酔生夢死浪人日記

 日々、思いついたさまざまなことを気ままに綴っていく

「ブラッド・スウェット&ティアーズに何が起こったのか?」~政治の陥穽に落ちたバンド

2024-10-07 22:05:36 | 映画、ドラマ
 竜王戦第1局は先手の藤井聡太竜王(七冠)が佐々木勇気八段を下し、好スタートを切った。41手目まで前例のある将棋だったが、タイトル戦初挑戦の佐々木は不利な形勢から、逆転に向け勝負手を繰り出す。佐々木の意図を見破った藤井の115手目が衝撃の一手で、2手後に決着した。〝自然児〟佐々木は。時間の使い方も学んだはずで、2局目以降の熱戦を期待したい。

 中学生の頃、「ミュージック・ライフ」を購入するようになり、1969年にカウンターカルチャーの象徴というべきウッドストックが開催されたことを知る。翌年公開された映画版が俺にとって〝ロック事始め〟になった。ジャズやクラシックとロックとの融合を目指すバンドが注目を浴びたが、シカゴやチェイスとともにブラスロックの旗手だったのがブラッド・スウェット&ティアーズ(以下、BST)だった。

 BSTの来日公演(1971年、日本武道館)はNHKの録画放送で見た。その後も次々にバンドが来日したが、端緒となったBSTが果たした役割は大きく、ファンではなかった俺も、〝世界は凄いな〟と感銘を覚えた記憶がある。そのBSTだが当時、坂道を転がり落ちていたことを、映画「ブラッド・スウェット&ティアーズに何が起こったのか?」(2023年、ジョン・シャインフェルド監督)で知った。シネマート新宿のスクリーン2はキャパ52と小さいが、口コミで評判が広まったのか満席だった。バンドの歴史だけではなく、冷戦時代のシリアスな状況を後景に据えた秀逸なドキュメンタリーだった。

 BST結成時のリーダーは鬼才アル・クーパーで、1stアルバム「子供は人類の父である」は高評価を受けた。演奏に比べてクーパーの声が弱いと考えたメンバーは、ボーカリストの加入を提案する。受け入れずにバンドを去ったクーパーに代わって、デヴィッド・クレイトン・トーマスが加入する。2nd「血と汗と涙」は爆発的な売り上げを記録し、トップバンドに上り詰めたBSTに、暗雲が立ち込めた。

 カナダ人のトーマスはバンドへの貢献度大だったが、10代の頃は少年院に入るなど素行不良で、グリーンカードを取り消されそうになる。マネジャーのゴールドブラットは国務省と交渉して処分は撤回されるが、交換条件を突き付けられる。ニクソン政権下での文化交流の一環として、ユーゴスラビア、ルーマニア、ポーランドの東欧3国でツアーを行うことだった。ニクソンがルーマニアの独裁者チャウシェスクと密接な関係にあったことは本作で示されている。

 訪れた3カ国で、バンドは社会主義政権下の逼塞感を知ることになるが、反応は素晴らしく、自由への渇望を実感する。とりわけ官憲の弾圧が徹底的だったのはルーマニアで、熱狂し「USAコール」まで上げる観衆に暴力で対峙する。没収されそうになり、辛うじて持ち帰ったフィルムも国務省の管理下になったが、一部が偶然発見されて本作に繋がった。

 BSTは帰国後、<国務省ツアーに参加して社会主義を容認した>とニクソン政権に批判的なリベラル・左派メディアの袋叩きに遭う。ゴールドブラットは東欧ツアーの前にも失策を犯していた。体制派、保守派の牙城、ラスベガスでの公演を受けていたのである。ロックは反体制、カウンターカルチャーの表現でなければならないという〝原則〟に反したと見做されたBSTはファンから見放され、尻すぼみ状態になる。政治の陥穽に落ちたのだ。

 ロックは時に、世界を変えるきっかけになる。デビッド・ボウイは1987年に西ベルリンで野外コンサートを開催し、壁の向こうに4本のスピーカーを設置した。数千人の東ドイツ市民が集まり、「壁を壊せ」と声を上げ、2年後に現実になる。残念なのは日本の現実で、メッセージを発信したロッカーに<政治的な発言はするな>といった批判が殺到する。形式だけのロックバンドが幅を利かせているようだ。
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