電脳六義園通信所別室
僕の寄り道――電気山羊は電子の紙を食べるか
【…とは】
【…とは】
若者が主人公になった物理学をめぐる小説(昨日の日記に書いた機本伸司『神様のパズル』)を、本から本へ波乗りする勢いで買ったので、一気呵成ハードボイルドに読了した北方謙三に続いて読み始めた。
いきなり「ホロピアス」なんていうおっさんが知らない言葉が出てくるのでネット検索しながら読んでいく。検索では「とは」をつけて「ホロピアスとは」というように文字を打ち込んでいる。
つぎは「素粒子とは」と入力していちおうの基礎知識を確認すると「物質や場を構成する最小単位」という理解で合っていて、「とみられる」と後ろにつくところが大切だよな、と確認する。
メンデレーエフで「周期率とは」と入力すると次は「原子番号とは」を確認したくなり、じゃあ「陽子とは」あたりまでの波乗りを終え(「加速器とは」とやったら沖に流されそうで引き返した)、読みかけたページに引き返して続きを読む。
どうでもいいと思いつつ「ベタとは」とやってみると、「ベタとはひねりがないことを面白味がないと感じる若者言葉です」などと、星新一のボッコちゃんに教えてもらっているような答えが返ってくるのでおもしろい。こういうひねりのある・なし感覚は世代による気分の振幅として長いスパンで ∞(ムゲン)だろう。
「対消滅とは」の答えは「素粒子の反応で、素粒子とその反粒子とが合体して消滅し、光子または他の素粒子に転化する現象」なのだという。消滅ということばに引かれると何を言っているかわからない。原色が混合すると対となる原色同志の関係は消滅するけれど、合体して白色光となる加色混合と、合体して闇になる減色混合があると言い直すと自分なりの意味は通る。
「物質と反物質とは」というのは視覚伝達技法の教育を受け、それを生業にしてきた人間から見ると「図と地」の関係に近しく思える。点が一点うたれた瞬間、点が「図」となり「図」以外の反・図が「地」となって、対の関係として「世界」と存在が名指せるものが生まれる。
「宇宙ひもとは」なんぞやと入力すると「宇宙には電磁波で観測できない暗黒物質がある」と考えられている物質の一候補なのだという。ビッグバンの直後ひとつだけチカラはあった、としたいわけだけれど、それがなぜ宇宙の扉をこじ開けるバールのようなものではなくて、高密度のエネルギーを持つひも状のものでなければならないのかはわからない。存在がまだ証明されていない理論という妖怪がでてくるガチャポンのようである。
「ゲージ粒子とは」を検索して説明を読んでいたらミックスベジタブルを構成する基本粒子トウモロコシ(黄色)・ニンジン(赤色)・グリーンピース(緑色)を思い出した。わが家ではグリーンピースのかわりにタマネギ(白色)を使った北海道産の冷凍ミックスベジタブルを愛用している。最近は飲食店で「グリーンピース抜きで」と注文する若者を見かけるので、グリーンピースを受け入れないそういうニーズがあるのかもしれない。
「超ひも理論」を「とは」すると素粒子を点ではなくミクロなひもと考えることなのだそうだ。自分が子どものころ学校で点と線の幾何学的定義を習って「なるほど点と線っておもしろい!」と感動したのが視覚伝達美術を職業に選んだきっかけなので、そりゃ点より線で考えたほうが都合がいいでしょうよ(ひもだけど)と思う。
あと数ページでこの世界(本)もお終いというところで「人間原理」が出てきたので、そういうのが本当にあるんだろうかと検索したらウィキペディアに項目があって、その書き出しが「人間原理とは」だったので笑った。
人間原理(にんげんげんり、英語: anthropic principle)とは、物理学、特に宇宙論において、宇宙の構造の理由を人間の存在に求める考え方。「宇宙が人間に適しているのは、そうでなければ人間は宇宙を観測し得ないから」という論理を用いる。
そういう方法で唯一の場所に据えるのが「我」だったり「脳」だったりするのだけれど「人間」という「ベタ」なひねりの直球攻めになるほどと感心しながら読了。
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