酔生夢死浪人日記

 日々、思いついたさまざまなことを気ままに綴っていく

想像力の糸で、ウクライナとフクシマが繋がった

2022-03-15 21:49:26 | 社会、政治
 東日本大震災と原発事故から11年、3月11日に行われた<ロシアのウクライナ侵略糾弾!即時撤退!を求める新宿大アクション>(新宿中央公園、戦争させない・9条壊すな!総がかり行動実行委員会)に参加した。会場で知った顔を探していると、武器取引反対ネットワーク(NAJAT)代表の杉原浩司さんに肩を叩かれた。

 1200人が行進したデモのさなか、前日(10日)にNAJATが呼び掛け、ロシア大使館前で行われたダイ・インについて杉原さんに尋ねた。無事に終了したと聞き安堵する。ロシアのウクライナ侵攻の陰でミャンマーについて報道される機会が減ったが、NAJATは同国国軍の資金源を断とうとしない日本政府への抗議活動を続けている。

 プーチンが侵攻を決行した理由はわからないが、考えるヒントを近くの中華料理店で見つけた。若者2人が近くのテーブルで食事をしていた。片方の青年――仮にAとしよう――は、ウクライナ情勢を伝えるテレビを見ながら、連れのBと次のような会話をしていた。

A「みんなプーチンをボロクソ言うけど、そんな資格あるのかな」
B「どういう意味?」
A「プーチンもどき、周りにいっぱいいる」
B「確かに、自分に従わせようとするやつは多い」
A「ロシア軍が反抗すれば変わるのに。でも無理だろう」

 ニコライ2世に背き、兵士が労働者の側についたことがロシア革命の発端だった。ロシア国内でも反戦デモが起きているが、軍が良心に基づいて国民に味方するとは思えない。

 俺は政治の場で語られる紋切り型の言葉に忌避感を覚える。だが、不毛なフレーズに花実を咲かせるのが想像力だ。その意味に初めて気付いたのは発売禁止になった白竜の「光州CITY」に収録された一曲だ。東京で街を歩く若者に<君は笑いながら、誰を殺しているのか>と、光州の弾圧と無意味ではないことを訴えた曲だった。

 「チェルノブイリの祈り」でノーベル文学賞を授与されたベトラーナ・アレクシエービッチは、父がベラルーシ人で母がウクライナ人だ。パレスチナ弾圧を世界に発信するアミラ・ハス記者もアレクシエービッチ同様、来日した際、沖縄、フクシマ、広島を訪ねている。両者の共通点は想像力で飛翔し、俯瞰の目で世界を眺めていることだ。

 沖縄、フクシマ、広島、そしてガザ、イエメンは同一の視座で繋がっている。そして、ウクライナも……。3・11から11年、フクシマとウクライナを結ぶ糸が見つかった。それが核であり原発であることは、動向を注視している方はご承知だろう。フランスは原発増設を表明したが、日本のような地震国は言うまでもなく、原発が紛争の際、〝人質〟になることが明らかになった。ドイツが国防費をGDPの2%以上に引き上げたように、軍需産業は勢いづいている。

 上記したA、B両君の会話ではないが、ウクライナに思いを馳せる時、軸足はこの国に置くべきだ。自分たちは周囲の不合理、不条理、不平等を看過していないだろうか。忖度し、同調圧力に負けて見逃しているのなら、世界を語ることは出来ない。偉そうなことを言っても俺自身、コロナ禍のさなか、押し黙っていた。今回のデモは久しぶりの意思表示だった。

 この国で何が起きているのかさえ、俺は理解していない。だから、韓国大統領選の結果も他人事のように思える。若者の熱狂によって5年前、大統領選で勝利した文氏だが、後継者候補が次々に失脚し、保守派が勝利した。ニュース映像を見る限り、そこそこ盛り上がっていたように思えたが、日本と同じ病根を抱えているようだ。

 両国とも出生率は極めて低く、格差はますます広がっている。見かけは韓国の若者の方が元気だが、真情は近いはずだ。日本では嫌韓、韓国では反日が広がっているが、ともに民主主義への道は遠いのではないか。
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