大杉漣さんが亡くなった。出会ったのは一般映画初出演の「ガキ帝国」(81年、井筒和幸監督)である。その件について、俺の記憶は二転三転した。車掌役は紳助・竜介と友人である明石家さんまが、クレジット抜きで友情出演したと確信していた。
大杉さんとさんまは雰囲気が似ていると感じていた。10年ほど前、大杉さんが「ガキ帝国」に出演していたと知り、あの車掌は大杉さんだと納得したのだが、本稿を書くためチェックすると、大杉さんには別の役柄を振られている。ということは、車掌はやはりさんまだったのか。自分の記憶の曖昧さに愕然とする。
大杉さんは「相棒」で衣笠副総監を演じ、甲斐官房長付(石坂浩二)と暗闘を繰り返していた。今後の展開を楽しみにしていただけに残念だ。齢を重ねるごとに存在感を増したバイプレーヤーの急逝を心から悼みたい。
物忘れは認知症やアルツハイマーの初期段階で、睡眠障害や解離性障害とも繋がっている。俺もかなりヤバい状態だが、記憶に関わる韓国映画をシネマート新宿で見た。「殺人者の記憶法」(17年、ウォン・シニョン監督)の特別版「殺人者の記憶法:新しい記憶」である。原作(キム・ヨンハ著)も韓国でベストセラーという。
17年前まで連続殺人を犯し続けた獣医のキム・ビョンスは現在、一人娘ウンヒ(キム・ソリョン)と暮らしている。交通事故の後遺症で認知症とアルツハイマーを発症したビョンスにとって、記憶をとどめるツールは、パソコンに書き込む日記と自身の声を録音したスマホである。記憶の消失は近い時期から10代の頃まで溯り、ビョンスの脳裏で再構成されていく。
ビョンスは演じるのが極めて難しいキャラだが、そこは役作りに定評ある名優ソル・ギョング、微妙な目の動きや顔のひきつりで、怒り、恐怖、憎悪、不安を表現する。その面差しはどこか鳥越俊太郎氏に似ていた。
ビョンスはサイコパスの典型で、罪悪感のなさと良心の欠如は、モノローグが示している。犯した数々の殺人を〝これは掃除で、死んで当然の人間を片付けただけ〟と振り返るビョンスは、自分と同じオーラを放つ男と遭遇する。若き警察官のミン・デジュ(キム・ナムギル)だ。
ビョンスは最近の連続殺人がデジュによるものと直感し、友人の警察署長に伝えた。先回りして証拠に細工したデジュは、迷宮入りした連続殺人事件の犯人がビョンスだと確信する。両者は父親の暴力によって〝資質〟を開花させた。
イケメンで冷酷なデジュは「殺人の告白」(12年)のイ・ドゥスク(パク・シフ)と重なる。同作は17年前の連続殺人を告白するという設定だったが、「17年」とは韓国では時効なのだろう。「殺人者――」では「殺人の追憶」(03年)が台詞で言及されていた。実話をベースにした作品を含め、韓国映画には多くの悪魔が登場する。悪魔は時に、独裁政権、腐敗した司法や警察のメタファーなのだ。
「メメント」や「エターナル・サンシャイン」にも共通するが、記憶を扱った映画は時系列が錯綜し、幻想と現実が混濁する。デジュの娘への接近で、二人のサイコパスによる死闘の幕が上がる。ビョンスの主観で進行するため肩入れしたくなるが、その主観とやらが怪しくなり、譫妄なのかパラレルワールドなのか、判然としなくなる。見る者は闇の迷路を彷徨うだけだ。
トンネルの先に真実があることを暗示しているのかもしれないが、ビョンスが雪道で立ち尽くす冒頭とラストは謎のままだ。殺人鬼にはそぐわないが、雪道、そして左右逆に履くスニーカーと、白がビョンスのイメージカラーになっていた。
大杉漣さんは韓国映画にも縁があり、「純楽譜」(00年、イ・ジェヨン監督)、「隻眼の虎」(15年、パク・フンジョン監督)に出演している。追悼企画でオンエアされば見てみたい。
大杉さんとさんまは雰囲気が似ていると感じていた。10年ほど前、大杉さんが「ガキ帝国」に出演していたと知り、あの車掌は大杉さんだと納得したのだが、本稿を書くためチェックすると、大杉さんには別の役柄を振られている。ということは、車掌はやはりさんまだったのか。自分の記憶の曖昧さに愕然とする。
大杉さんは「相棒」で衣笠副総監を演じ、甲斐官房長付(石坂浩二)と暗闘を繰り返していた。今後の展開を楽しみにしていただけに残念だ。齢を重ねるごとに存在感を増したバイプレーヤーの急逝を心から悼みたい。
物忘れは認知症やアルツハイマーの初期段階で、睡眠障害や解離性障害とも繋がっている。俺もかなりヤバい状態だが、記憶に関わる韓国映画をシネマート新宿で見た。「殺人者の記憶法」(17年、ウォン・シニョン監督)の特別版「殺人者の記憶法:新しい記憶」である。原作(キム・ヨンハ著)も韓国でベストセラーという。
17年前まで連続殺人を犯し続けた獣医のキム・ビョンスは現在、一人娘ウンヒ(キム・ソリョン)と暮らしている。交通事故の後遺症で認知症とアルツハイマーを発症したビョンスにとって、記憶をとどめるツールは、パソコンに書き込む日記と自身の声を録音したスマホである。記憶の消失は近い時期から10代の頃まで溯り、ビョンスの脳裏で再構成されていく。
ビョンスは演じるのが極めて難しいキャラだが、そこは役作りに定評ある名優ソル・ギョング、微妙な目の動きや顔のひきつりで、怒り、恐怖、憎悪、不安を表現する。その面差しはどこか鳥越俊太郎氏に似ていた。
ビョンスはサイコパスの典型で、罪悪感のなさと良心の欠如は、モノローグが示している。犯した数々の殺人を〝これは掃除で、死んで当然の人間を片付けただけ〟と振り返るビョンスは、自分と同じオーラを放つ男と遭遇する。若き警察官のミン・デジュ(キム・ナムギル)だ。
ビョンスは最近の連続殺人がデジュによるものと直感し、友人の警察署長に伝えた。先回りして証拠に細工したデジュは、迷宮入りした連続殺人事件の犯人がビョンスだと確信する。両者は父親の暴力によって〝資質〟を開花させた。
イケメンで冷酷なデジュは「殺人の告白」(12年)のイ・ドゥスク(パク・シフ)と重なる。同作は17年前の連続殺人を告白するという設定だったが、「17年」とは韓国では時効なのだろう。「殺人者――」では「殺人の追憶」(03年)が台詞で言及されていた。実話をベースにした作品を含め、韓国映画には多くの悪魔が登場する。悪魔は時に、独裁政権、腐敗した司法や警察のメタファーなのだ。
「メメント」や「エターナル・サンシャイン」にも共通するが、記憶を扱った映画は時系列が錯綜し、幻想と現実が混濁する。デジュの娘への接近で、二人のサイコパスによる死闘の幕が上がる。ビョンスの主観で進行するため肩入れしたくなるが、その主観とやらが怪しくなり、譫妄なのかパラレルワールドなのか、判然としなくなる。見る者は闇の迷路を彷徨うだけだ。
トンネルの先に真実があることを暗示しているのかもしれないが、ビョンスが雪道で立ち尽くす冒頭とラストは謎のままだ。殺人鬼にはそぐわないが、雪道、そして左右逆に履くスニーカーと、白がビョンスのイメージカラーになっていた。
大杉漣さんは韓国映画にも縁があり、「純楽譜」(00年、イ・ジェヨン監督)、「隻眼の虎」(15年、パク・フンジョン監督)に出演している。追悼企画でオンエアされば見てみたい。
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