【保蟹寺のハクモクレン】

 【保蟹寺のハクモクレン】

「保蟹寺山モクレン祭り」と題した日記を書いたのが2017年3月19日、清水のオルゴール製造会社『東洋音響 & オルゴール ゆめの木』さんから、保蟹寺(ほうかいじ)でハクモクレンが満開になっていると写真を添えたメールをもらい、日記に書いたのが2021年3月10日で、そしてコロナ禍中のまままた春が来た。

未明にチェックしたら『東洋音響 & オルゴール ゆめの木』さんから、今年もまた保蟹寺のハクモクレンがきれいだったと写真を添えたメールが届いていた。4 月 6 日に墓参りしたときはかわりに桜が咲いていたわけで、「大内公園 ~ 大内観音への参道の桜も綺麗でした」と書き添えられていた。

◆関連する日
【保蟹寺山モクレン祭り】
【波路はるかに】

コメント ( 0 ) | Trackback ( )

【雨後の六義園】

【雨後の六義園】

4 月 16 日日曜日、午前中降ったりやんだりしていた雨が上がったので、昼食を終えてからカメラを持って入園してみた。
 
雨の予報が出ていたのと桜の季節が終了したので園内は人影まばらである。


雨上がりの六義園しだれ桜
DATA:RICOH Caplio GX 

六義園名物しだれ桜前を通ってお目当ての場所に行ったらやはり筍が芽を出していた。
ひとつふたつ…と数えると七つくらいは小さな先っぽが見えるので、地中ではもっとたくさんの筍が芽を出す準備をしているのだろう。


六義園内の竹林にて。あちらこちらにタケノコが芽を出している。
DATA:RICOH Caplio GX 

不届き者に持ち去られるのを防ぐためか、小さな柵で囲まれて筍は大切にされている。
毎年そのまま生やして育てたらこのささやかな竹藪にもっと鬱蒼と竹が生えそうな気がするのだが、こうして春になってみるとそよそよと生えているだけなのは、庭師さんが状態を見ながら間引いているのだろう。


例年なら芽を出したタケノコは小さな柵で囲われるのだけれど、まだ芽を出したばかりなのか自然に生えたままになっている。
DATA:RICOH Caplio GX

いよいよ六義園も竹が勢いよく天を目指して伸び行く季節となった。


雨上がりの六義園千里場。
DATA:COOLPIX S4

かわいらしい中年夫婦が六義園染井門から入場してこちらに歩いてきた。雨傘と陽光が眩しい、春らしい風景。

( 2009 年 3 月に閉鎖した電脳六義園通信所 2006 年 4 月 17 日、16 年前の日記に加筆のうえ再掲載。)

コメント ( 0 ) | Trackback ( )

【あくびの構造】

 【あくびの構造】

むずかしい箇所を読んでいると眠くなるのであくびが出る。あくびをすると噛んだり味わったりの筋肉のこわばりが解消されて眠気がはらわれる。そういうあたまとからだの関係があるから、本を読むことを「かみくだく」「あじわう」「そしゃくする」などと言う。読書は咀嚼筋を使う運動だ。私はそう思う。

「私はそう思う」は「I think so 思う」ではなく「I believe so 思う」だろう。そう思って自分で自分を観察すると、むずかしい箇所に差しかかると、がんばって歯を噛み締めている。だから咀嚼筋がこわばって、眠くなって、あくびが出るのだ。I believe so 思う。

コメント ( 0 ) | Trackback ( )

【足場と枠組】

【足場と枠組】

出版社で打ち合わせを終えて外に出たら、並びにある建築現場に足場ができていた……と、見たことを頭の中で言葉にしたら「(おやっ?)」と思い、引き返して写真を撮る。

写真を撮りながら、どうして「(おやっ?)」と思ったのだろうと考える。 
おそらく3~4階建ての家が建つのだろうけれど、基礎工事を終えた土地を囲むように、まず足場が組まれる工事現場を見るのが初めてなのだ。


打ち合わせを終えて通りがかりに何気なく撮った写真。
DATA:SONY DSC-T1

家というのは基礎工事を終えたら資材を搬入して組み上げ、できあがった部分を足場にしてさらに組み上げて行くもの、と思っていた。
そして新築の家を囲むような足場が必要になるとしたら特殊な吹き付け工事などが仕上げに必要な場合に限られるのではないか、という思い込みを拭い去ることができない。家が建つ前に足場を作って外枠で囲ってしまうと資材の搬入の邪魔になるのではないか、手順を間違えたのではないか、と思えてならない自分の枠組みから出られない。


「(おやっ?)」と思い、引き返して撮った写真。
DATA:SONY DSC-T1

不思議な光景を見たなぁと思いつつ西武池袋線と山手線を乗り継いで駒込に帰り、しもふり銀座『笠原豆腐店』で義父母の好きな生ゆばをお土産に買い、染井銀座を抜け、区立駒込小学校脇の坂道に向かって歩いていたら、建築現場があり「(家の骨組みは完成だな)」……と、見たことを頭の中で言葉にしたら「(おやっ?)」と思い、引き返して写真を撮る。


「(おやっ?)」と思い、引き返して撮った写真。
DATA:SONY DSC-T1

この建築中の家にも取り囲むような足場が組まれており、練馬区の現場で家を組み上げて行くと、やがてこうなるのではないか、これは同じ工法なのではないかという気がしてきた。

母親が他界して年が明けて春になり、年度末の忙しさも一段落し、このところボーッとしがちなので
「(あれっ、昔からこういう工法が当たり前で、珍しくもなんともないのかなぁ……)」
という気もしてきて、ボーッとしながら家路を急ぐ春の夕暮れである。

( 2009 年 3 月に閉鎖した電脳六義園通信所 2006 年 4 月 16 日、16 年前の日記に加筆のうえ再掲載。)

コメント ( 0 ) | Trackback ( )

【単位】

 【単位】

「単位」。いまでも授業の単位が足りない悪夢を見る。

単位を英語でユニット(unit)という。ユニットという「基準」がないと世界ははかれない。基準は英語でノーム(norm)という。

ノームといえばメトロノーム。メトロはmetron(測る)でノームはnorma(大工の物差し)が語源になっている。そうかノームとはカタカナことばの「ノルマ」だ。

かたちが目で見えるものは大きさがはかれる。けれど見た目はいい加減なので基準となる物差しが欠かせない。

目を使って視覚的に測れないものを、人は耳を使ってはかる。耳ではかるためには単位となる繰り返しが必要で、繰り返しをつくる現象の発見、なければつくる道具がもとめられる。

そしてその繰り返しのリズムを数えることが流れの感じという「時間」をつくっている。

コメント ( 2 ) | Trackback ( )

【保育園の半世紀】

【保育園の半世紀】

4 月 15 日、郷里静岡県清水の古い地図を探しに目黒区青葉台にある財団法人日本地図センターに行き、用事を終えて玄関を出たら正面に上目黒氷川神社の鳥居が見えた。

清水帰省の際に何度となく首都高から見え、東京・清水間を結ぶ高速バス『清水ライナー』もこの脇を通るのだけれど、石段を登り鳥居をくぐるのは半世紀ぶりになる。
 
幼い頃両親に連れられて外出すると、渋谷から玉電に乗り大橋あたりで降り、この石段を登って松見坂上にあった木賃アパートに帰ったのだ。

神社の境内にかつて『双葉の園』という名の保育園があり、両親が和菓子屋で共働きしていたのでそこに通わされていたのだけれど、卒園してからもう50年も経ってしまった。

はたしてあの保育園はまだあるのだろうかと恐る恐る裏手に回ってみたら、当時よりもはるかに広く立派になって『双葉の園』はそこにあった。

当時は今より園舎が小さくてその脇に外遊び用の広場と遊具がある小さな保育園で、現在の広い遊び場はなかったような気もするのだけれど、深い霧の中に迷い込んだように記憶が曖昧なのでよくわからない。

ひとり息子をこの保育園に通わせていた頃の両親はまだ二十代後半だったんだなと思うと毎度の事ながら胸が詰まる。

( 2009 年 3 月に閉鎖した電脳六義園通信所 2008 年 4 月 15 日、14 年前の日記に加筆のうえ再掲載。)

コメント ( 0 ) | Trackback ( )

【三つの条件】

【三つの条件】

「何のおにぎりが一番おいしいと思う?」と聞かれたら、「塩おにぎり!」と躊躇なく答えるだろう。
炊き立ての真っ白いご飯を手のひらに受け、少量の粗塩をまぶして握った塩おにぎりがおいしい。塩おにぎりこそが、おにぎりの味の基本であり、おにぎりという三角形の頂点に塩おにぎりがある。これは静岡県清水で『おにぎりお茶漬け家庭料理』の看板を掲げていた飲み屋の息子が、1.5升炊きガス釜の脇に立って母の握った塩おにぎりを食べて知った真理である。

仕事で出掛けた道すがら、新しいおにぎりの専門店が開店しているのが気になっていた。
新規開店前から掲示されていた品書きのトップに「塩おにぎり」があることにわが意を得たりという気がし、開店したら是非立ち寄ってその「塩おにぎり」を食べてみたいと思っていた。自転車で東大正門前まで納品に出掛けたついでに、遠回りして立ち寄ってみた。

精米したての米を用い!」「炊きたてのご飯を握り!」「握りたての温かい状態で供する!」という三つの条件が揃っていることこそがこのお店の「美味しさの秘訣」だという。保存料・着色料一切使用せずの謳い文句とともに、コンビニおにぎりに叩き付けた挑戦状なのだろう。
 
『塩おにぎり』とその玄米版である『玄米』を一つずつ購入する。各100円と驚くほど安い。早速食べようと自転車を走らせ、神田明神境内にベンチを見つけ、膝の上で広げた。

あらためてそのおにぎりの厚さに驚嘆する。母が握ったおにぎりの倍とはいわないけれど1.7320508倍くらいの厚みはある。コンビニおにぎりの倍の量があることも売り物にしているらしい。で、これはいけないなぁと思ったのは、握り方が甘くて手に持った途端に三角の斜面が崩落を開始するのである。おにぎりというのは子どもが片手に持って走れないといけない。大人が片手に持って食べながらもう一方の手でマウスを操作できなければいけないのである。手のひらにご飯を受けてちゃんと握ったらこんな厚さにはならない。

店に入ってオープンキッチンを見たら若い男女が三人ほどでおにぎりを握る仕草をしているのだけれど、何と手にビニール製の手袋をしているのであり、見ていて気分の良いものではない。手は決して汚いものではない、寿司だって素手で握って欲しい、と思う者から見ると、ご飯という汚いものに直接触れるのを嫌がっているようにも見えてしまう。ビニール手袋をしていたって固く握れないわけではないだろうから、ゆるくてその分大きく見える、このご飯の固め方がこのチェーン店のマニュアルにある決まりなのだろう。

ゆるくてでっかいおにぎりを手にしたら、会社員時代、温泉旅館への社員旅行、大広間での宴会終了後、部屋に戻って飲み続けるに当たって、残ったお櫃のご飯を酔っぱらった男どもがいじましく握った巨大おにぎりを思い出した。

おにぎりというのは握る力で米の表面が押されて飯粒同士が結着し、その変性した澱粉部分が美味しいのであり、押されることで米粒の間の空気の量が調節され、適度な空気(ピッチ)を含むから美味しいのである。握ることによって生じる旨みを利用しないなら、ご飯をわざわざ握る必要はないと思う。

握りが甘くて子どもが泥遊びで丸めたようなおにぎりは、米粒の間を空気がスースー通過するので、妙にパラパラして、口に含んでも旨みがないし、喉越しが悪くて久々に気管が詰まりそうになった。社務所脇の自動販売機でペットボトル入りの緑茶を買い、胸を叩きながら流し込んでいたら、明神様の強飯式に参加しているような気分になって情けない。

( 2009 年 3 月に閉鎖した電脳六義園通信所 2004 年 4 月 14 日、18 年前の日記に加筆のうえ再掲載。)

コメント ( 0 ) | Trackback ( )

【フォントとオルゴール】

 【フォントとオルゴール】

仕事の中で「いっそ自前のフォントを作っちゃえばいいではないか」と思う案件に久しぶりに出会った。

Fontographer を使っていたのは20 年も前になる。いまの Mac で使えるツールを探したら Glyphs Mini  という安価なドイツ製ソフトが App Store にあったので購入してみた。直感的に使えてとてもいい。

20 音オルゴール用に編曲するため、一つひとつの音と唸りながら格闘している妻が仕事場の窓際にいて、こっちの隅で集中して一文字ずつフォントを作っている夫がいる。

どちらも聴覚言語と視覚言語との楽しいたわむれであり、ある意味似たもの同士の例なんだろうなと四人称的視点から動物園を俯瞰するように思う。

コメント ( 0 ) | Trackback ( )

【路線バスのちいさな旅】

【路線バスのちいさな旅】

今は遙か昔。渋谷の安居酒屋で飲んでいたら友人が
「田中小実昌が飲みに来ている」
と顎をしゃくって小声で言うので、さりげなくそちらを見たらテレビでおなじみの帽子をかぶって、テレビと同じ飄々とした仕草で、楽しそうにひとりで飲んでいた。


都バスの車窓から。最後部左側の席が好きで、街路樹がちょうど目線の辺りに来る。
DATA:RICOH Caplio R3 

パソコンに外付けしたハードディスクの調子が悪く、昨日はとうとう白煙と異臭を吹き出したので消火し、中のウエスタンデジタル製のハードディスクを救出し、朝一番で秋葉原にハードディスクケースを買いに出た。


都バスの車窓から。本郷通りに面した東京大学の校舎内。田中小実昌は東京大学文学部哲学科に入学したが授業に出ずに除籍されている。
DATA:RICOH Caplio R3

本郷通り上富士交差点近くのバス停で都営バス「茶51」系統のバスに乗る。

始発の駒込駅南口を出発し、上富士前→駒込富士前→吉祥寺前→向丘二丁目→向丘一丁目→本郷追分→東大農学部前→東大正門前→東大赤門前→本郷三丁目駅前→本郷二丁目→湯島一丁目→神田明神前→外神田二丁目を経て御茶ノ水駅前までの路線バスだが、秋葉原電気街には神田明神前か外神田二丁目で降りると近い(2006年当時の路線)。

都営バスは一路線全区間どこで乗ってどこで降りようと料金先払いで 200 円均一運賃なのだけれど、清水に帰省して静鉄ジャストラインのバスに乗ると乗車した区間に応じて料金が上がっていくのでとても緊張する。都営バスの均一料金先払いの気安さに比べ、ぴったりの小銭がなかった時のことが心配でなんとなくバスの旅が楽しくない。最近はそれが嫌なのでパサールカードというプリペイドカードを買うことにしている。


都バスの車窓から。東京大学あたりからは街路樹はイチョウになる。
DATA:RICOH Caplio R3

田中小実昌は生前、都営バスの旅が好きでテレビに何度も出ておられたが、お弁当を持って家を出て、運転手の真後ろの席に乗り、始発点から終点まで200円の旅(当時はもう少し安かったかも)を楽しまれるわけで、年をとったらお金のかからない良い趣味だなぁと感心したものだった。
 
彼がテレビに出て路線バスの旅を楽しんでいたのはいつ頃だったのだろうと調べてみたら、2000年に亡くなられているので少なくとも6年以上前のことになる。時の経つのは早い。


都バスの車窓から。日の丸交通のリムジンタクシー。
DATA:RICOH Caplio R3

路線バスのちいさな旅は日々の憂さ晴らしにいいのだけれど、田中小実昌は
「健康のためなら死んでもいい」
という含蓄のある名言を残された方なので、素直に心から楽しい旅をしていたのだろう。

( 2009 年 3 月に閉鎖した電脳六義園通信所 2006 年 4 月 13 日、16 年前の日記に加筆のうえ再掲載。)

コメント ( 0 ) | Trackback ( )

【リズム】

 【リズム】

ギリシャ文字で ῥυθμός と書いてあっても読めないけれど rhythmos と書きそえてあると読めそうな気がしてきて、リスモスかなと思ったらリュトモスだという。惜しい。これが rhythm(リズム)の語源である。

もし世界に音がひとつしかないとしたら、ほかの音へ移行がないから、その一音だけ、ただ持続しているわけで、そういう世界に生まれた人にとってそれは無音だろう。純粋な「有(1)」は「無(0)」とかわるところがなく、「1」と「0」はあわせ鏡になって互いを存在させあっているともいえる。


DATA : LUMIX GX7 OLYMPUS Zuiko 100mm F2.0

昨夜は溜まっていた NHK 名曲アルバムの録画を次々に再生・消去しながらで飲んでいたら口が滑って妻にそんな話をした。一晩寝てもちゃんと覚えているので、概日リズムに耐えてまんざらでもないのだろう。

コメント ( 0 ) | Trackback ( )

【音無川】

【音無川】

東京都北区王子。静岡県清水市で息子をもうけた両親が、宮城県仙台、上京して大森、大久保、目黒を転々としてたどり着いた町。若くして父が、そして昨夏に母が他界したいま、どうして両親は清水からこの町に流れ着いたのだろうと思うと、あらためて不思議な気持ちがする。何はともあれ東京都北区立王子小学校で六年間を過ごしたので、東京都北区王子はとりわけ思い出深い町である。

「取り返してくるわ」
 私はむしろ自分に言って、表へ駆け出した。それしかないのだ。他にどんな方法があろう。今から追いかけてゆけば警察の男に追いつくかも知れない。私は火工廠の塀に沿って走り、王子へ出る高台の道に出た。この道の向こうの崖下は、上野から、東北へ数本のレールが通って、王子、赤羽の工場街に展がっている。私の今走ってゆく高台の道は、古い街道の一つなので、両側に店もつながっているが私は人目もなくその道を走り続けた。警察の男の姿ばかりを探しながら。道は、やがて王子権現の手前で横に坂になって通りにあわさり、左手へだらだら下っている。小さな谷あいになったこの辺りは、今は名ばかりのようになった名主の滝も記憶に残して。この坂の下の道を左手に入ると、そこに王子の警察があった。が、そこまで走り続けても男の姿を見出さない。私は息を切り、それを押さえるようにしながら二階の特高室まで上がっていった。(佐多稲子『私の東京地図』より)
 
 日が暮れてから私は王子の方へ歩いてゆくことがある。省線の王子駅は「王子製紙」の赤煉瓦の建物の前にある。この駅前は、飛鳥山をめぐっておりてくる市電と、三河島の方から工場町を抜けてくる王子電車とが落合うところなので、焼鳥屋の屋台が並んでいる。それらの屋台から流れ出る食べものの匂いや、脂のけむりにけむる往来は、忙しげな不機嫌な足どりや、または何かを求めて心細げな顔つきなどで雑閙(ざっとう)している。工場街は今までかつて、のびやかに明るかったことはない。ただ私にはこの雑閙にとけ込んでゆく同じ色合いが身についている。(佐多稲子『私の東京地図』より)


王子駅改札から音無川沿いに向かう道。昔はもうもうたる煙の中を佐多稲子も歩いたのだろう。
DATA:RICOH Caplio R3 


音無親水公園。谷底がのぞき込めるだけでなく、降りてみたいという気になるところがすごい。
DATA:RICOH Caplio R3 

小学生だった昭和三十年代、王子駅にへばりついていつも煙っていた飲み屋街の脇に、暗く深いコンクリート護岸のどぶ川があった。のぞき込まないと川底が見えないし、怖くてのぞき込む気も起きなくて、耳を澄ますとかすかに水音が聞こえるような気もしないでもないので、だから音無川という陰気な名があるのだと子ども心に脅えつつ思っていた。自分が行政の人間ならさっさと蓋をして暗渠にするしかないと諦めてしまいそうなこの川が親水公園として見事に整備されたのは1988(昭和63)年のことである。


桜の名所飛鳥山と王子権現に挟まれている。
DATA:RICOH Caplio R3 


公園に人がいるというのはよいものだ。右手上の更地になった土地にはすかさず花が植えられて人心の荒廃を防ぐような配慮が見える。
DATA:RICOH Caplio R3

仕事で編集者と王子駅前に正午の待ち合わせをし、少し早めに着いたので散歩してみた。桜の季節であることも味方してか、この親水公園は住民に喜ばれているのだろう。人が生き生きと回遊している。都市公園法が制定されて50年以上が経過し「日本の都市公園100選」として全国の特色ある都市公園が選ばれ、この東京都北区による「音無親水公園」もその一つに入っている。

( 2009 年 3 月に閉鎖した電脳六義園通信所 2006 年 4 月 12 日、16 年前の日記に加筆のうえ再掲載。)

コメント ( 0 ) | Trackback ( )

【時間がない】

 【時間がない】

時計の文字盤上で時針・分針・秒針が刻々と進んで時間を数えているのを見ながら、ひとはときどき「ああもう時間がない」などと言う。


DATA : LUMIX GX7 OLYMPUS Zuiko 100mm F2.0

いま時間がないと思う事態は不運であることが多いけれど、時間があることも忘れて過ごした時間があったことを振り返って思うとき、時間がなかったことが幸せであることは多い。

コメント ( 0 ) | Trackback ( )

【「ははくそ」と「ちちくそ」】

【「ははくそ」と「ちちくそ」】

ノズルの位置を電動で操作したり腰を浮かせてお尻の位置をずらしたりして、洗って欲しい部分をじょうずに噴水に当てて洗うことが年寄りにはだんだん難しくなるらしく、水を当ててもちっともお尻が洗えていないことを義父は義母に叱られたりしている。

水を噴き出すノズルの先にセンサーがあって、お尻の穴や汚れを見つけて自動で狙いを定めてくれるシャワートイレというものがないのだろうか。着座センサー付きはあっても自動照準センサー付きはないのかもしれない。

注射器を腕にブスッと刺して血液を採取され、注射針を刺した箇所にちいさな絆創膏を貼られ
「はい、しばらく指でおさえておいて!」
とぶっきらぼうに言われて人差し指を当て、もういいかなと左腕を見たら、人差し指の先から離れた場所で一筋血が流れている。そこが注射針を刺された箇所でそこから出血していたのだ。

注射されたのはここじゃないとして、それでは絆創膏を貼られた場所は何だったのかと剥がしてみたら、そこには針で突いたような小さなホクロがあり、注射した箇所と間違えて絆創膏を貼られたのだ。

お尻の穴や汚れを見つけて水を当ててくれるシャワートイレがあったとしても、お尻の穴の脇に痣やシミやイボや大きなホクロがあったりしたら誤作動して困るから自動照準センサー付きは無理なのかなとも思う。

黒子と書いてホクロと読む。広辞苑を引くとホクロには「ははくそ」という別の呼び名があり、はなくそ、みみくそ、めくそ、はくそに続く「くそ」のつくファミリーらしい。「ははくそ」がホクロなら「ちちくそ」は何だろうと調べても見つからず、もしかすると「ちちくそ」は「くそ」そのものなのかもしれない。

( 2009 年 3 月に閉鎖した電脳六義園通信所 2007 年 4 月 11 日、15 年前の日記に加筆のうえ再掲載。)

コメント ( 0 ) | Trackback ( )

 【余韻】

 【余韻】

六義園内で写真を撮っていたら高齢の女性が
「なんですか」
と聞くので
「アケビです」
と答えたけれど何も言わずに行ってしまった。


DATA : LUMIX GX7 OLYMPUS Zuiko 100mm F2.0

妙な余韻が残った。

コメント ( 0 ) | Trackback ( )

【背の低いタンポポたち】

 【背の低いタンポポたち】

桜の花が散って六義園内にも背が低いタンポポたちが咲き出した。今年の春はいつまでも寒かったので、いま咲いているタンポポたちは耐寒のために背が低くなり、地面に這いつくばるようにして咲いている。


DATA : LUMIX GX7 OLYMPUS Zuiko 100mm F2.0

あまりに背が低いので地面からいきなり花が咲いているのかと思うくらいだ。

コメント ( 2 ) | Trackback ( )
« 前ページ 次ページ »