酔生夢死浪人日記

 日々、思いついたさまざまなことを気ままに綴っていく

ハン・ガン著「別れを告げない」~歴史の闇に迫る再生への道標

2024-07-22 20:01:27 | 読書
 読書と映画を生活のベースに据えている。猛暑で映画館に足を運ぶのも億劫なので、前稿に続き今回も小説の感想を記したい。最近は未読の作家を読むよう心掛けているが、「別れを告げない」(ハン・ガン著、斎藤真理子訳/白水社)を読了した。ハン・ガンは「菜食主義者」(2016年)でブッカー国際賞を受賞しており、本作ではメディシス賞を受賞するなど、アジアで最も注目を浴びる作家のひとりだ。

 本作の語り手であるキョンハはまさに作者そのもので、前半でキョンハが家族を失い、悪夢にうなされる様子が描かれる。遺書を用意するなど、タナトスに取り憑かれているのだ。訳者あとがきで、<書きながら、死から生へ、闇から光へと自分自身が向かっていることを発見した。光がなければ光を作り出してでも進んでいくのが、書くという行為だと思う>という作者のインタビュー記事が紹介されていた。本作はハン・ガンにとって再生への道標でもあったのか。

 親友である映像作家インソンと彼女の母が登場する中盤以降も、キョンハは幻想と現実の境界でもがき苦しむ。行間に滲んでいるのは血塗られた魂だ。キョンハは光州事件をテーマにした小説を書いているが、行方不明者を含め500人以上が犠牲になった。インソンの母は<四・三事件>の体験者だ。1948年4月3日、李承晩政権下での南側単独選挙に反対する済州島島民が武装蜂起する。共産主義に傾倒する者も多かったが、米軍司令部の後ろ盾を得た警察、右翼団体、旧日本軍協力者などによる無差別の虐殺は朝鮮戦争勃発後も続き、7万人もの島民が虐殺されたというデータもある。

 インソンから連絡が入って病院に駆け付けたキョンハは、切断した指を繋ぎ留める様子にショックを受けた。鳥の命を救うため、済州島の家を訪ねてほしいと頼まれ、ソウルを発つ。凍りついた道を行く当てなく歩くキョンハはカフカの小説の登場人物のようだった。インソン、そして彼女が語る母の言葉がキョンハの脳裏で交錯し、哀切と慟哭が歴史の闇を照射する。

 インソンの指、そして彼女の母が封印した虐殺の記憶……。二つの傷の痛みがシンクロし、物語は進んでいく。ようやくインソン宅に辿り着いたキョンハだが、夢と現実の狭間で惑い続ける。入院しているはずのインソンや死んだ2羽の小鳥が甦ってキョンハと交流し、<四・三事件>で引き裂かれたインソンの母親の記憶が紡がれていく。鳥は〝弱きもの〟の象徴として、ハン・ガンの作品に頻繁に現れるという。

 迷宮を彷徨うように読み終え、しばし茫然として作者あとがきに進む。ハン・ガンは<この本が、究極の愛についての小説であることを願う>と結んでいた。訳者あとがきによると、作者は「別れを告げない」の意味を<哀悼を終わらせないことであり、愛も哀悼も終わらせないという決意に基づいている>と語っているという。

 <四・三事件>を在日コリアンの視点で描いた「スープとイデオロギー」(2022年、ヤン・ヨンヒ監督)をWOWOWで見た。キョンハの母同様、ヤン監督の母も認知症を患っていた。両者に共通するのは、埋もれた歴史の闇の証言者であることだ。監督の母は鶴橋に暮らしていたが、大阪大空襲の後、郷里の済州島に移住するが、<四・三事件>を経て再び日本に帰ってくる。両親とも韓国政府への不信感は強く、朝鮮総連系の活動家になった。

 現在のジェノサイドといえば、イスラエルによるガザ侵攻だ。俺など遠目からあれこれ論じているが、政治に蹂躙された人たちとは言葉の重みが違う。言葉そのものをなくしてしまうことさえあるのだ。「別れを告げない」はそのことを教えられた作品だった。
コメント (1)
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