未来は霧の中

2012年7月8日

 東京オリンピックが開催された昭和三十九年、週刊少年マンガ雑誌の値段は一冊四十円だった。毎週買うと月四冊で160円、『週刊少年マガジン』『週刊少年サンデー』だけでなく『週刊少年キング』まで読む贅沢な暮らしが許されたとしたら月480円にもなる。当時の月480円がどれくらい価値があったかというと、小学校の給食費が500円くらいで毎月袋に入れて持って行ったが、用意して貰えなかった家庭の子どもが必ずクラスに何人かおり、

「もって来られませんでした」

とうつむいて言わなくてはいけないくらいの価値があった。今のように経済的問題がないのに給食費未納の親がたくさんいる時代ではなく、見るからに困窮している家庭が多かったので、毎月480円あれば子ども一人に気持ちよく給食を食べさせることができたのだ。

 兄弟が多かったり、父親まで兄弟の一人であるかのように無邪気な家庭では、必ず一誌くらいマンガ週刊誌を購読していたので、放課後遊びに行き、みんなで畳の上をごろごろ転がりながら、順番に回し読みさせて貰った。そのおかげで、「オバケのQ太郎」も「おそ松くん」も「伊賀の影丸」も「サブマリン707」も、友だち同士の話題に乗り遅れ、イジメにあうこともなく、何とか読むことができた。

 それでも小学校高学年になると塾通いする友だちも増えてきて、マンガを読ませて貰うために他人の家に上がり込む機会もなくなったころ、駄菓子屋に登場したのが古漫画本のくじ引きだった。おそらく売れ残ったものと思われる週刊少年マンガ雑誌を、新聞紙を貼ってつくった袋に1冊ずつ入れ、紐で吊したものを五円払ってくじ引きするのだ。小遣いが一日十円だったので五円のマンガをくじ引きし、残り五円であめ玉を五つ買って帰ると、夕飯までごろごろと愉しむことができた。

|清水小学校郷土資料室にて|

 どんな雑誌のどの号が出てくるかはわからないので、前号までのあらすじがわからないのはもちろんのこと、続きはどうなるんだろうと胸高鳴らせても、続きが読めるとは限らない。今になって小学生時代のマンガ体験を振り返ると、なんと哀れな読書だったのだろうとも思うけれど、それはそれとして受容し、物語の前後を想像で補い、未来が霧の向こうに見えなくなるまで愉しんでいたわけで、受け身一辺倒でない、なかなか高度な知的体験だったかもしれないとも思う。

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