大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

日ごろ撮影した写真に詩、短歌、俳句とともに短いコメント(短文)を添えてお送りする「大和だより」の小筥集です。

大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

2015年12月01日 | 写詩・写歌・写俳

<1434> テ ロ の 項 追 記

        正しきは何処にありや 真実は いよいよ鵺的思惑の闇

 ロシアの爆撃機がトルコ軍機によって撃ち落とされるという事態の展開になってシリア情勢はいよいよ混迷を深めているが、この一件によってシリア情勢の構図が透けて見えて来たように思われる。というのは、第二次大戦後における世界の紛争並びに戦争に共通するところがシリアにもうかがえるからである。

 朝鮮戦争然り、ベトナム戦争然り、カンボジア紛争然り、アフガン戦争然りである。これらの戦争や紛争に共通するのは、国内における分裂があり、この分裂の状況に乗じて支援という名の大国による介入がなされ、武器供与による戦闘の拡大が進み、国土の荒廃と国民の疲弊がもたらされ、住めなくなった人たちが難民として国外に逃れて行くという状況が生じているという点である。

 これがまさに今のシリアの状況に等しいことが言える。内紛の原因と経緯は国によって異なるが、共通するのは政権に対する不満が渦巻き、権益を得ている政権側とその恩恵に与かれずにいる反体制側の対立が極端に現れるという点である。この対立につけ込むのが、利権(権益)を狙う先進国、殊に大国と呼ばれる国々で、支援という美名の下に武器を供与して内紛の拡大を煽る。これら世界大戦後に起きた戦争や紛争の経緯をうかがうと、この図式によって局地的に戦闘が行なわれて来たのがわかる。

 この点で言えば、前回でも触れたが、ベトナム戦争からカンボジア紛争に及んだインドシナとイラク戦争からシリアの内戦に至る中東の戦乱は、やはり似ていると言える。ベトナムでは北と南、カンボジアでは四派が入り乱れて戦闘を繰り広げた。そして、それぞれに大国が兵士を派遣したり、武器を供与したりして、所謂、支援を行なった。翻ってシリアを見ると、アサド政権側にロシア等がつき、反政府勢力側に欧米の有志連合国がついて戦い、これにもの足りない武装勢力のイスラム国(IS)が参戦する形で与するという三つ巴の戦いが展開しているのである。

            

 ISには支援する組織や国がないように思われている。確かに、公にはそのように見られている。だが、そんなことはない。何故なら、ISは十分に戦えるだけの物資や兵器を持ち合わせているからである。それは何処からか秘密裏に資金や武器を調達しているからである。この闇の秘密裏に行なわれているルートの存在を暴かない限り、いくら空爆を試みてもISを壊滅することは出来ない。

 それに今一つ、支援という介入を止めない限り、戦火の収まることはない。これはインドシナの戦いがよく物語っている。ベトナム戦争は米国が撤退したことによって収拾し、カンボジアの内戦はソ連の崩壊によってソ連が離脱した後、国連の指導によって四派の和平が成り立った。このことをして言えば、シリアも大国の介入がなくなり、三派に和平の状況を作り出すことが出来れば、シリアの状況は打開に向かう。幾ら足並みを揃えて空爆しても、介入がなされる間は、決してシリアの状況を打開することは出来ず、ISによるテロ攻撃も止むことはないと言ってよい。

 これに加え、問題を難しくしているのは、シリアの戦闘状況が局地戦ではないという特質を有していることである。それは、前にも触れたが、世界がグローバル化の状況にあるからで、イスラム国はこのグローバル化を利して戦闘を展開している向きがある。それは敵と見なす国におけるゲリラ的自爆テロという手法によって敵対国を混乱させるという戦法を取っていることで、これを見ればわかる

  国際社会はこのISが絡むテロを個人的犯罪だとする常識論に沿って世界にアピールし、処断しようとしているが、前述したように、ISは戦闘の一手法としてテロを用いているに過ぎないことを考慮に入れておかないといけない。ISによるテロはゲリラ戦の一手段たる戦闘行為であれば、戦争状態にあると考えられるからである。いくら声を高らかにして卑劣な犯罪行為だとアピールしてみても、戦争と認識してテロを起こす側は相手の状況、例えば、空爆に対抗してゲリラ戦のテロを仕掛けるという思いで戦いを挑んで来る。これがISという武装組織だからである。パリの同時多発テロはその一環であって、ニューヨークで起きないとも限らないと言えるわけである。

  もちろん、一般市民をターゲットにするのは許されないことであるが、ならば、空爆による一般市民の犠牲が許されるかということが問われて来る。これが狂気の戦争であって、手段を選ばないことは過去の戦争の事例を見ればわかる。所謂、昂揚する戦闘状況にある者たちにとって、平素の倫理感など通用することがない。ましてや自爆という自己犠牲をもって行なわれる神を胸の中に奉ずるテロリストの昂揚状態においては誰も止めることは出来ないと言ってよい。

  つまり、戦闘モードにある戦士たるテロリストたちには聞き入れる耳がないと考えていた方がよい。で、思われるのであるが、聞き入れる耳がない状態になる前、即ち、戦闘モードに入る前にこの戦士たちには対処しなくてはならないということ。でなければ、この先、テロはなくならない。 そして、今一つ言えることは、グローバル化によってこのゲリラ的テロという戦法が、世界の国々に蔓延し、テロに呼応する組織や連中に伝染して行く恐ろしさがあるということである。年間一万件を下らないと言われる世界のテロをどのようにして防ぎ、撲滅するかであるが、防御することもさることながら、それには良好な社会を構築するしかないと言ってよい。

  良好な社会とは、なるべく格差や差別をなくすることである。こうして生まれる安定的な社会を構築する方策と努力がなされることが世界には最も望まれることである。グローバル化の時代はこういうことも指摘しているのである。しかし、これは至難の業と言えるだろう。シリアの難題一つをみても人類の至難が思われて来る。トルコ軍機によって撃ち落とされたロシアの爆撃機の顛末などはこのテロの状況下に起きたことである。 写真はトルコ軍機によって撃墜されるロシアの爆撃機(左)と墜落して黒煙をあげるロシア機 (テレビの映像による)。