【侵略と拘束】

【侵略と拘束】

このところ郷里清水に帰省するたびに母の身辺整理を手伝わされることが多く、長期不在で荒れ果てたベランダ花壇整理を兼ねた復興作業もその一つである。

園芸に関して母は大ざっぱな人であり、ハーブのプランターに生えた雑草ごと「かわい子ちゃん」などと言って、バケツに溜まった雨水をかけたりしているし、何ヶ月も留守にしていて手入れも水やりもしないのに命永らえていた植物には「偉かったねぇ、頑張ったねぇ」などと声かけをしながら水やりをしている。

母は「かれん」「はかなげ」「けなげ」などと言えるような草花が好きであり、その一方でたくましく繁茂し、やがて自分の想像を超え、他人や公(おおやけ)の領域まで侵略を始め、手に負えない状況になりそうな植物は「気持ち悪い!」などと言って引っこ抜き、ビニール袋に入れて捨ててしまうのである。なんと身勝手で、冷酷で無慈悲な人だろうとわが母親ながらあきれるけれど、そういう行動をとる女性も世間には少なくないようだ。

かたや、想像を超えて激しく繁茂し、他人や公の領域まで侵略を始めた植物を黙認し、放置する人の姿も見かける。植物が勝手に生えたのであってどう繁茂しようと関知しないという態度なのか、手に負えなくなってほとほと困っているだけなのかが、旗幟不鮮明で外部の者にはわからない。


隣家、電柱、電線へと侵略を開始したキモッコウバラ
Data:SONY Cyber-shot DSC-S85

一方、想像を超えて激しく繁茂し、他人や公の領域まで侵略を始めた植物を放置することができず、なんとしても押さえ込み、丸く収め、時には闘い、生命と格闘しながらも共存を続けようとする人もいるわけで、「どんなにひどい事をされても、この植物のことが嫌いになれないんです!」と泣いているようにも見えて胸に迫るものがある。


金網でおさえて拘束されたアロエ
Data:SONY Cyber-shot DSC-S85

タケノコについてインターネットで調べていたら、タケノコ栽培の盛んな郷里静岡でも放置された竹林(主に孟宗竹)が想像を超えて激しく繁茂し、他人や公の領域まで侵略を始め、山林や他の植物を覆い尽くす勢いになって困っている地域もあるという。

何年か前、清水の柏尾峠で会ったタケノコ掘りの老人からタケノコを貰った際、今ではタケノコを掘る人も少なくなり山はどんどん荒れていくけれど「どんなにひどいことになっても、このタケノコのことは嫌いになれないだよ」という意味のことを言っていたのを懐かしく思い出す。

( 2009 年 3 月に閉鎖した電脳六義園通信所 2004 年 4 月 19 日、18 年前の日記に加筆のうえ再掲載。)

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