酔生夢死浪人日記

 日々、思いついたさまざまなことを気ままに綴っていく

寺山修司というシュールな迷宮

2013-10-02 21:39:34 | カルチャー
 <虚>と<実>の境はどこにあるのだろう。安倍首相が消費税アップの会見で示した<実>は、俺の耳に虚しく響いた。年収300万円台の世帯は増税により、年に50万円前後の支出増を強いられると予測する調査機関もある。獣性剥き出しのリストラや雇い止めの横行は、解雇自由のブラック特区の地均しだ。格差の拡大で社会に怨嗟が渦巻けば、<21世紀の血盟団>が結成されても不思議はない。

 先週末、寺山修司展「ノック」(ワタリウム美術館)に足を運んだ。青森時代から天井桟敷まで、寺山の足跡が5部構成で展示されていた。壁には寺山の刺激的な言葉が記され、モニターには実験映画が流れている。小ぢんまりしたスペースに私信、写真、ポスターがちりばめられ、寺山の濃密な匂いが立ちこめていた。ハイライトは約30分の戯曲のリーディング(土日午後6時開演)で、妖しい寺山ワールドに引き込まれた。

 別稿に記したが、俺は先月、「遊ぶシュルレアリスム」(東郷青児美術館)を訪れた。その場で吸収した〝シュルレアリスムの粒子〟が、脳内を飛来し始める。寺山は<虚>と<実>の狭間に遊ぶシュルレアリストだったのか……。仕事先で寺山関連の著作もあるYさん(演劇批評家)に直感を話すと、肯定的な言葉が返ってきた。当人は意識していなかっただろうが、寺山は南米の巨人たちとマジックリアリズムの手法を共有していた。

 タイトルの「ノック」は1975年、阿佐谷で開演された市街劇のタイトルだ。俳優たちが住民宅の扉をノックし、「あなたの平穏無事とは何」と問い掛けるという趣向だ。<実>の生活に飛び込んできた<虚>に戸惑ったのか、多くの人々が警察に通報したという。想像力の翼で飛翔し、虚実の壁を突破する……。これこそあらゆるジャンルで寺山が実践した方法論かもしれない。

 寺山ワールドには無数の入り口があるが、いったん門をくぐると出口が見つからない。そこは<虚>と<実>がないまぜの巨大な迷宮だが、居心地は良く、迷ったままも悪くない。寺山は手が届かない遠い存在だけど、誰しもが親近感を覚える部分がある。俺が寺山と共有しているのは最も好きな小説だ。マッカラーズの「心は孤独な狩人」である。

 肝というべき芝居は門外漢だが、短歌、評論、映画には親しんだ。とりわけ短歌は衝撃的で、幾つのもの句を繰り返して口ずさみ、陶然とした記憶がある。寺山が10代の頃に詠んだ歌を、大家は理解出来なかったという。季節感が希薄で、従来の短歌の枠組みを逸脱していたからだ。歌に詠まれた父と母のイメージと孤独に彩られた心象世界が、その後の表現活動の原型になっているのではないか。

 展示では女性の姿が目立っていた。俺は当ブログで<寺山好きの女性は信じない>と記したが、そんなことを話せば、袋叩きに遭っただろう。寺山好きの3人の友人がそれぞれ、自称寺山ファンの女性に手ひどくフラれた。俺はそのうちのひとりを、以下のように慰めた。いわく「おまえは寺山を血肉化してるけど、あの子にとっちゃ寺山は、夜のうちに消化して排泄する糞みたいなもんなんだ」……。

 同行した知人にとって入り口は競馬評論で、「ノック」で展示物がなかったことに不満げだった。寺山と競馬は恐ろしいほどマッチしていた。幻想とフィクションのプリズムを重ねた寺山の目に、結果を超越した異次元の光景が映っている。グリーンチャンネルの「寺山修司没後30年記念特番」で歌人の梅内美華子さんが興味深い指摘をしていた。寺山は歌と決別した後、競馬評論を始めた。抒情を込める対象だったからこそ、寺山は競馬を文化の域に高めることができたのだ。

 結果として競馬は市民権を獲得したが、寺山自身は市民権と程遠い存在だった。俺が寺山に重ねるのは、映画監督、詩人、小説家として活躍したパゾリーニだ。ともに、<実>の裏側に潜む<虚>の輝きを抉り出した。世に出てから30年、疾走し続けた寺山は47歳で斃れた。迷宮の出口の鍵は失われたままである。
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