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酔生夢死浪人日記

 日々、思いついたさまざまなことを気ままに綴っていく

象徴天皇制の今をファジーに考えた

2019-05-15 19:00:27 | 社会、政治
 今回は象徴天皇制について記したい。護憲集会の稿(4日)の次の予定が、遠藤ミチロウの訃報などもあり、少しずれた。ハードルが高いのは承知しているから、重いテーマをファジーに綴ることにする。

 三島由紀夫は大衆天皇制に危惧を抱いた。皇室がメディアに露出することで、神秘性が薄れることを恐れたからである。美学としての天皇制を信奉した三島は、昭和天皇に鋭い視線を向けていた。「剣」の主人公、剣道部の国分主将は、部員たちのささやかなルール違反を崩壊と捉え、自ら命を絶つ。三島は「あなたはなぜ責任を取らなかったのか」と昭和天皇に問い掛けたのだ。

 一般参賀(4日)の大盛況(14万人超)は〝皇室〟ブームを裏付けた。<象徴天皇制≒大衆天皇制>として認知された光景を、三島は泉下で苦笑を浮かべて眺めているに違いない。護憲集会では元号や象徴天皇制に疑義を唱えるスローガンは含まれていなかった。

 この30年、皇室と国民を巡る構図が大きく変わった。昭和→平成の頃は右翼が皇室を支えていたが、平成→令和では中道-リベラル-左派が護憲の思いを滲ませた上皇昭仁と上皇妃美智子にシンパシーを抱いている。その結果、内閣の8割が改憲派の根城、日本会議に占められている安倍政権への対抗軸に皇室が選ばれ、<反安倍≒親象徴天皇制>が令和のムードになった。

 クラッシュの「ロンドンは燃えている」にインスパイアされたのか、アナーキーは「東京イズバーニング」で次のように歌っていた。

 ♪アッタマくるぜまったくよ タダ飯喰ってのうのうと いい家住んでのんびりと 何にもしねえでスクスク育つ 何が日本の天皇だ 何にもしねえでふざけんな  何が日本の象徴だ……

 アナーキーはラディカルではなかった。逆に言えば、国民の一部の声を反映していたともいえる。昭和天皇が死んだ時、テレビは退屈な追悼番組を流し続けた。〝日本中が喪に服している〟とはまさしくフェイクニュースで、自粛せず営業した居酒屋やカラオケボックスは記録的な大繁盛で、レンタルビデオ屋ではマニアックなAVまでレンタル中だった。店長のパンク兄ちゃんは「次のXデーはいつですかね」とホクホク顔で話していた。

 象徴という表現は新憲法発布時、耳に馴染まぬ新語だった。学校の先生は子供の質問に、「象徴とは憧れ」と答えていたという。別稿(3月27日)に紹介した「天皇組合」(1950年、火野葦平著)のハイライトは、皇居前の米よこせ集会だった。昭和天皇を糾弾する言葉が飛び交っていたが、「君が代」がさざ波のように広がり、やがて大合唱になる。むろんフィクションだが、火野は70年後を見通していたのか。

 象徴天皇制を定着させるため、皇室は気を配る。昭和天皇は空気になるよう努力した。現上皇夫妻は戦没者、被爆者、沖縄の人々、そして被災者のためにひたすら祈り、<皇族=祈る人>のイメージが定着する、バックアップしたのは朝日新聞で、大元帥(昭和天皇)まで平和主義者に塗り替えてしまった。

 この間、気になっているのは、神道に基づく皇室の国事行為が当然の如く報じられていることだ。憲法に疎い俺に政教分離の本質を理解するのは難しいが、歪みが滲んできているのを感じる。仕事先の夕刊紙コラムで小林節氏(憲法学者)は、<朝見の儀は国民主権から逸脱しており、「国民代表会見」として設定すべきだった>(論旨)と記していた。

 元号に違和感を覚える俺は、反天皇制に分類されるかもしれない。疑義を覚えてきたのは叙勲制度だ。公務員や企業人が天皇に連なることで〝人生双六の上がり〟と感慨を覚えるのは仕方ない。だが、この国の現実を抉った新藤兼人、岡本喜八、大島渚ら映画人まで叙勲していることに絶望を感じる。民衆の側から権力と対峙した「苦海浄土」の著者、石牟礼道子にも〝内示〟があったというから驚きだ。もちろん、彼女は拒否した。

 この30年で<差別から天皇制を照射する>という観点が消えた。朝鮮人差別と差別を構造的に見据え、頂点に位置する天皇制を否定する……。こんな捉え方は死語、いや〝死論〟になってしまったのだろう。

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