酔生夢死浪人日記

 日々、思いついたさまざまなことを気ままに綴っていく

「JR上野駅公園口」~出口の見えない結末の先に

2020-12-24 22:41:33 | 読書

 柳美里(ゆう・みり)、「JR上野駅公園口」で全米図書賞翻訳部門受賞……。この一報にミーハーの俺は早速、紀伊國屋に走った。多和田葉子著「献灯使」に続く快挙だが、繰り返し称賛してきた多和田と対照的に、柳の作品は一冊も読んでいなかった。

 64歳になっても発見の連続で、自身の無知を思い知らされるばかりだが、柳との出会いも僥倖だった。160㌻ほどの文庫版(河出文庫)の後景に広がる世界に圧倒される。高度経済成長から半世紀の日本を背景に、非運に翻弄された男(主人公)の人生を追っている。男は上皇と同じ1933年に生まれで、名字は森。ホームレスの仲間に〝カズさん〟と呼ばれていた。天皇と同じ60年2月23日に生まれた息子に、浩宮から一字取って浩一と名付けた。

 前稿で紹介した大林宣彦を含め、リベラル、左派にカテゴライズされていた多くの文化人が受勲、受章によって天皇制に連なっていく。呪縛から逃れ、ホームレスと対置することで天皇制を相対的に捉えることが出来たのは、柳が韓国籍であることも大きいだろう。男は人生最後の舞台(山手線ホーム)に立つ前、〝山狩り〟を逃れ、上野駅公園口で天皇(現上皇)夫妻の車列に出くわした。戦後間もなく故郷相馬に行幸した昭和天皇を熱狂的に迎えた光景と重なっている。

 山狩りとは皇族が上野を訪れるたび、ホームレスたちが強制される一時撤去のことだ。柳は本作の構想を練る間、上野公園のホームレスを取材している。〝誰も自分を必要としていない〟という絶対的孤独、喪失の痛みだけでなく、わずかばかりの生活費を稼ぐ方法が、ギャラを含め詳述されている。柳はホームレスの多くが東北出身であることを知った。

 天皇、健全な市民、そして不可視の存在であるホームレス……。大雑把に三つの層に分けてみたが、本作にはホームレスが見えない、いや見ようとしない市民の、ホームレスの生活感とは懸け離れた軽薄な会話が挿入されている。俺は新宿中央公園の花見の場面を思い出した。空騒ぎの酒宴から距離を置いた〝住民〟たるホームレスは木々に隠れるように横たわっている。公園を2、3周したが、〝健全〟と〝不可視〟の垣根が払われることはなかった。

 「JR上野駅公園口」は複層的、かつ実験的に綴られ、起承転結といった〝常識〟を超越している。死が濃密に匂う冒頭とラストは繋がっており、電車が近づく音とともに作品中、数回挿入されている。時空を自由に行き来し、天皇の言葉や皇室、原発事故関連のニュースが男の来し方と重なり、史実と創作が交錯するメタフィクション(オートフィクション)の手法が用いられている。

 シーンを紡いでいるのは雨で、男の記憶は雨で湿っている。雨粒は地面で弧を描きながら、重ならないうちに溶けていく。雨は人の孤独や哀しさのメタファーなのだろう。息子の浩一が21歳で急死したことで、男の心に亀裂が生じる。出稼ぎしないと生活が成り立たず、男は自宅を留守にする時間が長かった。そんな一家にとって、レントゲン技師の国家試験に合格した浩一は希望の星だった。

 柳の取材の成果は、浩一の葬儀の場面にも生かされている。映画でいえばカメラを固定し、時系に則って物語を追う。相馬の真実も抉られていた。相馬に住み着いていた人たちは「相馬様」、200年ほど前に富山県からやってきた移住者は「加賀者」と称され、両者は明らかに分断されている。男の一族は加賀者で浄土真宗の信者だ。柳は真宗の死生観と儀式を丹念に描いている。

 苦しみを共有してきた妻の死で、故郷に留まる理由がなくなった男は上野でホームレスになる。仲間のシゲさんは不合理な山狩りに抗議し、天皇への直訴状をしたためる。手渡すのはコヤに居着いた猫のエミールというから本気ではない。目取真俊著「平和通りと名付けられた街を歩いて」では沖縄を訪れた皇太子夫妻(現上皇夫妻)が乗る車のフロントガラスに、老婆が自身の糞を塗りたくった。痛快な不敬小説は沖縄文学賞を受賞した。シゲさん、そして男も、沖縄の人々と怒りを一部共有しているはずだが、天皇夫妻の車列におとなしく手を振った。

 ラスト近くで男の意識は空を舞い、東日本大震災直後の津波にのまれる孫娘を見た。この世に繋がる縁が完全に断たれていることを知った男は、他に選択肢がない結末へと踏み出す。本作は上野駅ホームで男の脳裏を駆け巡った回想であったことに気付いた。

 俺が手にしたのはサイン本で、表紙に<時は過ぎない 2020年冬 柳美里>と記してある。104㌻(文庫版)に本作の肝というべき記述がある。以下に記したい。

 あの日――、時が過ぎた、時は終わった。なのに、あの時が、ばらまかれた画鋲のようにそこかしこに散らばっている。あの時の悲しみの視線から目を逸らすことができずに、ただ苦しむ――。
 時は、過ぎない。
 時は、終わらない。

 時が循環し、出口の見えない結末を書き換える方法はあるのだろうか。格差と貧困を是正すること、想像力をもって他者と接すること、怒りを正しく表現すること……。口で言うのはたやすいが、コロナ禍の現在、出口はさらに狭まっている。
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