大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

日ごろ撮影した写真に詩、短歌、俳句とともに短いコメント(短文)を添えてお送りする「大和だより」の小筥集です。

大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

2015年12月03日 | 写詩・写歌・写俳

<1436> 情報番組に寄せて

       真実に至り得ぬ身に今日もまたテレビの情報番組(ワイドショー)のコメント

 テレビに情報番組というのがある。娯楽番組として登場したワイドショーを先がけとする番組で、ほとんど毎日各局において組まれている。世間の出来ごとやトピックスなどをメニューに揃え、そのメニューに従って司会者が進行役になって、三~四人のコメンテーターが話の内容に応じてコメントをし、番組を進行して行くものである。

 メニューの内容は世の中全般に及び、千差万別で、世界の情勢から政治、経済、暮らし(衣食住)、社会の動き、人事、ゴシップ、芸能、スポーツ等々。殊に各種災害、事件のように異常なトラブルや事態についてとり上げることが多く、そのネタは時事的であり、ニュース性のあるものが圧倒的で、報道と連動している特徴が見られる。で、これは一般視聴者の話題を呼ぶという点、所謂、関心事に重点を置き取り上げる報道に娯楽性を加味した番組に仕立てているのがわかる。

 この情報番組にもニュース主体の硬派的なものとお笑いに茶化して進行するような軟派的なものとがあり、ニュース番組自体も情報番組と見分けがつかないような形式のものが多くなっている。これはインターネットなどデジタル化による情報伝達の発達によるところが大きく、世の中の出来事が短時間にそれも大量に集められることによって情報番組が成り立つようになったからである。この大量の情報を視聴者の関心の度合いに合せて取捨選択し番組のメニューづくりをしている。そのメニューに沿って司会者が進行役になり、コメンテーターの発言を加味しながら番組を組み立てて行くというものである。

  という次第で、司会者はもちろんのことであるが、情報番組にはコメンテーターが重要な役割を担っている。このコメンテーターには視聴者によく知られた良識のある印象のよい人物が求められ、ニュースによってはそのことに熟知しているその筋に熟知する専門性に富んだ者が姿を見せるといった具合になる。だが、ニュースによってはことに熟知する者が少なく、限られていることもあり、こうした分野のコメンテーターは一局だけでなく、引く手あまたとなり、複数の情報番組に顔を出すということが生じ、新鮮味を欠くということにもなる。

  司会者の質問や話の持って行き方にもよるが、このような場合、番組によって同じコメンテ―タ―の様子が微妙に違う場合がある。A局では気楽にコメントしているコメンテーターがB局では思うに任せないコメントをしているという風に見えることがある。これは同じ情報番組でもものの考え方や捉え方が微妙に違うからで、司会者の話の持って行き方によってコメンテーターが答えに窮するような雰囲気が生じるからである。

                       

 殊に政治がらみのこととかになると、コメンテーターの発言に微妙な雰囲気が纏うようなところが出て来るといった具合である。コメンテーターも一人間で、ものの考え方があり、局の思惑、つまり、番組の進行役である司会者と微妙な齟齬がその発言に生じじ、その場の雰囲気を硬くするということがある。コメンテーターには思う存分コメント出来る番組とそうでない番組があるように感じられ、そういうときには、コメンテーターも大変だなということが思われたりする。

  と同時に、これはコメンテーターに対する各局の嫌がらせではないかと思えたりすることもある。また、テレビの志向が極端な方に偏って行かないようにする局側の配慮によるのかも知れないとも思えたりする。一局だけに集中して出演しているコメンテーターにはその微妙な雰囲気は見られない。また、特定の局には全く出ないコメンテーターもいる。これも何かの事情によるのだろうが、コメンテーターには番組に沿うある程度の相性というのがあるのかも知れず、一種の常識人のお墨付きが必要とされるのかも知れない。この常識に照らして言えば、確かにコメンテーターに極端な発言者はいない。出演を決める段階で極端なコメントをしそうな御仁はオミットするのに違いない。

 それにしても、情報番組というこの手の番組はニュースにこと欠かない昨今の内外の事情によって盛んになっているのがわかる。新聞にネタが尽きないのに等しく、千差万別のニュースを取り上げる情報番組にネタの尽きることはないようである。各局ともにこの情報番組に力を入れ、この手の番組が増えれば、コメンテーターのかけ持ちも頻繁になり、専門性を有したコメンテーターは引っ張りだこで、人材不足が感じられたりすることも生じているのが見て取れるというのが現状である。

 視聴者としては、そういうところにも配慮して、局にはコメンテーターの人材発掘もしてもらいたいところである。シリアの情勢などにあっては殊にこのことが思われる。それは、ニュースの情報内容に真実が見え難いところがあるからである。トルコとロシアのあの爆撃機の問題などは最たるもので、視聴者にすれば、もっと裏の裏が知りたいところであるが、遠いところから想像するようなコメントがあたかも本当のことのようになされていることが思われて来るからである。ISに殺害された後藤氏のようなジャーナリストが全く登場しない昨今の情報番組に、情報の本質が問われる一抹のさみしさと苛立たしさが私などには感じられるのである。

  とりとめもない話になってしまったが、ワイドショーから始まった情報番組は昨今もっとも盛んなテレビ番組だということが出来る。世界情勢を含め、世の中の動きがめまぐるしく展開し、ドラマ以上に興味をそそられることが多いからだと思えるが、すべての情報が演出によるドラマではなく、生のものであれば、ときには取材者がネタに肉薄するようなものも見せてもらいたいと思う。 写真は情報番組の映像による。