電脳六義園通信所別室
僕の寄り道――電気山羊は電子の紙を食べるか
▼地籍調査
郷里静岡県清水の実家を解体し土地を売却するに際して、明治時代地租改正のために作られた地図である公図というものを初めて見た。公図と実際の現場が一致しているかいないかについて、売買当事者がもめた場合はどうなるかと不動産屋に聞いたら、あまりにやっかいなのでぞっとした。
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散歩していたら北区内の狭隘な路地に夥しい数の境界表示板が打ち込まれていてびっくりした。売却した生家近くもまた同じような鋲がたくさん打ち込まれていたので、この辺もまた同じような地域の成り立ち方をしたのだろうと興味深く観察して歩いた。
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数メートルごとにいろいろな鋲が打ち込まれている
こんなに狭い路に民家が密集して建っていたら、火事の際は延焼をまぬがれがたいし、だいいちこの路地まで消防ホースをどこから引き回してきたらよいのだろうと思うと想像を絶する。
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北区の路地を歩いていると、土地整備に協力したことに感謝の意を表するための銘板が埋め込まれていることが多く、狭い路地を拡げるためにはまず地籍調査が欠かせなかったのだろう。
この道も調査結果に基づいて交渉の末に苦労して拡張されたのかと思いつつ、拡張されてやっとこの広さということにもう一度唖然とする。
▼仕業(しわざ)
親が遺した生活の抜け殻を片付け続けている友だちが何人もいる。
人が生活をした場所にはその仕業(しわざ)の痕跡があり、人はなんと驚くほどいろいろなことをして生きているのだろう、ということが片付けを通して実感できることのひとつだと思う。
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左から、秋の石榴、秋の路地裏、秋の松葉牡丹
棚の上に置かれたものひとつ片付けるにしても、かつて置いた人の仕業をなぞるように片付けているのであり、レコード盤の溝を針がたどって音が聞こえることと同じで、遠い日の出来事を再生しているような気がしてくる。
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生活の痕跡としての仕業に満ちた空間
そういう些細だけれど不思議な体験が嫌いではない。
ふと通りかかった見知らぬ人の住む玄関先で、暮らしの中にある仕業の痕跡を眺めると、やはりレコード盤を針がなぞるように、懐かしさで胸がいっぱいになる。
▼秋空の飛行船
小学生の頃だから昭和三十年代、頭上でブーンと音がして空を見上げ、青空を飛行してくるセスナ機から良く聞きとれない拡声器ごしの声が聞こえると、
「あっ、飛行機がビラを撒くぞ」
とみんなで空を見上げて行方を追ったものだった。やがて小さなビラが空中で撒かれ、風に乗って舞い落ちる方向を見失わないように町並みを抜けて走ると、いつの間にか遠い学区外にいて驚くこともあった。
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秋空の飛行船
チラシの内容はおそらく新装開店の宣伝か何かだったのだと思うけれど、高い空から落ちてきたというだけで紙片が宝物のように思え、拾った枚数の多さを仲間で競い合ったものだった。たくさん拾ったビラを自慢げに見せ合いながら歩いていると、おとな達は
「ふん、飛行機がビラ撒いたか」
とつまらなそうに笑うのだった。
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秋空の飛行船
頭上でブーンと音がするので見上げると飛行船が空に浮かんでいた。じっと見ていたけれどビラが撒かれることもないので、カメラを構えて見えなくなるまで撮影した。撮影している横を、携帯ゲーム機で遊びながら小学生たちが通りすぎ、空に向かってカメラを構えているオヤジに気づいて同じ方角を見上げ、
「なんだ、飛行船か…」
とつまらなそうに呟いて通りすぎた。
▼お疲れSUNSET
子どもの頃好きだったアメリカ製テレビドラマに『サンセット77』というのがあった。必ず見ていたので主題歌もちゃんと思い浮かび、番組名を僕は「さんせっとせぶんせぶん」と記憶しているのだけれど何だか怪しい。
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中華料理店の小皿料理
大きくなって英語が少しわかるようになったら、主題歌の歌詞は「♪Seventy Seven Sunset Strip(セブリセブン サンセット ストリップ)」なのだけれど、小学生には「せぶんせぶんさんせっと!」としか聞きとれなくて、それで「さんせっとせぶんせぶん」と読んでいた気がする。当時の日本人は番組名をどう読んでいたのだろう。
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「お疲れSUNSET」という名前にしたら似合いそうな黄昏時
出版社に遅めに出かけたら地下鉄駅近くの中華料理店に、仕事帰りの疲れた会社員を当て込んだセットメニューがあるのを見つけた。「おつかれさんセット」という名前がつけられ、おつまみ三品とビールがセットになって680円だとという。なかなかお得な値段かな、と思うのだけれど、きっとビールはおつまみに手をつける前にグイッと飲み干してしまいそうな気がする。もう一杯追加してビール二杯のセットにすると980円なのでドリンク一杯300円ということになる。
近所の酒屋では麒麟『ホップの真実』が新発売のせいか安くてロング缶一本158円なので、いかにおつかれさんでももう一頑張り電車に揺られ、家に帰って呑んだ方が安上がりだよな、などと思ってしまうわけで飲食店も商売が難しい。
▼頭上の渦巻き
20世紀の終わり頃だと思うけれど、仕事で頻繁に通りかかる港区の高橋是清翁記念公園で、石像調査が行われているのをよく目にした。
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高橋是清翁記念公園内の石人像
この公園内にはなぜか朝鮮半島から持ってきたと思われる五体の石人像があるのを不思議に思っていたので、やはり公式にも奇妙なのだろうとわかって、ほっとしたのを覚えている。
石人像に混じって何のための碑かわからない古びた石碑があったが、調査の結果李氏朝鮮第九代国王・成宋の側室で1515年に没した淑容沈の墓碑であることがわかり、2000年になって港区から正式に韓国へ返還された。1592年から1598年にかけて引き起こされた文禄・慶長の役の際に、島津藩が持ち去ったまま行方不明になっていたものだという。
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港区が立てた解説板
淑容沈の墓碑があった場所には港区の解説板が立てられて、写真で今も見ることができるが、解説板では返還ではなく譲与となっている。
その墓碑に比べて5体ある石人像は新しく見え、1500年代に島津藩が持ってきた物とは思えない。第二次大戦末期に大陸から引き上げる際、船の転覆を防ぐため石像物をバラストがわりにぶら下げてきたという年寄りの話を聞いたことがあるけれど、石人像が言葉を話せないので真偽の程はわからない。
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石人像と香取線香
朝鮮半島から消えた墓碑がここにあった経緯はよくわからない、と書かれた解説板近くにある石人像の上で誰かが香取線香を焚こうとした形跡があるが、なぜこんな場所で蚊遣りを焚きたかったのかもまたよくわからない。
▼小さな世界
子どもの頃は小さな世界に閉じこもってひとり遊びするのが好きだった。
高校を卒業して東京に出たら大きな世界に出たような気がして、休みになって帰省すると数日も経てば田舎が息苦しくなり、早く都会に帰りたいと思ったものだった。
最近は年をとったせいか田舎も都会もひっくるめて大きな世界を煩わしく感じ、子どもの頃のように小さな世界を見つめてやすらぎを感じる機会が増えてきた。
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道端に置かれた火鉢水槽にアオウキクサが浮いていた。
子どもの頃、あぜ道にしゃがみ込んで眺めていると、水を透かして見える田んぼの土の上にアオウキクサの影ができ、そのフチが明るく輝いているのが不思議で、アオウキクサと水が接する部分が虫メガネのレンズのような役目をしていることに気づいて感心した。光の輪を投影しながら微かな風で水面をゆっくり動いていくアオウキクサを眺めているのが好きだった。
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もの凄い繁殖力のアオウキクサ。
翌日見たら取り除かれていた。
赤坂の農業系出版社に行ったらデンジソウがエレベーターホールに置かれていた。
一見四つ葉のクローバーに似ているけれど、デンジソウはシダ科では珍しい水草で、四枚の葉が田の字に似ているので田字草と書いてデンジソウと読む。多年草で、昔は田んぼで当たり前に見られる水田雑草だったけれど、農薬による駆除の行き過ぎで、地域によっては絶滅危惧種になっているという。
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ペットボトルに入れて飾られたデンジソウ
夜になったら葉が閉じると説明書きが添えられており、残業した出版社職員は閉じているデンジソウを見ているのだと思う。何のために葉が閉じるのだろうか。
▼つばさ
「あ、ウサギみたいな雲だ!」
と誰かが指差し、見立てがとんでもないものでない限り、最初に言った人にひっぱられてみんなが
「ほんとだ、ウサギみたいな雲だ!」
と感じてしまったものだった。きっとそういう現象でスケールが大きなものが、ロマンチックな星座の見立てかもしれないし、扇動という社会現象の怖い部分でもあると思う。
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2009年9月10日の夕暮れ
年寄りの在宅介護が始まってからは午後六時が規則正しい終業時刻となっている。
窓のカーテンを閉めながら家人が、
「わ~、つばさみたいな雲だ!」
と言うのでベランダに出てみたら、本当につばさのような雲が浮かんでいた。
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2009年9月10日の「つばさ」
両親の介護に疲れ果て、ひとり外出して電車に乗るとそのまま蒸発してしまいたくなる、などと言う家人だが
「あんなつばさが生えて飛んで行けたらいいな…」
などと瞳を潤ませて呟くには残念ながらとうが立ちすぎている。
▼花ニラが咲く頃
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信号が青に変わるのを座って待つ犬
出版社玄関脇の花ニラに花が咲き、もうそういう季節が来たのかと感慨深い。2003年8月に病気とわかってから、無人となった実家を片付け終わるまでの6年間、何の手入れもできなかったベランダのプランターに、毎年忘れずに花ニラが咲いていた。
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花ニラには花アブが妙に似合う
静岡県清水にある墓に参ってくれた友人が、清水駅前銀座リビングハウスこまつに立ち寄ったら、母から株分けされた花ニラが毎年咲き続けていると話されていたという。街で花ニラの花を見るたびに郷里清水の秋を思い出す。
▼初秋の『みんなのお庭』
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汲み上げた井戸水による小さな小川とそのほとりに生きものたちが集まっていた。
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▼初秋のボダイジュ
どれもとても良くできているのだけれど、上質のプロペラを取り付けた竹とんぼ型ヘリコプターのような、ボダイジュの種子を見たときの感動を忘れない。
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染井霊園内に落下するボダイジュの種子
生物はたくさんの変異の中から、環境に適合して生き残れる特性を持ったものだけが淘汰され、それらが種として定着したものと理解しているのだけれど、ボダイジュの竹とんぼ型ヘリコプターを見ていると、工作好きの神様がシナノキ科シナノキ属の落葉高木に無理矢理生えるよう仕掛けをしたように見えてしまう。恣意的としか思えないほど形状の完成度が高い。
ボダイジュの竹とんぼ型ヘリコプターが好きで時折探しに行くのだけれど、それは秋風が吹きヘリコプターが枝を離れて飛翔し、離れた場所に落下した後なので、神様が無理矢理ほどこした仕掛けの詳細を知らない。ボダイジュのそばをたまたま通りかかってその事を思い出し、日射しを避けるように木の下に立ったら離陸準備中のヘリコプターがたくさんぷらさがっていた。
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左上:葉の根元に生えたヘリコプター
右上:ヘリコプター羽の付け根
下:惚れ惚れするようなプロペラのカーブ
臨済宗開祖栄西が中国から持ち帰ったというボダイジュは、落葉高木なので大きな葉がある。枝から柄が分岐した先に大きな葉があるのだけれど、その柄の付け根の又からもう一枚ヘリコプターのプロペラのような葉が直接生えており、これは苞(ほう)といって通常の葉に比べて小さい。
ボダイジュの苞が面白いのはその中心近くから柄が付きだしてプロペラの軸となり、安定して回転するための重りとして種子がぶら下がるという、見事に設計された構造になっていることだ。
あたりを探したら早めに落下したヘリコプターが落ちていたので高く掲げて写真を撮り、手を離したらクルクルと見事に回転しながら落下する。苞の付き方はわかったので、苞の中心近くからぶらさがる柄の先に、白い五弁の花がつく6月頃に来てみたいと思う。
▼天国の秋
時計工房の方では時計の修理をして貰えるのだけれど料金表を見たら驚くほど安く、中を覗いたらいかにも腕の良い職人風のご主人が時計の修理をしていた。昔はどこの町にも電気や時計修理に関して腕自慢の職人がいて、気軽に相談にのりながら修繕をしてくれたものだった。
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眼鏡工房 時計工房 久保田
〒170-0002 東京都豊島区巣鴨4-33-1
TEL&FAX 03-3917-5246
営業時間 10:00~19:00
定休日 毎週 火曜日
古いスイス製のボーイズサイズ手巻き時計を持っていて、眼が悪くなった家人に貸したら重宝して使っていたのだけれど、このところずいぶん遅れるし、ネジを巻いてもすぐに止まってしまうので分解修理して貰った。初めての分解修理なので中がかなり汚れていたそうで、傷ついていたガラスまで磨いてもらって6,000円だった。大手量販店で見積もりをとった数分の一の値段であり、近所の古い町には店と人の掘り出し物がある。
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豊島区巣鴨、曹洞宗白泉寺門前にて
腕時計の分解掃除が終わったと電話をいただいたので、六義園染井門から近道をして取りに行く道すがら、曹洞宗白泉寺門前に小学生の詠んだ句が掲示されていた。
天国はもう秋ですかお父さん
塚原 彩
三重県 小学生
言葉と季節が響きあう光景に出会うと、しみじみと秋の気配を感じる。
▼今年の夏は、
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巣鴨とげぬき地蔵界隈にて。
今年の夏は、なぜか東京の生活圏内にある八百屋店頭で、茶豆ばかりが目だって昔ながらの緑の枝豆が少なく、しかも値段が高くて1パック400円以上から300円台後半の値段で売られている。我が家は茶豆の香りが得意でないので、緑の枝豆でしかも値段の安いものを見つけるのに苦労した。枝豆栽培に異変でもあったのかとネット検索しても情報がないので、単に近所の八百屋のこの夏の傾向かもしれない。
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マグロの街、清水出身なので
気張ったマグロの並べ方をしている小さな魚屋を見ると気になる。
庚申塚通りにて。
今年の夏は、いつも呆けて大騒ぎする義父が異様におとなしく、ぎすぎすとして家族関係が刺々しくなりがちだった義母がぼんやりと呆けてきた。暑いのでエアコンを付けると義父が寒いと言うそうで、テーブルを席替えして最もエアコンの効かない場所に義父を移動し、義母にはなるべく水分を摂らせて脱水症にならないよう注意した。朝顔やホオズキの鉢植えに対する、日当たりや水やりの世話を思い出した。
今年の夏は、何度も郷里静岡県清水に帰省し、母が他界した2005年の夏から4年がかりで片付けた昭和29年築の生家を解体して更地にし、隣家に売却して整理を終えた。清水市街地に帰る家がなくなったら、高速バスも清水ライナーではなく山沿いを走る駿府ライナーの方が便利になった。
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庚申塚通りにて。
今年の夏は、梅雨明けが8月にずれ込み、夏の始まりが遅かったせいか、六義園のセミたちがいまだに元気で、三日後は菊の節句だというのに、目を閉じて音に耳を澄ますとまだ夏のただ中にいるような錯覚がある。命がけで求愛の歌を歌う、セミたちの夏はまだ終わっていない。
▼昭和28年の写真
多少の断片化があっても収納物の位置情報を記したインデックスが作られているので、呼び出しの早い遅いはあってもさしたる問題もなく若者は過ごしているけれど、年をとるとインデックスに記載されている記憶の実体がなくなったり、インデックス自体が壊れることによって、物忘れやボケが始まるのかもしれない。友人がtwitterでパソコンのランダムとシーケンシャルなリード・ライトを例に挙げて同様のことを呟いていた。
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新宿区百人町。大久保通り沿いのフードセンター丸孝。
幼い頃の記憶もまた老人のそれに似ていて、大人になってから都合よくでっち上げた思い出というインデックスとは別に、突然受ける刺激によって所在不明になったぼんやりした記憶が、意識の表層に呼び出されることがある。そういう現象によって、人は突然覚えているはずのない幼少時のことを思い出してまわりの人を驚かせるのかもしれない。
新宿区百人町。静岡県清水市に生まれ、親と一緒に故郷を出て、ぼんやりと夜があけるように意識が形を持っていった場所がこの町であり、仕事で出かけたついでに街を歩き回ると、強烈な既視感を持って幼い日のことが思い出されることがある。
JR新宿駅近くの大久保通り沿いにフードセンター丸孝という小さなスーパーマーケットがあり、百人町の出版社での打ち合わせ帰り、店頭で買い得な野菜を見つけると買って帰って重宝したものだった。
この界隈で暮らした幼い頃、おそらく昭和32年頃だけれど、和菓子工場住み込み従業員の賄い婦として働いていた母に連れられて食料の買い出しに歩いた。裸電球がたくさんぶら下がったスーパー丸正がぼんやり記憶にあるが、この丸孝にも立ち寄ったことがあるかもしれないな…とぼんやり思っていた。
9月4日、仕事の打ち合わせでフードセンター丸孝前を通りかかったらシャッターが降りたままになっており、閉店のお知らせと題された貼り紙があった。「大正十三年より八十五年の長きに渡り…」とあるから、この店は両親が流れ着く遙か前からこの場所にあったことになる。左隣に小さなモノクロ写真が貼られており、1953(昭和28)年の写真とのことで、写真に写っている看板のようなものを子細に見ると開店記念とあるので、丸孝はこの年、フードセンター丸孝として新たに改装オープンしたのかもしれない。
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花輪がずらりと並ぶ開店風景は鮮明に覚えているけれど、
花輪を並べられない混み合った商店街では、
こういう看板が並ぶような開店風景もあったのだろう。
なんだかこの店の前を確実に通ったような既視感があるのは自分の個人的体験ではなく、日本人の誰もが、かつて自分もこの店の前を通ったかもしれないと感じてしまうような、共通の記憶として懐かしい昭和の風景だからかもしれない。
閉店を決断された最後に、こうして貴重な写真を見せていただいたことに感謝して、しばらくの間ネットに転載させていただくことにした。
▼雀の稲刈り歌
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肩の凝らない祖父母の家とはいえ、幼児が毎日ゴロゴロしていればやはりお荷物になるので幼稚園に通い、古いアルバムにはちゃんと静岡県清水高部幼稚園の卒園写真がある。
幼稚園の卒園写真なので雛壇後ろにいるお母さんたちはみんな若いのだけれど、その中にひとり年を取った着物姿の祖母がいる。だが祖母の生年を調べてみると当時まだ五十代であり、昔の人はおじいさんおばあさんと呼ばれるようになると、容姿もすっかりおじいさんおばあさんになっていた。
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近道の石段。
義母にたまにはお寿司でも食べさせようと思い、持ち帰り寿司の巻物を買いに出た帰り道、人通りの少ない路地裏の石段の前まで来たら「チッチッチッ…」と声が聞こえ、石段を登りかけたら雀が一斉に飛び立って驚いた。
幼い頃、幼稚園の行き帰りに田んぼ道を歩くと、秋はこうして一斉に飛び立つ雀に驚いたのを思い出す。
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「今年の作柄はどう?」と雀たちに聞いてみたい 。
何をしていたのだろうと辺りを見回すと稲科の植物エノコログサが稔りの秋を迎え、雀たちが集まって稲刈り歌をうたっていたのだった。
▼第三の選択肢
祖母は90歳を過ぎてから、大好きだった旅行の話をすると、九州でも北海道でも日本中どこの話をしていても、途中から必ず飛騨高山の話になってしまうのが不思議だった。
「おじいちゃんと船で別府に着いて温泉旅館に一泊したっけ。次の朝起きたら飛騨高山はすごい雪で道の真ん中から水が出ていて…」
といった具合に、日本中いたるところが時空を超えて飛騨高山とつながっていた。
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左から、黄色いのが花ではなく葉っぱのリュウセイクロトン、
味わいのある本日休業の文字、
トクサのある玄関先。
母は高校生の時に肺結核になり長いこと寝たきりになって闘病生活をする中で、文通で知り合った父と24歳で「できちゃった結婚」をするのだけれど、母を診ていた医者は母胎の安全を考えて出産に反対だったという。
祖母は母が決断を迫られた「子どもを取るか、自分の命を取るか」という究極の二者択一の話を会う度に何度も何度もするのだけれど、どうしても「子どもを取るか、自分の命を取るか」の箇所にさしかかると「それとも金を取るか」が加わって三者択一の話になってしまい、聞いている母も呆れて笑っていた。
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六義園近くにある珈琲自家焙煎の店。
年を取るにつれ、気の進まない仕事をするのが苦痛になり、あまりに気の進まない仕事は心身の健康に良くないので断りたくてたまらなくなる。断る理由を考え、気の進まない理由をあげつらって事を荒立てるのものも面倒なので、年を取ったからもっと割の良い仕事に絞りたくなった、などと「金の切れ目が縁の切れ目」的な心にもない理由にしておくことにしている。
金を稼ぐためだけではなくて、もっとやりがいのある仕事を楽しんでやりたいのであり、そうできるなら金の多寡など関係ないと思う年齢にさしかかったのだけれど、「続けるか辞めるか」という究極の二者択一に立ち向かう面倒さを避けるために「所詮世の中、金がすべてだということにしておく」というさばさばした第三の選択肢が便利なのは、何とも皮肉なことだと思う。雑誌の仕事をひとつ辞めた。
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