酔生夢死浪人日記

 日々、思いついたさまざまなことを気ままに綴っていく

「ナンバー9ドリーム」~シュールでポップな〝ハルキワールド〟

2010-07-24 06:17:01 | 読書
 「名探偵モンク」が完結した。事実の断片を一瞬にして組み立て全体像を提示するモンクは、アナログ的な〝ジグソーパズルの達人〟だった。「トゥルーディの真実」(前後編)で、愛妻爆死事件の真相が解き明かされる。モンク自身も毒物によって死の淵を彷徨うなど、ドラマチックな内容だった。

 少年時代の孤独と喪失は、モンクの精神形成に大きな影を落とす。疎外と絶望に苛まれ、滑稽で不完全に見えるモンクを、トゥルーディはなぜ愛したのか……。全編を通じての謎もまた、最後に明らかになる。

 <モンクは欠落した人間と思っていたが、誤解だった。あいつは誰より物が見え、多くを感じていた。人間的過ぎて、それが仇になっていたんだ>……。最大の理解者であるストットルマイヤー警部のモンク評に頷いたファンも多いだろう。「名探偵モンク」はミステリーを超え、愛と再生を謳い上げたヒューマンドラマだった。

 W杯が終わり、ようやく読書が進み始めた。先日、「ナンバー9ドリーム」(デイヴィッド・ミッチェル/新潮社)を読了した。2000年前後の東京を舞台に、シュールでポップな世界が展開する。作者は広島で8年間、英語教師を務めたという。東京を切り取るシャープな表現の数々は、観察眼の賜物といえるだろう。

 訳者(高吉一郎)はあとがきで、<村上春樹の影響が濃い作品>と記している。本作は<ハルキ度>によって評価が分かれると思う。俺は「ノルウェイの森」(87年)でグッドバイした<他に読むべき作品はたくさんある>派ゆえ物足りなさを覚えたが、<村上春樹最高>派は本作を絶賛するに違いない。

 主人公の三宅詠爾はジョン・レノンに傾倒する屋久島出身の青年だ。ちなみにタイトルはレノンの曲名にちなんでいる。父の顔は知らず、母に捨てられ、双子の姉安寿は水難事故で死んだ。10代にして孤独と喪失を纏った詠爾だが、モンクと比べるとはるかに器用だ。父に会うため上京した詠爾が高層ビルで展開するゲリラ行為は実に刺激的だが、疾走感は続かない。ハリケーンに襲われた幻想の新宿、奇妙な映画館の夢が交錯し、ファジーの海に踏み込んでいく。

 闇社会での壮絶な抗争も描かれるが、現実とは限らない。本作には明らかにヴァーチャルリアリティーの発想が取り入れられている。羊作家と雌鳥おばさんが登場する奇妙な〝小説内小説〟、人間魚雷で玉砕した大伯父の日記と趣向は凝らされているが、俺の凡庸な脳はメーンストーリーとサブの道具立てを繋ぐ回路を見つけられなかった。

 俺は<起承転結>から逃れられない非デジタル的読み手だ。本作の主題は<絆>と早とちりした俺にとって、詠爾と父母との再会は拍子抜けだったし、天才ハッカーの知恵を借りた詠爾の試みは劇的<結>とはならなかった。カタストロフィー、大団円、寂寥、昇華、カタルシスといった俺好みの結末と異なり、本作は堂々巡りの孤独と喪失に行き着いた。

 <形式は内容に先行する>は20世紀初頭、表現主義者が提示したテーゼで、世界はまさにその通り変容した。本作が10年後に書かれていたら、内容はかなり変わっていたと思う。後半は詠爾と今城愛とのラブストーリーが軸になるが、会話の多くは普通の電話(公衆電話を含む)だった。携帯電話やメールで言葉を交わしていたら、二人の関係はどうなっていたのだろう。

 9年前に発表された本作でさえ、どこか古臭く感じてしまう。<普遍>と<不変>も10年足らずで変化してしまうのだろうか。


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