【夏も近づく】

2020年4月23日

【夏も近づく】

八十八夜が近づき清水区西里の『水声園』から「水声園だより」が届いたので新茶の地方発送をお願いした。

今年は新型コロナウイルス 感染拡大のため、5 月 2・3 日に予定していた中河内たけのこ掘り参加を断念した。

昨年秋、水声園「秋のつどい」にも参加できなかったけれど、集まった義援金は中村哲氏を悼んでペシャワール会に贈られたという。茶摘み風景を眺めながら興津川を遡る初夏が来年は来ますようにと祈る。

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【だざいおさむ】

2020年4月22日

【だざいおさむ】

太宰治を「自分」は無アクセントで「だ→ざ→い→お→さ→む」と平板に言う。太宰だけのときも、治だけのときも「お→さ→む」のように平板に言うが、富山出身の某は「お→さ ↑ む→」、清水出身の某は「お ↑ さむ→」と、ともにピョンコ的に言う。

富山出身の某は清水で聞く人名の「は ↑ じめ→」「す ↑ すむ→」「の ↑ ぼる→」という発音を笑い、清水出身の某は富山の「は→じ ↑ め→」「す→す ↑ む→」「の→ぼ ↑ る→」を笑う。笑い合うだけで他意はない。

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【あんじょはんとじんだはん】

2020年4月22日

【あんじょはんとじんだはん】

富山では尼さんのことを「あんじょはん」と言う。二年前の今日は妙静さんと書いてみょうじょうさんと呼ばれる高齢女性に会った。世話をしている人たちがそう呼び、ご本人は認知症が深い。苗字なのか名前なのか確かめられず、もしかしたら「あんじょはん」かもしれないと日記に書いていた。

富山では接尾語「はん」をつけて警察官を「じんだはん」と言う。関西的な言葉づかいなので呉羽山(くれはやま)より西、呉西(ごせい)文化かもしれない。「じんだはん」は気安く聞こえても敬語であり、警官を「じんだはん」と呼ぶ義父も、平時は気安く「ポリ」と呼んでいた。

「夜中にポリ来とったぞ」
と言う義父の言葉に驚いて交番に確認に行き、当直の「じんだはん」が書いた日誌を確認してもらって、義母に深夜徘徊がある事実を知ったのだった。日記も日誌も役に立つ。

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【布製マスクとエコバッグ】

2020年4月21日

【布製マスクとエコバッグ】

清水の櫻珈琲からイタリアンブレンドの豆 300g が 3 袋届き、職人さんに頼んで作ってもらったという布製マスクが入っていた。好評なので櫻珈琲で買えるという。

職人さんに頼んで、というだけあってプロフェッショナルな仕上がりで感心し、さっそく食料品の買い出しに行ってきた。コロナ騒ぎがきっかけで買い物にはエコバッグ持参の癖がつき、静岡の島田信金がつくったエコバッグが役に立っている。

こうやって写真に撮りながら故郷というのは「場所」ではなくて「人」だなと思う。

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【ドッグイア】

2020年4月21日

【ドッグイア】

急に読み直したくなった本があって、読み直しなのでいちばん安い古書を探したら、一箇所だけドッグ・イアがありますと書かれていた。犬の耳を思い浮かべて「ああ、角折りのことか」とすぐわかったけれど、ドッグ・イアという言い方は初めて聞いた。

欧米人のブログを検索したら確かに bookmark としてページの角を折ることを Dog-Ear と書いていた。気にしないのでドッグ・イアのあるやつを注文した。犬は好きだし。

で、何を注文したかというと尾辻克彦の『肌ざわり』で、出てすぐ買って感心したけれど、たまった本を片付けるときに処分してしまった。それがまた読み返したくなったのは、避けて取り合わずにいた「クオリア」という言葉が今読んでいる本に頻出して、道の真ん中に立っているので避けて通れなくなったからだ。

他人が勝手に感じていることを他人が否定することはできない。わかるわけがないことを否定などできない。その法(のり)すなわち個人的勝手の自由を超えない範囲で勝手なことを考え、勝手なことを言い、勝手に聞き、その勝手な考えが本当に意味することは他人が知り得ないはずなのに、なぜか他人同士で共感できてしまうなにかがある不思議、そういうことを上手いこと書いていたなと思い出したからだ。

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【ミトとコンドリア】

2020年4月21日

【ミトとコンドリア】

高校の授業で教師が「ミト…?」と聞いて、誰ともなく「…コンドーム」と答える者がいて爆笑するという光景は日本各地であったようで、「あったあった」と笑う人が多い。自分の世代の流行かもしれない。

そもそも教師がミトコンドリアを分割して「はい、ミト…?」などと聞くことが有効なのだろうかと調べると、ミトコンドリアはギリシア語の、mitos (=糸)と khondrion(=粒)から構成されるミトコンドリオンの複数形なので分割箇所は間違っていない。

昨日読んでいた本によるとそのミトコンドリアは人間の体内にあって生命維持に欠かせないのだけれど、数十億年前に独立した細菌だったものが、生物の細胞に入り込んで共生を始めたのだと書かれていて驚いた。笑い事ではなくおもしろい。体内でミトコンドリアも笑っている。

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【立日心】

2020年4月21日

【立日心】

亡き人の忌日を立日(たちび)という。最近はスマホのカメラが良くなり、それをスキャナがわりにするアプリも便利になり、縦書き日本語を読み取る OCR アプリも高性能になったので、読書中にメモして再読したい箇所は、その場で手軽にテキストデータ化している。

誤認識は少ないのだけれど、いちおうチェックしてみると奇妙な結果がたまにある。立日心(たちびごころ)と変換された部分があり、亡き人をしのぶ気持ちのようなこの珍熟語は、なぜか「意」の文字が三文字に分解認識されたのだった。笑えた。

「意」を分解するならまず「音」と「心」の会意文字として2分割で、「心」が音声を察して「意」を知る「こころざし」を表している。その「音」は「言」から派生し、ただことばを発するのが「言」で、「言」に「一」を加えて一定の規則を与えると「音」になる。辞書を引くとあらましそういった意味のことが書かれている。

文章を撮影すると認識し、解析し、漢字はそういう成り立ちレベルの部品になるまで分解し、解説を加えて作文してくれる OCR アプリがあったら、まわりくどくて、破壊的で、ときには笑えて、暇つぶしに役立つかもしれない。漢字解体アプリ、意味の骨拾い。

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【瞬きと呼吸】

2020年4月20日

【瞬きと呼吸】

ドライアイの原因として、パソコン画面を見つめているあいだ瞬(まばた)きの回数が減るからだ、というのが理由のひとつに挙げられる。ドライアイに悩んでいるわけではないけれど自分を観察してみると、確かにパソコン画面を見つめているとき瞬きの回数が減っている。だがパソコンに限らず何かに集中して見入っているときは瞬きの回数が減る。それは動物の生存に関わる本能的な現象だろう。

仕事場の打ち合わせテーブルで休憩時間にミニ卓球を始めて、次第に上達する過程で気付いたのだけれど、真剣なラリーが続くときは唾を飲み込むのを忘れている。球がそれ、勝負がついて脱力し、笑った途端よだれが垂れたりする。それでもう一度笑える。人は集中すると、並行して行われる動作のひとつがおろそかになって停止したりするのだ。それで「あ、そうか!」とわかったことがある。

難しい本を読み始めると途端にあくびが出て眠くなる。どうして難しい本を読むと眠くなるのだろうと長いこと思っていた。そしてやっと気づいたのだけれど、自分を観察していると、難しい本を理解しようと集中していると呼吸が浅くなり、ここがポイントだがどうしてもわからないと思うときなど、ぐっと息を詰めたりしている。酸欠になっているのだ。

そう気づいたので難しい本に取り組むときは意識して腹式呼吸を心がけている。そうすると眠くならないし集中が深くなる、というか少し頭が良くなった気さえする。深い呼吸による空気循環は大切だ。休み中の宿題は空気のよい朝に済ませろと親たちに口うるさく言われた子ども時代、勉強する時の呼吸法に気づいていたら、人生がちょっとだけ違っていたかもしれない。

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【振動】

2020年4月20日

【振動】

背中に微細な振動を感じるので自分の拍動かなと思ったけれど、中からではなく外から伝わってくるように思えてきたので、スマホを見たら地震速報が届いていた。そんなことを考えられるほど振動が長く継続し、3.11 の揺れに似ていた。

気象庁の速報だと発生時刻は 20 日午前 5 時 39 分頃、震源は宮城県沖(N38.9/E142.1)で最大震度 4(M6.1)震源の深さ 50km で、津波の心配はないという。コロナに震災が重ならなくてよかった。

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【空間感覚】

2020年4月20日

【空間感覚】

三次元空間の中で位置関係を把握する空間認識能力ではなくて、過去に自分がいた部屋、教室、家、学校、病室、病院などの空間を目を閉じて思い浮かべることができる能力が人間にはあるだろう。強い印象を受けた場面も忘れない。だから夢の中でかつて体験した時と場所に戻って幻想体験ができてしまう。

そういう能力はたぶん人それぞれに個人差があるだろう。それが過剰だと記憶力に優れる反面、後悔にさいなまれやすく、ネガティブ志向なタイプになるのではないか。空間的や精神的な閉所恐怖もそこから来る気がする。過剰に反省的であるということだ。拘(こだわ)り、囚(とら)われ、反省過剰である。

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【濁点】

2020年4月20日

【濁点】

三木清を読んでいたら、ヰに濁点が打たれた文字が出てきた。ヸンケルマンの名前ではヰに濁点が打たれて vi の翻字として使われている。今なら「vi」と打って「ヴィ」と変換されるところの文字だ。同様にワに濁点、ヱに濁点、ヲに濁点も存在し、ワヰウヱヲみんな濁る。

ウに濁点といえば水の都ヴェネチアの映像を、NHK 名曲アルバムで舟歌を聴きながら見るたびに、なんて汚い水路なんだろう、よくあんな汚水の上を観光する気になるものだと呆れていた。それがなんと新型コロナウイルス感染拡大によって観光客がいなくなり、水が澄んで水底が見え、濁点のつかない鵜が小魚を追ったり、けがれのない白鳥が優雅に泳いだりする姿が見られて住民が驚いているという。

人類が生態系に重大な影響を与えるアントロポセン(人新世)の年代といわれる今、地球にとって人間が濁点になりかけているのだろう。

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【20音オルガニートで「Old Black Joe」】

2020年4月19日

【20音オルガニートで「Old Black Joe」】

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【コロナの昼休み】

2020年4月19日

【コロナの昼休み】

新型コロナウイルス 感染拡大により経済活動が昼休みに入り、世界各地で大気汚染が一時的に解消し、野生動物がのんびり街に繰り出したりしている。仕事場のベランダに出てみると丹沢山塊も心持ちクリアに見える。

不要不急の外出を避けて自宅で過ごすようにと要請されると、庭のある一軒家暮らしの友人が羨ましい。仕方がないので毎日ベランダに出て六義園の写真を撮っている。

六義園沿いの舗道を見下ろすと、退屈した幼児の機嫌を取るためか、家族連れで散歩する人たちがポツリポツリと通り過ぎる。舗道に植えられたハナミズキが開花しており、咲いた花とともに世界を違う角度から眺めている。

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【ルーチン】

2020年4月19日

【ルーチン】

ニュースなどで「ルーチン・ワーク」、スポーツ選手から「ルーチン」という言葉を頻繁に聞くので、ルーチンは括弧なしで普通に通じるカタカナ言葉になっている。

初めて routine という単語を知ったのは半世紀も前の教科書で、その時は routine work(ルーチン・ワーク)ではなく routine matter(ルーチン・マター)として出てきて、「比較的型どおりにすすめめられる事柄」という意味だった。

朝起きてから洗顔や着替えのあと、順を追って欠かさずやっている日常的な仕事があり、新聞を読む、朝食を作って低血圧の妻を叩き起こす、朝食を済ませたら、窓を開け空気を入れ替えながら掃除機をかける、という手順になっている。これらはルーチン・ワークである。

それから仕事場に移動してやる一連の作業があり、高血圧の薬を飲む、窓開けして空気入れ替える、掃除機をかける、植木に水やりをする、お茶の準備をする、コンピュータを起動する、メールをチェックする、日記を書く…などだが順番は決まっておらず、思いついたものから片付けていくので日によっては忘れることもある。ルーチン・ワークになっていないからで、ルーチン・マターの意味に「比較的」と前置きがあるのはそういうことだろう。

昨日の低気圧通過で今朝の富士山は雪を多くのせている。

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【感染症と文明2】

2020年4月18日

【感染症と文明2】

3 月13 日の日記に「朝日に『感染症と文明』などの著書がある長崎大熱帯医学研究所教授の山本太郎氏(56)が「新型コロナは『撲滅すべき悪』なのか 人類の歴史に学べ」という記事を寄せていて、面白かったので『抗生物質と人間-マイクロバイオームの危機』岩波新書の kindle 版をダウンロードして読み始めた」と書いた。

そして未明に目が覚めるたびに少しずつ読み、今日ようやく読み終えた。それから一ヶ月ちょっとが経過し、新型コロナウイルスは依然世界中で猛威を奮っている。

読み終えたので、棒線を引いた箇所をノートに抜き書きし、思ったことも付け加えながら再読して本を置く。本題と関係なさそうにも思うけれど、読んでいるうちに 〈心の哲学〉 の領域で議論される難問「なぜ私は私なのか」という問題を考えるヒントになりそうな気がして、その分も得した気がしている。外出自粛のこんな時こそ読みたい良書である。

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