<1461> 新年を前にする路傍の石仏たち
道の辺の 仏にも来る お正月
今年は戦後七十年の節目の年だったが、この七十年の間、日本は一貫して欧米化の道を辿り、精神、文化から暮しに至るまで、その影響を受け、よしにつけ悪しきにつけ変化を来たし、今に至っている。七十年と言えば、人ひとりのほぼ一生の歳月に等しい。戦後間もないときに子供だった私たちの年代は七十歳代の年齢にある。
それ以前に生まれた人たちは第二次世界大戦の時代を経験し、世の中の大きな変化にも立ち会って来たから、その人生は時代的に言ってもっと辛辣で厳しかったと言えよう。そのような時代の体験者が徐々に姿を消しているのが昨今であるが、私のように戦後が子供の時代人にとっても、最近の世の中の成り行きは、欧米化した物質文明に飲み込まれている世の中の実感というものがひしひしと感じられて来る。
物質文明では金銭がものの値打ちを決めてかかる所謂お金がものを言うところから、世の中がみな一様に拝金主義に向かい、お金を稼ぐことが人生の目的になり、そこに成長を感じ、お金を儲けることに走ることが価値の大きいことになった。世界もこの欧米の物質文明に傾斜し、これに基づく拝金主義が押し進められ、これが最も現代的な価値観のスタイルとして見られるに至った。その先端にあるのが市場原理主義で、これが今や世界の趨勢になって大きく影響しているのがわかる。欧米の物質文明はこうした状況をつくり上げて来たが、その特徴は科学技術と相まって、豊かさと利便を押し進め、なお、突き進んでいると言ってよい。
こうした状況下、一方では拝金主義がもたらす社会的な弊害として、当然のこと現れて来たのが格差の問題である。その格差が極みに達しつつあるのが現在だと言えるが、格差は個々人から国家間まで各層に及び、その不満とか苛立ちが世界各地に噴出しているのが現在の実情である。この例は、地球のいたるところに見られ、いろんな形に現われている。内戦然り、国家間の紛争然り、過激派のテロ然り、難民しかり、飢餓や貧困に苦しむ子供たち然りである。そして、それは欧米文化の拡大とともにグローバル化に向かい、今や、イスラム過激派組織のような国を越えた形のテロ集団も現れるといった具合になって来ているのである。
このような時代状況にあって、ふと、身近な生活エリアの中で、こうした拝金主義などに関わりのない冒頭の句のような石仏の光景に触れると、みな貧しい生活ながらも等しく懸命に寄り添いながら暮らし、一種平和な時代にあった戦後の昭和の時代に思いが回帰してホッとさせられるのである。今日はそういう光景に出会い、このブログも書く気にもなった次第である。
奈良大和は古い歴史に彩られたところで、いたるところに各年代の趣が感じられ、そのことだけでも何か時流に翻弄されない芯になるものが見受けられるが、路傍の石仏に花を供えて新たな年を迎えようとする近隣住民の心と言うか、生活の姿が、欧米化した合理主義的拝金主義の世の中にあって今も引き継がれ、道行く人の目にも触れて来る何か懐古的な思いにさせられるよさというものが心に通って来るのである。
欧米化の流れが行き場を見失い、拝金主義の泥沼に国自体が陥り、にっちもさっちも行かず、とうとう国民の大多数が望みもしないマイナンバー制の導入に踏み切り、その拝金の結果たる国の大借金の手当てにしようとする役人の浅知恵がまかり通ってしまった今年ではあったと言える。
言わば、こうした国民の気持ちを抑圧するような管理社会もやはり突き詰めて言えば、物質文明の拝金主義の行き詰まりによる弊害的現れと見てよいように思われる。大借金はもとよりのこと、市場原理主義に基づくこの拝金主義的動向をどうにかしないでは格差は納まらず、真の豊かな国にはなれないと言ってよかろう。
このような御時世にあって、昭和年代の懐古的光景として残る路傍の石仏のこうした一景は心を和ませてくれるものと言える。最近の川柳に「ほっといてわたしゃ一億から抜ける」というのがあったが、これは庶民の感覚から来る国に対する思いで、世界の時流に翻弄される利己的な国政に巻き込まれる国民の不満を代弁しているものと受け止められる。
言わば、この時事川柳の言葉も今日触れた路傍の石仏の一景に協和する同じ心から現れた言葉だということが出来る。私のような少々世の中を裏から見るような者には見えて来るところである。 写真は迎春のため、綺麗に掃除され、新しい花が供えられた石仏群(斑鳩の里で)。