大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

日ごろ撮影した写真に詩、短歌、俳句とともに短いコメント(短文)を添えてお送りする「大和だより」の小筥集です。

大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

2015年12月21日 | 写詩・写歌・写俳

<1453> お で ん

             熱々のおでんに涙ぐましさの冬 壮年の日の心意気

 おでんが食べたいと妻に言ったら、作りたくないという答えが返って来た。理由はやはり塩分の摂り過ぎになるからという。「たまにはよいのでは」と言ったら、突然言われてもタネがないと断られた。それもそうなので、「今日でなくても」と言ったが、何も言わなかった。で、駄目かと思って諦めていたのだが、夕食はおでんだった。出かけた風はなかったのに、いろいろとおでんのネタが入った土鍋が食卓にどんと置いてあった。

                                                    

 ダイコン、コンニャク、ゴボウ天、モチ入りの油揚げの巾着、タマゴ、サトイモの親芋等々。親芋はカレーライスの残りだったが、これがなかなかよく、一つの発見となった。日ごろ、妻作る人、私食べる人で、いつも妻の小言を聞きながら、まあ、こんなものと思うところなきにしもあらずで、日ごろはこういう風で通している。というような経緯にもよるところ、今日は素直に感謝の念。実に美味く頂いた。いつもが不味いというわけではないが、食べたいものが食べられる喜びは何にも勝る気分ではある。

 一昔前、「亭主元気で留守がいい」というCMのキャッチフレーズが流行語になったことがあったが、我が家ではこのところ私が家にいるようになり、妻がよく出かける。で、「女房元気で今日も留守」という具合で、どうも亭主の我が方に分が悪いような気分である。

 朝から出かけるときは、妻作る人で、昼食までに帰らないときは、その日の段取りをし、うどんならうどんの材料を用意して出かける。ときには「残りものを食べといて」となることもある。で、こういう日の昼食は自己流で済ませることが多い。カロリー制限をしているので、独りでも極端な食事には走らない。胃も満腹を要求しない。これは日ごろの精進による。こういう日々にあっての今回のおでんではあった次第である。 写真はおでん。


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2015年12月20日 | 植物

<1452> 寒溪蓀 (かんあやめ)

         寒溪蓀 冬の日差しの よき日かな

  寒さのこの時期に花を咲かせるアヤメがある。カンアヤメで、漢字では寒溪蓀、寒菖蒲と書く。本来のアヤメが初夏のころに開花するのに対し、このアヤメは耐寒性が特徴のアヤメ科アヤメ属の多年草で、草丈は普通のアヤメよりも小ぶりで高さが三十センチほど。淡青色の花をつける。

 最初に見受けたのは、寒牡丹で名高い葛城市当麻町の石光寺だった。寒牡丹を撮影に出かけたとき境内の片隅に咲いていた。ヒメシャガに似たところがある。写真の花は駅からの帰り、いつもの道とは違う道を歩いて出会った。冬の日差しが花を温めているように見えた。

                                                                    

 晴れ渡った臘月の青空には上弦の月がかかっていた。月は常時地球を回り、地球が太陽を回っているので、月も同時に太陽を回っていることになるが、その軌跡は地球よりも複雑であることが言える。そして、月の満ち欠けは当然のこと起きることになる。弦月は月が半分地球の陰に入るときの月である。 写真はカンアヤメと上弦の昼月。

   いつもとは 違ふ道行き 寒溪蓀

   晴れ渡る 大和国中 冬の月

   電線に 冬の弦月 掛かりけり


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2015年12月19日 | 写詩・写歌・写俳

<1451> 小さな約束

          妻に告ぐ おでん欲する 寒さかな

 我が家では塩分控えめの食生活をするようになって久しい。この関係で、妻は「塩分が多いから」と言って、このところおでんを作らない。ので、ときどき無性におでんが食べたくなることがある。殊に冷え込んで来たりすると、そういう気分になることがある。

 ところで、先月だったか、例年催される地元の農業祭でおでんが売られるというので、妻が久しぶりに「買って来る」と言って出かけた。で、かなり期待しておでんを待っていたのであるが、今年はおでんの売り出しがなかったと言って帰って来た。私はがっかりするとともに約束は裏切られると、そのようにも思ったことではあった。

                                

 ほんの小さな約束だったが、期待が膨らんでいたこともあって、その後、食べたい気持ちがずっと尾を引き、その気持ちは持続しているが、妻はすっかり忘れているようで、食べる機会に及べずにいる。おでんごときとは言えるが、制限している献立であれば、機会を逃すとなかなか廻って来ない。それほど深刻ではないが、どうも納まりが悪い。

 今晩の夕食はカレーライスだった。カレーライスを作る日は妻が出かける日に多く、朝方作り置きしておいて出かける。で、今日の我が家の夕食は妻の出かける日イコールカレーライスの日ということで、夕食は里芋の親芋入りカレーライスだった。という次第で、今度の寒波くらいにはおでんが食べたいと思う。とにかく、あの果されなかった約束以来、おでんが気になっている。 写真は今日の夕食のカレーライス。


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2015年12月18日 | 祭り

<1450> 春日若宮おん祭の最終日

         底冷えの 奈良にしてあり 御祭

 春日若宮おん祭は十七日の「還幸の儀」と「遷幸の儀」が行われ、神をお迎えする時代行列とお旅所での各演目による催しがあった。最終日の十八日は奉納相撲大会と能の舞台が行なわれ、これを見に出かけて、春日大社界隈を歩いた。寒波の影響により冷え込みが強い一日だったが、歩くに支障はなかった。おん祭は大和の一年の最後を飾る祭りとして知られ、十七日の行列がハイライトで人出も多く、今日の午前零時には神も宮に戻られ、祭りは昨日でほぼ終わっている観がうかがえた

                                              

 昔、京都の祇園祭りに際し、次のような句を得たが、春日若宮おん祭の冷え込む最終日に、ふと、その句を思い出し、冒頭の句を作るに至った。祇園祭りは夏の祭りで、厳しい暑さを凌がなければならない時期に無病息災を願って行なわれる。これに対し、春日若宮おん祭は厳しい寒さを凌がなければならない時期に同じく無病息災を願って行なわれる。

   巡行の 果てたる町の 日照りかな

 これが祇園祭りの際の句で、巡行とは七月十七日に行なわれる山鉾巡行をいうもの。長刀鉾を先頭に山鉾は午前中予定のコースを巡り、各町内に還り着き、巡行は果てる。このころの京都は猛烈な暑さに見舞われ、巡行の終わった午後はなお暑さを募らせる日照りで耐え難いほどになる。ということでこの句を得たのであった。

 この夏の暑さに対し、冬の寒さがおん祭の特徴で、冒頭の句が生まれた次第である。これは四季の国日本の祭りの一つの姿として捉えることが出来る。日本人にとって夏と冬は暮らすのに厳しく、両方の祭りとも、言わば、日本の風土に則っていることを暗には示していると言える。  写真は春日若宮おん祭のフィナーレを飾る相撲(左)と能の一場面 (いずれも春日大社表参道脇のお旅所前で)。 


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2015年12月17日 | 写詩・写歌・写俳

<1449> チューリップの球根植え付け

       この寒さ 凌いだ先に 春がある

 暖冬異変が言われている今冬であるが、寒波の影響によって寒くなって来た。日中はよく晴れて日差しがあったが、木枯らしが強く、風の当たるところでは一段と寒く感じられた。奈良県立の馬見丘陵公園では四月に開かれるチューリップフェアに向けてチューリップ約50種30万球を植えつけている。

                       

 寒風の吹く中、作業員らは耕した歌壇の畝に球根を並べ、その一つ一つを手作業によって土に埋めてゆくのが見られた。今植えつけると四月のフェアに花を咲かせるが、今年は暖冬傾向にあるので、今後の天侯が気になるところである。現在はほかの花壇でシクラメンや冬咲きのパンジー、バラ園では冬薔薇が見られる。 写真は植え付けのため並べられたチューリップの球根(馬見丘陵公園の中央エリアで)。