電脳六義園通信所別室
僕の寄り道――電気山羊は電子の紙を食べるか
【道端の廃バス】
【道端の廃バス】
もし口がきけるものなら
「この先のT字路に農免農道の碑がありますがどれが農免農道ですか?」
という質問に答えてくれそうに年老いた路線バス。
■静岡県草薙。草薙神社から日本平方向に向かう道沿いにて。
撮影日: 07.10.15 0:15:05 PM
Canon IXY DIGITAL L2
かつて清水にこんな彩色の路線バスが走っていただろうか…と記憶を辿るがバスの色や模様まではなかなか思い出せない。
このバスは何年頃まで現役だったのだろう。
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【風向計のある秋空】
【風向計のある秋空】
千代田区外神田一丁目。
うーーん、と唸ってイナバウアーしてしまう見事な秋空。
撮影日: 07.10.22 2:32:25 PM
FUJIFILM FinePix Z3
地上は無風なのにビルの上の風向計は
くるくると落ち着きなく方向を変えていてそれもまた秋らしい。
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▼カレー南蛮百連発[番外編]
比較のため東京の藪蕎麦睦会に名を連ねる名店のカレー南蛮。
やっぱり清水のカレー南蛮とは違って東京風。
ドロリとして不透明で黄色い。
これはこれで美味しいのだけれど
この店はさすがに肉に気を配っていて
肩ロースの厚切り肉を脂身完全除去の上斜めにそぎ切りにしており
豚肉タイプのカレー南蛮なのに脂が浮いていない。
蕎麦にこだわりのある店なのでちゃんと蕎麦湯が出てくる。
清水で最近せいろカレー南蛮を食べて
出てきた蕎麦湯をカレー汁の中に入れて飲んで
カレーの匂いしかしなかったという友人の日記を読んだので
カレー南蛮好きの本道で蕎麦湯だけを湯飲みに注ぎ
カレーの匂いの残った口中をすすぎながら
蕎麦湯本来の味わいを楽しんだ。
ああおいしい(笑)
▼カレー南蛮百連発[番外編]
東京の住まい近くに昭和6年に建てられた素晴らしい木造建築の蕎麦屋があり、
どうなっているか気になって時折覗きに行く。
実はこの夏に他界した清水の友人の娘さんがお母さんの誕生日に入籍し
上京してすぐ近所の住人となり、その新居のすぐそばに
このお店があるので紹介しようと余計気になったのだった。
撮影日: 07.10.22 1:02:37 PM
FUJIFILM FinePix Z3
金のお盆に載せられてくるのが味わい深く
郷里清水小芝町にある三徳のラーメンを思い出す。
東京で食べるカレー南蛮蕎麦はこんな感じが多くて
清水に多い葛でとろみをつけて透き通ったつゆではなく
濁ってデンプンのようなざらついた舌触りがするもの。
これはこれで美味しいのだけれどやはり清水に多いタイプが好き。
玄関を出たところに文化庁の登録有形文化財の碑が建てられており、
これでこの建物も後世に残るに違いないと安心する。
【草薙川沿いの秋】
【草薙川沿いの秋】
森元温の墓を後にして草薙川沿いを草薙神社に向かうと、草薙川沿いに開かれて丹精された田んぼに、黄金色の稔りの秋が訪れていた。
撮影日: 07.10.15 11:43:43 AM
RICOH Caplio R2
画面右上隅の木立が、森元温が神官の養子として育った草薙神社。
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【草薙の風待ち草】
【草薙の風待ち草】
東京の住まい近くにあった不二家は面白い店で、店の2/3が不二家であり1/3がたばこコーナーになっており、ご主人がパイプ好きなのか高級パイプたばこの香りが漂う、子どもも大人も嗜好を満足できる不思議な不二家だった。
輸入たばこも多く扱っていたので、喫煙していた頃は中国たばこをカートン買いしたついでにケーキも買っていた。
撮影日: 07.10.13 2:28:08 PM
Canon IXY DIGITAL L2
静岡県草薙、JR草薙駅前にも先日まで不二家があり、不二家のお菓子と一緒に赤い幟を立てて清水名物追分羊羹も売っているという微笑ましくも不思議な不二家だったが、事件の影響もあってか閉店されてしまった。
10月13日に通りかかったら「風待ち草」というクレープと珈琲の店になっていたが、赤い幟を立て店内右側にはちゃんと清水名物追分羊羹があって、やはり微笑ましくも不思議なクレープと珈琲の店になっているのが嬉しい。
追分羊羹で珈琲を飲ませてくれるなら寄ってもいいなぁと思う。
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▼そらす
信号機の柱につながれ行儀良く座って飼い主を待つ姿が
ガンバ大阪の加地君みたいで可愛いのでカメラを向けたら
怖いらしくてむこうがわを向いて視線をそらせている。
撮影日: 07.10.16 4:30:07 PM
FUJIFILM FinePix Z3
写真を撮り終えて脇を通り抜けて遠ざかったら
「わおぉぉぉ~~~ん」
という世にも哀しげな声を出してauショップの中にいる飼い主を呼んでいた。
▼和風旅館
金魚好きで、しかも屋内から漏れ来る光と軒先に下げられたポンプのホースなどで
熱帯魚などの観賞魚好きなんだろうなと思われる旅館。
猫に盗られないように金網も張ってある。
撮影日: 07.10.16 3:54:56 PM
FUJIFILM FinePix Z3
それでいて猫にもちゃんと餌をやっているので
まぁまぁの猫好きでもあるのかなと思いつつ屋内をさらに観察すると
猫の絵柄の暖簾が掛けてあったりしてかなりの猫好きらしい。
観賞魚好きと猫好きが共存する緊張感が心地よい和風旅館前にて。
【そうだ、草薙行こう…6】
(『電脳六義園通信所』アーカイブに加筆訂正した 2007年 10 月 21 日の日記再掲)
町境の短いトンネルを抜けるとそこは火葬場だった(川端康六)
清水の斎場からさらに山奥に分け入った寂しい場所にあるせいか、このトンネルにも月並みでしょうもない恐怖譚がささやかれた時代もあるらしい。いつの時代もそう言う話しが好きな手合いはいるようで、僕が子どもの頃は県道416号線大崩海岸辺りの幽霊話をよく聞いた。
■有度山トンネル馬走(まばせ)側入り口。
撮影日: 07.10.15 1:06:32 PM
Canon IXY DIGITAL L2
予想外のものが飛び出したら人間なのでどんなものにでも当たり前に驚くけれど、現代の科学で証明のできない奇っ怪な現象が実在するなら是非びっくりしてみたいものだと思う。びっくりはするけれど怖くはないからで、科学で証明のできない奇っ怪な現象が実在することには恐怖より夢と希望がある。
■有度山トンネル内の町境あたり。
撮影日: 07.10.15 0:32:40 PM
Canon IXY DIGITAL L2
科学で証明のできない奇っ怪な現象は怖くはないけれど、歩行者のことを全く考慮していないトンネル内を歩くのは怖い。ヘッドライトをつけて通過していく車の運転手も、トンネルの中を歩いている変なおっさんが突然闇の中に浮かび上がったらびっくりするだろうし、びっくりのあまり突っ込んでこられたらもっとびっくりなので足早に歩く。
■有度山トンネル北矢部側出口。
撮影日: 07.10.15 0:33:42 PM
Canon IXY DIGITAL L2
トンネルを抜けると秋の陽光を浴びながら道はなだらかに山裾を下り、やがて大沢川沿いに清水市街地へと向かってゆく。
午後 1 時をまわったのでのんびり中学時代の学区を歩き、蕎麦屋でカレー南蛮を食べ、手続きが終わった頃合いを見計らって地元信用金庫窓口の振り出しに戻る。
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【そうだ、草薙行こう…5】
(『電脳六義園通信所』アーカイブに加筆訂正した 2007年 10 月 21 日の日記再掲)
東京の小学校を卒業して静岡県清水市立第二中学校に入学したので、生まれ故郷に戻ったとはいえクラスに顔見知りのいない転校生同様の春だった。
その中学には主に浜田小学校と岡小学校(岡小学校は二中に隣接)を卒業した生徒が入学することになっており、当時の二中が田んぼに囲まれていたことからもわかるように、浜田の子は街の子、岡の子は田舎の子という印象があった。
当時は旭町歓楽街にあった飲み屋の二階に寝泊まりしていたので、浜田の子たちと一緒に下校することが多く、寄り道の場所も模型屋や釣り道具屋や銀座通りまで足を伸ばすこともあったけれど、ときおり岡の子たちが
「寄り道して山で遊んでいかないか」
と誘ってくれ、彼らは皆日本平山麓の船越方向へ帰る子どもたちだった。
■有度山トンネル手前にある農免農道沿いの茶畑。
撮影日: 07.10.15 0:21:55 PM
Canon IXY DIGITAL L2
家と逆方向なのでとんでもない寄り道になるのだけれど、
「山芋掘りをしようぜ」
などと言って誘われて船越あたりから山に入ると何とも楽しくて、最も感動したのはミカン山ではなく山の斜面に拓かれた一面の茶畑を見たときだった。
■茶畑から望む清水市街地越しの庵原方面。住所はおそらく馬走(まばせ)だと思う。
撮影日: 07.10.15 0:28:04 PM
Canon IXY DIGITAL L2
茶という植物の特性なのかはわからないけれど、茶畑の中にいると空気にひんやりとした清涼感を感じ、お百姓の手入れが行き届いているおかげか畑全体が清潔に保たれており、友だちと茶の畝の間に寝転がって話しをしたり、硬くて綺麗な茶の実を拾ったりして過ごすのが心地よく、
「今日も茶の実友だちをしてくか」
などとしょうもないしゃれを言って放課後誘い合って出掛けたものだった。
■茶畑を見下ろす樹幹に張り渡された蜘蛛の巣。
撮影日: 07.10.15 0:28:33 PM
Canon IXY DIGITAL L2
みどりもえたつ若草の 有度の山風 背に受けて
(長田恒雄作詞 平井康三郎作曲 清水市立第二中学校歌『桜ヶ丘に』より)
静岡鉄道御門台駅あたりから日本平方向になだらかに連なる丘陵が有度山であり、その東側に当たる地域が有東坂にあたるわけで、
「(そうかこれが校歌にある有度の山風か…)」
などとぼんやり考えながら過ごした、くりくり坊主頭の中学生時代を、清水の茶畑を見る度に懐かしく思い出す。
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【そうだ、草薙行こう…4】
(『電脳六義園通信所』アーカイブに加筆訂正した 2007年 10 月 21 日の日記再掲)
草薙神社を過ぎて草薙川沿いに日本平方向へ南下しながら上っていく道があり、かなり奥まった場所に医療法人社団博惠会介護老人保健施設アリス草薙がある。
いわゆる老健施設だが明るく元気で開放的なケアワーカーのいる良い施設で、母の親友が入所していたのでこの道を車で走って良く面会に出掛けたものだった。
■草薙川沿いに日本平方向へ南下する道。
撮影日: 07.10.15 0:17:54 PM
Canon IXY DIGITAL L2
初めて徒歩で草薙神社の先に分け入り、くねくねと曲がった山道を歩いて行くと左側から道が合流してT字路になった場所があり、左折せずにまっすぐ300メートルほど進むとアリス草薙がある。
そのT字路の角に大きな石碑があり、自動車で通りかかる度に何の石碑だろうと気になっていたのだが、徒歩なのを幸いにそばに行ってみたら有度山農免農道完成記念碑なのだった。
■有度山農免農道完成記念碑
撮影日: 07.10.15 0:20:44 PM
Canon IXY DIGITAL L2
農免農道とは一般国道・県道がガソリン等にかかる税金(「道路整備費の財源に関する臨時措置法(現在の道路整備緊急措置法)」による揮発油税収入)を充当して作られるのに対して、農林漁業従事者のガソリン代を経費として免除するかわりに農道整備費を補助する法律によって作られた農道である。「農林漁業用揮発油税財源身替農道整備事業」といい農林漁業従事者の免税がわりに作って貰える農道なので略して農免農道という。
農林漁業従事者の免税がわりに作って貰えた農道なのだが明らかに農林漁業従事者ではなさそうな人々にとって格好の抜け道になっているようで、かなりスピードを出した車が通過していくので歩行者は危なっかしい。
■丁字路を左折して東進し地名が草薙から馬走(まばせ)に変わる辺り。
撮影日: 07.10.15 0:22:46 PM
Canon IXY DIGITAL L2
有度山農免農道完成記念碑の角を左折すると道は草薙川を渡り牛額川を渡り茶畑の中を登って行く。
はて丁字路から 3 方向に分かれる道のどれが有度山農免農道なのだろうかと歩いて行った先にトンネルがあり「有度山トンネル」と書かれているので、石碑を建てて顕彰までされている有度山農免農道の目玉はトンネル掘削という難工事だったのかもしれない。
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【そうだ、草薙行こう…3】
(『電脳六義園通信所』アーカイブに加筆訂正した 2007年 10 月 21 日の日記再掲)
寺や神社には寺や神社であることによって時の経過の中で保全される古びたものがあり、そういう意味で寺や神社は H.G.ウェルズが考え出した時間旅行装置に似ている。
祖父は 1894(明治 27 )年生まれだったが僕はその母親である曾祖母に会ったことがあり、昔の女性は若くして嫁いで子どもを産んだから曾祖母はおそらく明治初年の生まれだったのだろう。
■日本武尊石像の建つ静岡県清水草薙の草薙神社。
撮影日: 07.10.15 11:47:07 AM
RICOH Caplio R2
寺や神社で古びた建造物や樹木を眺めているとそれらが明治初年生まれの曾祖母すらこの世に影も形もない頃からそこにあることに気づき、その時代に思いを馳せると、一組の男女から曾祖母が生まれ、曾祖母と曾祖父の間に祖父が生まれ、祖父と祖母の間に母が生まれ、母と父の間に自分が生まれるというちっぽけな家族の歴史を古びた建造物や樹木が知っているような気がしてしまう。
■草薙神社で樹齢 1,000 年以上を経過した御神木。
撮影日: 07.10.15 11:48:39 AM
RICOH Caplio R2
そんなことを言ったら足もとで踏みつけている土や、さっき蹴飛ばした石ころの方が古びた建造物や樹木よりもっと古いし、この世のすべての物質が生命誕生よりもっともっと古いのだけれど、そんなことを考え出すとそもそも生命って何だ、時間って何だ、世界って何だという恐ろしい観念の世界まで還元されてしまう。
そう考えると、そもそも時間というのは人が世界をこう見たい、こう感じたいという思いを叶えるため勝手に考え出した感傷旅行装置なのかも知れない。
■手水所(ちょうずどころ)に揺れる「日本武徳会」のタオル。
撮影日: 07.10.15 11:50:32 AM
RICOH Caplio R2
一組の男女から曾祖母が生まれ、曾祖母と曾祖父の間に祖父が生まれ、祖父と祖母の間に母が生まれ、母と父の間に自分が生まれ……などという古事記や日本書紀のように物語的な事を考えてしまう寺や神社という場所は、古び続けていることで人を時間の感傷旅行に誘(いざな)い、歴史という得体の知れないものをでっち上げる歴史製造装置になっているのかも知れない。
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【そうだ、草薙行こう…2】
(『電脳六義園通信所』アーカイブに加筆訂正した 2007年 10 月 21 日の日記再掲)
草薙(くさなぎ)神社大鳥居から草薙神社へと上る道は草薙川沿いにある。
左手に清水市街地ではもう見かけることの少ない木造本殿の立派な寺があり、その名を曹洞宗鷲峰山冷泉寺といいこの寺では梅花講がしっかりと根付いているらしい。
■静岡県草薙。曹洞宗鷲峰山冷泉寺の裏山から遠望する清水市街地。旧有度郡草薙神社の山から旧廬原郡東久佐奈岐神社あたりの山も見える。
撮影日: 07.10.15 11:24:08 AM
RICOH Caplio R2
芝が植えられてのどかな境内を抜け、墓地のある裏山に登ると一段低まった清水平野越しに庵原方面の山並みが見え、かつて低湿地だった清水平野を通過する西ルートにあたる旧有度郡草薙神社の山と旧廬原郡東久佐奈岐(くさなぎ)神社あたりの山の位置関係がよくわかる。
■森元温(もり・もとはる)の墓入り口。
撮影日: 07.10.15 11:37:51 AM
RICOH Caplio R2
草薙川沿いの道をさらに遡ると左手に森元温(もりもとはる)の墓がある。
森元温(森斉宮の名もある)は 1837(天保八)年~ 1884(明治十七)年の人であり、駿府浅間神社宮司の息子として生まれ草薙神社神主の養子となったという。慶応四年京都に倒幕の気運が高まった際に大宮浅間神社宮司冨士赤八郎らと謀って駿州の神職者や国学者を糾合し、駿州赤心隊(しゅんしゅうせきしんたい)を結成して東征軍の護衛に当たった。同年改めて官軍に編入され江戸攻略に参加し上野彰義隊攻撃にも加わっている。元号が明治と改まって帰郷したが、旧徳川幕臣に襲われ京へ逃れて官途に就いたという。
■墓所へ向かう畑の中の道。
撮影日: 07.10.15 11:38:15 AM
RICOH Caplio R2
森元温は片腕を失い、同じく赤心隊に加わった三穂神社神主太田健太郎は斬殺され、次郎長の妻 2 代目お蝶が殺害された事件も一連の出来事らしく、次郎長翁を知る会会報第 5 号「矢田部盛治日記と次郎長―明治元年の赤心隊事件をめぐって―」に詳しい。
■森元温の墓。枝先から落ちた秋が墓の上で落ちずに転がっている。
撮影日: 07.10.15 11:39:03 AM
RICOH Caplio R2
激動の時代に思いをはせながら空を見上げると、さまざまな陰影を伴って秋の日の田園風景との明暗対象が鮮やかに胸を打つ。
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【そうだ、草薙行こう…1】
(『電脳六義園通信所』アーカイブに加筆訂正した 2007年 10 月 21 日の日記再掲)
10 月 15 日、郷里静岡県清水の信用金庫に母が作った定期預金口座があることがわかったので相続用の書類一式を持って手続きに行った。
月曜の朝午前 9 時の開店を待って窓口に行き手続きをしたら、相続が完了するのは午後 3 時過ぎになると言う。いったん実家に戻って片付けでもしようかと思ったけれど、抜けるような秋空が広がった良い天気だし、
「長らくのお取引ありがとうございました」
などと言われたら、母がどんな思いでこの銀行に定期預金したのかと思って切なくなり、気晴らしに平日の清水を散歩することにした。
■静岡県清水。静岡鉄道入江岡駅ホームに降りたら上り・下り両方向の電車が同時に入線した。
撮影日: 07.10.15 11:01:50 AM
RICOH Caplio R2
東京・清水間に清水ライナーという名の高速路線バスが走るようになり、特急ワイドビュー東海号が廃止となり、市内を清水まちなか巡回バスが走るようになり、あちらこちらに次々と分譲マンションが建って、わずか 2 年の間に母の知らない清水が出現し、亡き人があっという間に過去の人になっていく速さに驚く。
■草薙神社大鳥居から草薙神社までは 1.2km もある。
撮影日: 07.10.15 11:11:42 AM
RICOH Caplio R2
どこに行こうかな……と考えたら急に静鉄電車に乗って草薙に行きたくなった。
清水に帰省する度に写真を撮ると寺や神社の写真が多く、それを見た伯母は
「お母さんもそうだったけーが、あんたはどうしてそういう陰気くさい所ばっか行くだね」
と苦笑いしているけれど、いま生きている人も他界してしまった人も含めて、置き去りにして過去の人にしてしまわない数少ない場所が寺や神社であるように思え、そのことによって心安らぐし寂しくないからであり、何百年も時を経た建物や樹木を見ていると人の儚さをかえって愉快に感じることもある。
■母は遠くから清水を訪れた客は、御穂神社、梅蔭寺、鉄舟寺、龍華寺、久能山東照宮と並んで必ず草薙神社にも案内していた。
撮影日: 07.10.15 11:12:38 AM
RICOH Caplio R2
草薙駅前から旧東海道方面に歩き、草薙神社の大鳥居前に立ったら、ありがたくも晴れ晴れとして清々しい気持ちになり、急に思い切り歩いてみたくなり、山道を辿って清水の信用金庫まで歩いて戻るという定期預金解約時間つぶしの散歩がここから始まる。
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