年 3 月に閉鎖した電脳六義園通信所 2004 年 4 月 19 日、18 年前の日記に加筆のうえ再掲載。)

コメント ( 0 ) | Trackback ( )

【アイポイント】

 【アイポイント】

古いライカマウント時代のキヤノンがつくっていた外付けファインダーを愛用している。コンパクトでよいファインダーなのだけれどアイポイントが短くて、メガネをかけているとブライトフレームの全体を見渡すことができない。惜しい。


DATA : LUMIX GX7 7artisans 25mm F1.8

長めの設計をハイ・アイポイントという。眼鏡をかけてカメラを首から下げていたら日本人と言われた時代のカメラで、もうちょっとアイポイントを長く取れなかったのだろうか。アイポイント設計の光学的な原理が知りたくて「アイポイント」をネット検索すると、自動車ドライバーの目の高さ、眼とメガネレンズの光軸など、写真用語以外にもさまざまに使われていて、なるほどなあと視野角が広がった。

コメント ( 0 ) | Trackback ( )

【豊かさと貧しさ】

【豊かさと貧しさ】

六義園のしだれ桜も花びらが散り、若葉が芽吹いて、すっかり葉桜となった。
きょうは平日でもあり、園内を歩く人もまばらだけれど、彼らは桜の開花時とは違う楽しみ方をする種類の人たちのようで、のどかな雰囲気でぽつりぽつりと点在している。

お昼どきなので園内のところどころにあるベンチに腰を下ろして弁当を食べたりしている姿を見かけるけれど、コンビニ弁当ではなく手づくりの弁当を広げたりしていて、うらやましくほのぼのとした気分になる。

世話になっている出版社社長のTさんが、貧乏な立ち売り時代、本駒込の出版社を訪ねるたびに、よく六義園内で弁当を食べたと懐かしがっていた。現在六義園では大人300円の入園料を取られる。当時いくらだったのか知らないけれど昼食の場所代に入園料を払うというのは、実はそれなりに贅沢なことだったのではないかとも思う。
 
最近、道端や地下鉄ホームにしゃがんだり電車内でものを食べる若者を目にする。
お菓子ではなく、おにぎり、調理パン、コンビニ弁当などであり、彼らは公衆の面前で食事をすることに抵抗がないらしい。自分に娘や息子がいたら、公衆の面前でものを食べるなとは言わないけれど、無料の公園だってあるのだから、もう少し埃っぽくない場所で食べたらどうか、と言ってやりたい。だが、彼らはアンモニア臭い道端にヤンキー座りをして、虚空をうつろに見つめながらものを食べることに抵抗がないらしい。貧乏なのかと思えば、小綺麗な服装をし、最新の携帯用オーディオ機器で音楽を聴きながらの食事だったりするので、彼らは金銭的にではなく別の意味で貧しいのだろう。

300円の入園料でははかりがたい豊かさがうらやましい六義園内に若葉が芽生え、日ざしが強まり、心地よい木かげがありがたい季節が近づいている。

( 2009 年 3 月に閉鎖した電脳六義園通信所 2003 年 4 月 18 日、19 年前の日記に加筆のうえ再掲載。)

コメント ( 0 ) | Trackback ( )
« 前ページ 次ページ »