【三丁目のコロナ】

2020年4月26日

【三丁目のコロナ】

公民統計で耐久消費財の世帯普及率変化を見ると、東京オリンピックが開かれた 1964(昭和 39 )年の電気冷蔵庫普及率は 38.2 パーセントしかない。わが家に小さな電気冷蔵庫がやってきたのも東京オリンピック後のことだ。ましてや東京下町の工場地帯で電気冷蔵庫がある家など少なく、買い置きできる食材といえば乾物や缶詰と、流しの下に転がっている根菜くらいで、野菜の保管場所として糠床を持っている家も多かった。夕方になると買い物カゴを下げたお母さんたちが近所の商店前に集まり、西の空に日が傾くころは表通りに家庭が染み出していた。今よりも夕方という言葉の存在感が明瞭で、夕方の買い物、夕飯の支度、家族みんなで囲む夕べの団欒というものがあった。

新型コロナウィルス感染の広がりで、とうとう夕方の買い物まで自粛を求められるようになった。テレビ局の取材を受けたお母さんが
「わかりますけど、夜ご飯の材料を買いに行かなくてはいけないので」
と苦しい胸の内を語っており、そうか、最近の若い人は「夕ごはん」ではなく「夜ごはん」と言うのだなと別のことを思った。

近所の下町商店街にも客足が戻ってきた。小さな商店街なので休業補償の対象にもならず、そもそも人出が激減して細々とした商いが続いてきた通りだ。
東京オリンピックの頃、母はこの商店街にあった婦人服製造卸メーカーの直売店で事務員兼店員をしていた。学校が終わると都電に乗ってよく迎えに行ったが、その頃はたいそう賑やかな繁盛商店街だった。

このところ懐かしい商店街を歩く人たちに若者の姿が多い。近所に住んでいるのだろうと思われるが、はじめて地元商店街に出てきたように物珍しげに店内をのぞいている。地域社会に対して引きこもっていたのだろう。若い夫婦のご主人が肩にさげたエコバッグから長ネギがのぞいており、仲睦まじくにこやかな姿を見ると、懐かしい昭和の世界に戻ったような気がする。コロナの脅威さえなければ、町に西岸良平が描いたような夕方が戻っている。

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