電脳六義園通信所別室
僕の寄り道――電気山羊は電子の紙を食べるか
【『剣』のこと】
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郷里静岡県清水から届く便りにも、次第に大気が澄んできて富士山の姿が少しずつ見えるようになってきた、とあり六義園上空も夕暮れの茜が鮮やかさを増してきた。
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六義園上空の夕暮れ
清水橋脇にあった串揚げの店『剣(つるぎ)』さんの場所が更地になっていて驚いたと友だちからのメールにあった。火事があり、数軒の店舗やアパートとともに焼けてしまったのだという。
大好きだったご主人の安否が気になり、この日も消防団として消火にあたったという高校後輩にメールで確かめたら、火事があったのはもう2ヶ月も前、7月19日の事だったという。
「この時は駅前銀座の屋根の上からずっと放水していましたが、建物がどれも古いため火勢と煙がもの凄く、なかなか鎮火しませんでした。清水橋も通行止めになり、近所の交通は10時頃までマヒ状態でしたね。鎮火してからの帰り、剣さんのご主人が呆然と火事場を見ていたので、『元気だしてくださいね!』と声をかけたら、気丈に『はいよ!』とこたえてくれましたが、それがかえって辛かったですね。」
元船乗りで苦労人のご主人が、気丈に見せようとしている姿が思い浮かんで胸が痛む。
実家の片付けが終わって、清水帰省と言えば墓参りばかりになってしまい、清水橋から清水駅前にかけては足が遠のいてしまったけれど、実家のあった場所といい、『剣』のあった場所といい、何だか見たくない場所が増えるのも困ったものだと思う。
自分のサイトを検索したら2006年4月2日に一人『剣』で飲んでいた。
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2006年4月2日の『剣』
その日の日記にはこんなことを書いていた。
「春雷がとどろき、外は生暖かい雨なのにひとけのない一軒家というのはひどく寒く、慌てて電気ストーブをつけたりする。結局、向こう三軒両隣(と言っても「向こう」は理容室一軒なのだが)にご挨拶し、ついでに散髪もしてもらい、一ヶ月も放置したままの自動車のエンジンをおそるおそるかけ、次郎長通り『魚初』に行って魚を東京の義父母の住まいに届けてもらうよう注文し、実家に戻って電気ストーブをつけ、なんとなく侘びしい感じもしてテーブルに突っ伏して居眠りし、目覚めたら時計は午後6時に近く、激しい雨もまた終息していた。」
雨上がりの町に出て、ひとり『剣』に行ったらやさしく迎えてくれたお父さんがおり、キャプションとしてこんな言葉が添えてあった。
「静岡県清水。母が好きだった清水橋脇、串揚げ『剣』でひとりで飲んでみた。ご主人はなんと宮城県石巻出身だという。撮影日: 06.4.2 6:18:55 PM」
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あそこには、清水港線の車掌を定年まで勤めた杉山さんちがあったんだけど(1983年に55歳定年だから、1928年生まれか)やいやい、いろんな資料が灰燼に帰してしまっただろうな。そもそも、杉山さんはどうされているだろう・・・
(たまに使わないと錆びる清水弁)
杉山さんの娘さんと僕の妹が同級生で、
住まいも近所なので子どもの頃よく遊びに行きました。
ご主人はだいぶお歳を召しましたがご健在です。
奥様は数年前に天国にいかれました。
今回の火事では、ぎりぎり延焼は免れて、
無事家が残りそこに住んでいます。
六様、剣さんの連絡先判明したのでメールにて連絡しますね。
剣さんの両手コース、食べたいなぁ。
杉山さん、お元気ですか。よかった。
それでも、随分怖い思いだったでしょうね。
もう、20年くらい会っていないな。一見、とてもおっかなそうな人だったけど、話してみると優しい人でね。そういえば、清水港線の最終日には空撮するんだって、三保から飛行機だったかヘリだったかを飛ばしたはず。
あぁ、安心した。よかった。
すいません、訂正です。
杉山さんは先日の火災で家は残り住んでいたのですが、
家もかなり古く、身体も大変なので、
お年寄り専門のマンション施設に移られたそうです。
残った家は火事場の片づけと一緒に解体、
もう更地になっていました、つい先日のことです。
あれだけ広いスペースができてしまいましたが、
これからどうなるのかと思います。
『剣』のご主人の連絡先、ありがとうございます。
取り急ぎお見舞いのはがきを出してみます。
取り急ぎと言っても二ヶ月遅れ以上のタイムラグですが。
火事のあと、何処かでお店やっているのでしょうか?
『剣』は県立大や東海大の学生が自主的にローテーションを組んでバイトに通っており、ご主人は「この子たちが助けてくれるから商売を続けていられる」とおっしゃってました。店のおかずでご飯をたっぷり食べさせ、学業の妨げにならないよう早めに上がらせていました。
『剣』によく通っていたわが母も旭町で飲み屋をやっていましたが「お願いだから夜の仕事はやめようよ」と70歳を期にやめさせるのに苦労しました。
『剣』復活がもし叶うなら嬉しい反面、ご主人にのんびり暮らして欲しいと願ったり、複雑な心境です。住所がわかったのでお礼と励ましのはがきを書いておきました。
飲みに行くとバイト君がカウンターの隅っこで賄を食べていたのを思い出します。
キャベツをカレーマヨネーズで食べるのも剣さんで覚えました。
お酒を頼むと、ざるに並べたお猪口でくじ引きするのが楽しみでした。
剣再開は風の噂ではないようです。
両手コース食べたいなぁ、本当に残念!