酔生夢死浪人日記

 日々、思いついたさまざまなことを気ままに綴っていく

バンドの持つ意味~ベンジーとジプシーズ

2006-10-06 13:48:44 | 音楽
 タワレコで浅井健一(ベンジー)のソロ“Johnny Hell”とロックンロールジプシーズの“Ⅱ”を購入した。思い入れが強い中年ロッカーたちの作品である。

 “Johnny Hell”はJUDEの“Zhivago”やシャーベッツの“Natural”の延長線上で、鋭くて繊細、重く沈んだ音が心地よい。照井利幸と椎名林檎の参加も話題になったが、ベンジーはなぜ、ソロの形を選んだのだろう。今のベンジーは、ブランキー・ジェット・シティ時代の暴力性やザラザラ感を削ぎ落としている。JUDEやシャーベッツはベンジーにとって濾紙だったかもしれないが、ライブバンドとして成熟しつつあったJUDEの活動停止は残念でならない。

 ロックンロールジプシーズは、花田裕之、池畑潤二、下山淳の旧ルースターズのユニットだ。今や伝説になったルースターズだが、辛酸を舐め続け不遇のうちに消えたバンドだった。フジロック04でオリジナルメンバーが結集し、「解散ギグ」を行ったのは記憶に新しい。大江慎也脱退後の後期ルースターズを最強ライブバンドに押し上げたのは、下山の功績である。その下山をフジのステージで5人目に加えなかったことに、俺は今も納得していない。

 アルバム「Ⅱ」だが、さすが俺と同世代、野心などサラサラなく、花田の武骨さとあけすけさを前面に、音楽を楽しんでいる感じが窺える。今のバンドが、彷徨い続けたロックジプシーたちの終の棲家かもしれない。大江や柴山俊之が曲作りに参加しているのも<情>や<絆>を感じさせるし、付録のライブDVDも感慨深かった。池畑の豪椀は二十数年前と変わらないが、花田の後退気味の髪、毒々しさが消えた下山に、年月の流れをしみじみ感じた。来月下旬のライブでは、メンバーだけでなくオールドファンとの再会も楽しみにしている。

 四十すぎのベンジーは<閉じられたイメージの世界>に純化し、五十前の花田たちは<緩やかな連帯>を求めているのだろう。<刹那>より<継続>が課題になる中年ロッカーたちが、何を志向し、いかに生き延びていくのか、同じく晩年を生きる者として見守っていきたい。

 14日にフジ721で「ブラックリスト」が放映される。大江+池畑+渡辺圭一の<ルースターズ+JUDE>のユニットが、ベンジー、バースデー(チバの新バンド)と共演する。録画を忘れないようにしよう。

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