【ブー君フー君の逆襲】

【ブー君フー君の逆襲】

小学生時代、学校が終わると走って帰り、誰もいないアパートの部屋の鍵を開け、ランドセルを放り出し、真空管式白黒テレビのスイッチを入れ、3時のニュースに続いて放送される『ブーフーウー』を見るのが好きだった。

進行役のお姉さんがトランクから小さな三匹のこぶたを取り出し、テーブル上のセットに並べ、壁にあるネジを巻き、スイッチを入れると人間が入った着ぐるみの三匹のこぶたの映像へとじょうずに切り替えられて動き出す。テレビ放送初期の素朴で可愛らしい特撮であり、種はわかっているのにワクワクしたし、番組の最後に動いていた三匹が人形に戻って動かなくなるシーンには何とももの悲しい情感があった。
 
どんな番組でも三匹のこぶたではウー君がいつも優等生であり、それは高度成長時代の模範的少年像だったのかもしれない。ブーブー不平不満を言い、フーフーくたびれてばかりいてはいけない、ウーウーといつも頑張り、家だって木や草では駄目で、石やレンガやコンクリートの家がいいんだぞ、と教え込まれた世代である。
 
折しも東京オリンピックが開催され、新幹線が開通し、高速道路が張り巡らされ、コンクリートの建物がどんどんできた。小学生時代を過ごした東京都北区王子ではコンクリート造りの小さなデパートもどきがいくつも開店し、地元小学生が招かれ、僕はそのシャッターにペンキで絵を描かせて貰ったりし、地域住民はデパートがいくつもできた王子はすごい街だと興奮したものだった。

そして、中学入学と同時に生まれ故郷に戻ったら、清水でもデパートができると大騒ぎしていた。


清水に初めてできたデパートの今
Data:MINOLTA DiMAGE 7

木や草など使わないコンクリートの建物は永遠に不滅だと思ったし、コンクリート建築にも寿命があると知るようになってからも、コンクリート建築の寿命はちっぽけな人間の寿命より遙かに長いのだから、その尽きるところを見ることが難しい分、やはりコンクリート建築は長嶋茂雄にとっての強い読売巨人軍と同様、永遠に不滅だと思ったのである。


よくコーヒーを飲んだこの店の裏手にあった清水商工会議所のモダンな建築もすでにない
Data:MINOLTA DiMAGE 7

懐かしい街を訪ね、唖然とするのは当時真新しかったコンクリート建築が老朽化し、災害時の危険をも指摘される厄介者と化し、早々に解体されて跡形もなかったりするのである。跡形もないならまだましで、誰も引き取り手がなく、解体の費用も捻出できないまま、哀れな姿をさらしているコンクリート建築も多いのである。


ドボルザークを口ずさみながら歩けば、いまも新世界はある
Data:MINOLTA DiMAGE 7

それに引きかえ、ちっとも暮らし向きが良くならないとブツブツ文句を言い、貧乏暇なしでいつも飛び回り、汗を流し、くたくたになって生きてきたブー君やフー君の家が根強く残っているのは感動的でもある。そういう真っ当な現実に感動することができず木や草の家は後進性の現れだと思いたい一部の人々から担がれた田舎政治家が、今だにウー君役を引き受けて欲という外壁材で覆われたコンクリートの箱物建築に血道を上げているのである。

( 2009 年 3 月に閉鎖した電脳六義園通信所 2004 年 4 月 25 日、18 年前の日記に加筆のうえ再掲載。)

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