コメント
いや困る
(
薬局の末息子
)
2009-09-25 09:38:45
先日、清水に帰省した折に清水銀座の端っこが白テントに覆われていて、ここも再開発だか、と思ったんですが、火事だったんですか。
あそこには、清水港線の車掌を定年まで勤めた杉山さんちがあったんだけど(1983年に55歳定年だから、1928年生まれか)やいやい、いろんな資料が灰燼に帰してしまっただろうな。そもそも、杉山さんはどうされているだろう・・・
杉山さん
(
六
)
2009-09-25 14:19:15
その杉山さんちは知らないけぇが、その向かいっかたにいた杉山さんなら今も辻にいるよ。だけん、清水に杉山さんはたぁんといるもんで縁者でない確率は高いな、やい。こんだ会ったらまた聞いとかあ。
(たまに使わないと錆びる清水弁)
ご健在
(
サッカーおやじ
)
2009-09-25 22:27:29
薬局の末息子さま。
杉山さんの娘さんと僕の妹が同級生で、
住まいも近所なので子どもの頃よく遊びに行きました。
ご主人はだいぶお歳を召しましたがご健在です。
奥様は数年前に天国にいかれました。
今回の火事では、ぎりぎり延焼は免れて、
無事家が残りそこに住んでいます。
六様、剣さんの連絡先判明したのでメールにて連絡しますね。
剣さんの両手コース、食べたいなぁ。
あぁ、よかった
(
薬局の末息子
)
2009-09-26 08:24:51
サッカーおやじさま、ありがとうございます。
杉山さん、お元気ですか。よかった。
それでも、随分怖い思いだったでしょうね。
もう、20年くらい会っていないな。一見、とてもおっかなそうな人だったけど、話してみると優しい人でね。そういえば、清水港線の最終日には空撮するんだって、三保から飛行機だったかヘリだったかを飛ばしたはず。
あぁ、安心した。よかった。
訂正
(
サッカーおやじ
)
2009-09-26 09:27:02
薬局の末息子さま。
すいません、訂正です。
杉山さんは先日の火災で家は残り住んでいたのですが、
家もかなり古く、身体も大変なので、
お年寄り専門のマンション施設に移られたそうです。
残った家は火事場の片づけと一緒に解体、
もう更地になっていました、つい先日のことです。
あれだけ広いスペースができてしまいましたが、
これからどうなるのかと思います。
風の便り
(
六
)
2009-09-28 02:44:52
サッカーおやじさま
『剣』のご主人の連絡先、ありがとうございます。
取り急ぎお見舞いのはがきを出してみます。
取り急ぎと言っても二ヶ月遅れ以上のタイムラグですが。
『剣』のその後
(
ラーメン小僧
)
2010-02-26 22:03:54
小生は清水の住人ではないのですが、勤め先がしみずにあった事から、30年近く剣に行っていました。両手コースから始まり、お茶漬けまで1時間半位で呑むというより、食事に行っていました。
火事のあと、何処かでお店やっているのでしょうか?
『剣』追想
(
六
)
2010-02-27 08:39:54
こんにちは。片手コース、両手コース、そして串を立てる大根…懐かしいですね。
『剣』は県立大や東海大の学生が自主的にローテーションを組んでバイトに通っており、ご主人は「この子たちが助けてくれるから商売を続けていられる」とおっしゃってました。店のおかずでご飯をたっぷり食べさせ、学業の妨げにならないよう早めに上がらせていました。
『剣』によく通っていたわが母も旭町で飲み屋をやっていましたが「お願いだから夜の仕事はやめようよ」と70歳を期にやめさせるのに苦労しました。
『剣』復活がもし叶うなら嬉しい反面、ご主人にのんびり暮らして欲しいと願ったり、複雑な心境です。住所がわかったのでお礼と励ましのはがきを書いておきました。
お猪口くじ引き
(
サッカーおやじ
)
2010-02-28 00:00:04
剣さんのご主人の人柄ですね。
飲みに行くとバイト君がカウンターの隅っこで賄を食べていたのを思い出します。
キャベツをカレーマヨネーズで食べるのも剣さんで覚えました。
お酒を頼むと、ざるに並べたお猪口でくじ引きするのが楽しみでした。
剣再開は風の噂ではないようです。
両手コース食べたいなぁ、本当に残念!
キャベツ
(
六
)
2010-02-28 15:04:38
カレーマヨネーズ。なつかしい……
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あそこには、清水港線の車掌を定年まで勤めた杉山さんちがあったんだけど(1983年に55歳定年だから、1928年生まれか)やいやい、いろんな資料が灰燼に帰してしまっただろうな。そもそも、杉山さんはどうされているだろう・・・
(たまに使わないと錆びる清水弁)
杉山さんの娘さんと僕の妹が同級生で、
住まいも近所なので子どもの頃よく遊びに行きました。
ご主人はだいぶお歳を召しましたがご健在です。
奥様は数年前に天国にいかれました。
今回の火事では、ぎりぎり延焼は免れて、
無事家が残りそこに住んでいます。
六様、剣さんの連絡先判明したのでメールにて連絡しますね。
剣さんの両手コース、食べたいなぁ。
杉山さん、お元気ですか。よかった。
それでも、随分怖い思いだったでしょうね。
もう、20年くらい会っていないな。一見、とてもおっかなそうな人だったけど、話してみると優しい人でね。そういえば、清水港線の最終日には空撮するんだって、三保から飛行機だったかヘリだったかを飛ばしたはず。
あぁ、安心した。よかった。
すいません、訂正です。
杉山さんは先日の火災で家は残り住んでいたのですが、
家もかなり古く、身体も大変なので、
お年寄り専門のマンション施設に移られたそうです。
残った家は火事場の片づけと一緒に解体、
もう更地になっていました、つい先日のことです。
あれだけ広いスペースができてしまいましたが、
これからどうなるのかと思います。
『剣』のご主人の連絡先、ありがとうございます。
取り急ぎお見舞いのはがきを出してみます。
取り急ぎと言っても二ヶ月遅れ以上のタイムラグですが。
火事のあと、何処かでお店やっているのでしょうか?
『剣』は県立大や東海大の学生が自主的にローテーションを組んでバイトに通っており、ご主人は「この子たちが助けてくれるから商売を続けていられる」とおっしゃってました。店のおかずでご飯をたっぷり食べさせ、学業の妨げにならないよう早めに上がらせていました。
『剣』によく通っていたわが母も旭町で飲み屋をやっていましたが「お願いだから夜の仕事はやめようよ」と70歳を期にやめさせるのに苦労しました。
『剣』復活がもし叶うなら嬉しい反面、ご主人にのんびり暮らして欲しいと願ったり、複雑な心境です。住所がわかったのでお礼と励ましのはがきを書いておきました。
飲みに行くとバイト君がカウンターの隅っこで賄を食べていたのを思い出します。
キャベツをカレーマヨネーズで食べるのも剣さんで覚えました。
お酒を頼むと、ざるに並べたお猪口でくじ引きするのが楽しみでした。
剣再開は風の噂ではないようです。
両手コース食べたいなぁ、本当に残念!