【蜜柑山の教え】

2020年4月28日

【蜜柑山の教え】

子どもの頃の清水で、日あたりのよい山の斜面に拓かれた蜜柑畑に腰を下ろし、枝からもぎ取ったみかんを食べていると蜜柑農家のおじさんが通りかかり、じろりと一瞥をくれてにやりと笑い
「ここで食うだけにしとけよ」
と言って立ち去った。子ども時代のそういう体験は忘れない。

人間は個人ではなく社会の一員として生まれてくるので、生まれながらに生きる権利が保証されており、自然に存在するものはなんでもとって食べることができる。生きるための共有物として自然は存在する。けれど自然に人が働きかけて労働が加わると、それは私有物となって勝手にとって食べる自由は許されない。それでは労働すれば果てしなく私有権を行使できるかというとそうでもない。そうでもないと思っても人の欲望は抑えがたい。そしてこういう社会になった。

蜜柑山のおじさんは考えて、「お前たちの小さなおなかに収まる分だけは、ここで自由にとって食べる権利をやろう」と言ったのだ。そういう教えは忘れない。

コロナ禍のイタリアでは路上のあちこちに箱が置かれ、「入れられる人はここに入れてください、買えない人は持っていってください」と書かれているという。もともとそういう文化があり、カフェでコーヒーを飲んだ人が、一杯ぶん余分にお金を置いて行き、お金のない人がそれでコーヒーを飲めるという慣習もあるのだという。そんな記事を読んでふと思い出した。

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