電脳六義園通信所別室
僕の寄り道――電気山羊は電子の紙を食べるか
【そうだ、草薙行こう…3】
(『電脳六義園通信所』アーカイブに加筆訂正した 2007年 10 月 21 日の日記再掲)
寺や神社には寺や神社であることによって時の経過の中で保全される古びたものがあり、そういう意味で寺や神社は H.G.ウェルズが考え出した時間旅行装置に似ている。
祖父は 1894(明治 27 )年生まれだったが僕はその母親である曾祖母に会ったことがあり、昔の女性は若くして嫁いで子どもを産んだから曾祖母はおそらく明治初年の生まれだったのだろう。
■日本武尊石像の建つ静岡県清水草薙の草薙神社。
撮影日: 07.10.15 11:47:07 AM
RICOH Caplio R2
寺や神社で古びた建造物や樹木を眺めているとそれらが明治初年生まれの曾祖母すらこの世に影も形もない頃からそこにあることに気づき、その時代に思いを馳せると、一組の男女から曾祖母が生まれ、曾祖母と曾祖父の間に祖父が生まれ、祖父と祖母の間に母が生まれ、母と父の間に自分が生まれるというちっぽけな家族の歴史を古びた建造物や樹木が知っているような気がしてしまう。
■草薙神社で樹齢 1,000 年以上を経過した御神木。
撮影日: 07.10.15 11:48:39 AM
RICOH Caplio R2
そんなことを言ったら足もとで踏みつけている土や、さっき蹴飛ばした石ころの方が古びた建造物や樹木よりもっと古いし、この世のすべての物質が生命誕生よりもっともっと古いのだけれど、そんなことを考え出すとそもそも生命って何だ、時間って何だ、世界って何だという恐ろしい観念の世界まで還元されてしまう。
そう考えると、そもそも時間というのは人が世界をこう見たい、こう感じたいという思いを叶えるため勝手に考え出した感傷旅行装置なのかも知れない。
■手水所(ちょうずどころ)に揺れる「日本武徳会」のタオル。
撮影日: 07.10.15 11:50:32 AM
RICOH Caplio R2
一組の男女から曾祖母が生まれ、曾祖母と曾祖父の間に祖父が生まれ、祖父と祖母の間に母が生まれ、母と父の間に自分が生まれ……などという古事記や日本書紀のように物語的な事を考えてしまう寺や神社という場所は、古び続けていることで人を時間の感傷旅行に誘(いざな)い、歴史という得体の知れないものをでっち上げる歴史製造装置になっているのかも知れない。
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