酔生夢死浪人日記

 日々、思いついたさまざまなことを気ままに綴っていく

「ベルリン、僕らの革命」

2006-10-03 00:36:49 | 映画、ドラマ
 WOWOWで録画しておいた「ベルリン、僕らの革命」(04年)を見た。ダニエル・ブリュール主演ゆえ、別稿(昨年4月26日)に記した「グッバイ・レーニン!」(03年)の続編というイメージを抱いていたが、質の高さで一歩も譲らない作品だった。

 知的なヤン、行動的なピーター、その恋人ユールの3人は、反グローバリズムを掲げるグループに属している。閉塞感が漂う<昼の革命>に比べ、<夜の革命>は異彩を放っていた。ヤンとピーターの<エデュケーターズ>は豪邸に忍び込み、誰も傷つけず何も盗まず、大胆な模様替えを楽しんでいた。血と暴力が付きものの<革命>とは遠く、ユーモアと創意に満ちた<マニフェスト>に近い活動といえるだろう。

 偶然が重なり、ブルジュワのハーデンベルグが3人と行動を共にすることになる。鉄面皮に思えたハーデンベルグの過去が明らかになるにつれ、ヤンたちと世代を超えた連帯感が芽生えてきた。<青春>とは、<愛>とは、<革命>とは……。大自然の中、ストーリーはテンポをスローに落としつつ、瑞々しく鋭い問いを発していく。

 感想は世代によって異なるはずだ。<人は老いるにつれ汚れていく>と考える若者は結末を受け入れるだろうし、ハーデンベルグと年齢が近い人はやるせなさを覚えるかもしれない。五十の大台が迫った俺にしても、<再チャレンジ>ではないけれど、人生に<回天>が訪れることを願っているからだ。

 音楽と映像のコラボで心に残るのは、ジェフ・バックリーの「ハレルヤ」が流れる中、ストーリーが終息に向かう部分だ。癒しと再生を伝えるシーンが夭折したバックリーの生き様と重なり、極上のセンチメンタリズムに浸れる十数分間だった。エンドタイトルでは、蹉跌を乗り越えたヤンたちの<革命>の継続が象徴的に示されている。恋愛映画の煌きと奥深い社会性を併せ持ち、現代版「突然炎のごとく」の賛辞に相応しい傑作だった。

 ドイツ絡みで、別稿(8月26、29日)に記したギュンター・グラス騒動その後を紹介したい。欧米ではグラスの勇気を讃える声が起こり、ワレサ氏も矛を収めた。真摯で悔恨に満ちた作品のトーンが、読者に感銘を与えたに相違ない。本作でハーデンベルグが<僕らの革命>に加われたかは秘すが、老境のグラスはあえて<革命>を試みた。敵は皮肉なことに、過去の自分自身だったのだが……。

 最後に、ディープインパクトの敗戦について。前稿で<逆もまた真なり>と書いた通りの結果に終わってしまった。楽観論が渦巻く中、「競馬予想TV!」でお馴染みの水上さんと亀谷さんが厳しい見解を示していたのはさすがである。<トニービンは白人的な耐久性、サンデーサイレンス(ディープの父)は黒人的なスピード>……。この分析は亀谷さんが先週の番組で紹介した吉田照哉氏(社台代表)の分析である。80年代以降、凱旋門賞の冠を引っ提げ輸入された種牡馬で、唯一成功したのはトニービンだった。

 日本と欧州では、求められるサラブレッドの資質が違うのだ。FⅠマシンが耐久レースに出場することはありえない。ディープは競馬界に<革命>を起こせなかったが、陣営の志の高さに敬意を表したい。

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