【水の中の笑い】

【水の中の笑い】

絶望している人を癒し励ましともに今を楽しむというのは口で言うほど簡単ではない。

慣れない告知に戸惑う県立病院の若い医師に、自分は何度も死ぬ覚悟をしなくてはならない病気を経験したので、死ぬことはちっとも怖くないから大丈夫と逆に励ました母だけれど、余命半年と言われたのが 1 年を過ぎ、心と身体の痛みに耐えながら結局 2 年間生存し、その過程でいつ果てるともしれない苦しみの中、母にもやはり絶望がやってきた。

高校三年生の夏。明け方までやかましい店舗兼用住宅暮らしでは受験勉強ができないと、長野県白馬の学生村に泊まり込んで夏休みを過ごした。ときどき清水に電話すると激しく咳き込む母が気になった

学生村での合宿を終え、信濃森上発の中央線で新宿駅に着いた息子を迎えに出た母は、肺ガンで余命幾ばくもないと告知されたと言った。そして夕暮れの街をふたり並んで歩き、「映画館で『男はつらいよ』でも見ようか……」ということになった。

マドンナが誰で、どんな話の筋だったかまったく覚えていないし、皆が笑う場面でもちっとも笑えなかったと、のちになって母は笑いながら言った。

娘時代に患った結核が自然治癒した跡をガンと判断した誤診だとわかって命拾いし、その後 30 年ちょっとの人生があったのだけれど、母はあのとき一度絶望していたのだ。


DATA:NIKON COOLPIX S4

心の闇の中で絶望している母を誘い出しては六義園内を散歩した春があった。

園内のコイたちは餌を貰い慣れていて、池の端や橋の上に人影が見えると群れ集まって来て、口を大きく開け水面に突きだして餌をねだる仕草をする。母はそれがおかしいとよく笑い、当時は売店で売られていた麩やコイ専用の餌をやるのが好きだった。

口を開けたコイたちに向き合って心の底から笑っている姿は、母にとって数少なくなったよい笑いのひとつだった。


DATA:NIKON COOLPIX S4

あれからもう丸2年も経つんだなぁと感慨深く、雨上がりで人影まばらな六義園内を歩き、橋の上に立ったらコイが集まってきてやはり水面に大きな口が並んだ。

口を開けて待っているのも楽ではないようで、流れ込む水をゲプッと吐き出したり、流れ込んだ松葉に目を白黒させたり(そう見えるだけ)、仲間と押し合いへし合い場所を奪い合ったり、横にやってきた亀の頭を餌と間違えてくわえたり、いつまで待っても餌が降ってこないことに腹を立てたように激しく身を翻して水中に消えたりする様を眺めていると飽きることがなく、いつまでもそうしていたいと思っている自分がいる。

パカッ、パカッと水面に開くコイの口を見ていると無心になり、無心には絶望すらないという当たり前のことに改めて気づく。
 
絶望している人を癒し励まし共に今を楽しむことは難しい。
それはおそらく、癒そう、励まそう、楽しまそうとしているからであり、パカッと開いた間抜けたコイの口のような、無心の笑いをバカ息子なりにもっと母に見せてやれなかったものかと今になって思う。


DATA:NIKON COOLPIX S4

年老いた親たちを見ていて、親たちにとってかけがえのない癒しは無心でいることなのだろうと思う。さりげない仕草の中に無心を求めている姿を目にするたびに、親と子が無心に向き合って過ごすことこそ最高の親孝行だったのかもしれないなと、コイのパカッと開いた口を眺めながら思うのだ。

母はやがて「ふっ…」とコイが飲み込んだ水を吐き出すようなため息をつき、
「さあ、少し冷え込んできたから帰ろう…」
と言って身を水中にひるがえすように、六義園正門出口に向かって歩き始めるのだった。


DATA:NIKON COOLPIX S4

眺められている水中のコイからは、ヒトという絶望する生きものが癒しや励ましを求めて水上にパクッと口を突き出している、そんなふうに見えているのかもしれない。

( 2009 年 3 月に閉鎖した電脳六義園通信所 2006 年 4 月 20 日、16 年前の日記に加筆のうえ再掲載。)

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