大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

日ごろ撮影した写真に詩、短歌、俳句とともに短いコメント(短文)を添えてお送りする「大和だより」の小筥集です。

大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

2015年12月24日 | 写詩・写歌・写俳

<1456> 2015年 回 顧 (2)

         世の中の移り変はりは昔より常にしてあり今に至れる

 戦後七十年、安倍政権になって世の中が大きく変わる気配がうかがえる。国民にはその気配に期待と懸念が交錯し、それがこの一年だったと言える。期待は希望、懸念は不安と言ってみてもよかろう。世の中を大きく変えゆくような安倍政権の政策的要素は幾つかあげられるが、私たちにとってそれらの要素は我が国の国体及び社会の根幹、つまり、基盤に関わる重要な案件ばかりであることが言える。では、その要素の一つ一つについて考察し、この一年が如何にあったかを見てみたいと思う。

 まず一番にあげられるのは、戦争の放棄を謳った平和憲法たる現憲法の解釈を政権の都合によって、戦争の出来るような国にしたこと。所謂、国体の基にある憲法の精神基盤を壊したということである。これは戦後七十年の間、平和を貫いて来た現憲法の類例を見ない希有な実績に対する挑戦的行為であるが、この挑戦が米国追随をよしとする現れとして見えたことで議論を二分した。言わば、この米国追随のために憲法の解釈を変え、平和憲法の尊厳を蔑にしてまで戦争の出来る国にしたわけである。この強権によって成ったこの法制が実施されるようになると、徐々に国民の間にもその影響が出て来ることが思われる。

                          

 二番目は、環太平洋パートナーズシップ協定(TPP)の合意による戦略的な経済の連携が及ぼす自由貿易の影響というものがある。合意内容が公開されていないので、考察し難いところではあるが、この協定は概して消費者に有利で、生産者に不利な、言わば、都市部によく、地方の田舎によろしくない協定の趣があり、第一次産業への影響が大きく、農業では農家の姿を大きく変えるのではないかと思われる点があげられる。

 殊に小規模農家の行く末が心細く、日本列島のほとんどの地方に見られる棚田の存亡にも関わることが懸念され、この協定が国土の風景をも大きく変える可能性があると思える。風景は人々の感性に及んで来るから、国民の精神状況にも関わって来る。それに棚田の稲作が消えて行くと、山地の管理放棄と同じく、その地域の保水能力が低下し、洪水を引き起こす可能性が大になり、私たちの暮しに大きな打撃を与えることに繋がると見てよい。こういうところにも環太平洋パートナーズシップ協定(TPP)は影響すると考えられる。

                          

 次に、社会の成り立ちに変化を来たす国政の政策的動向が見られたことである。これは今まで放置して来た政治の偏向と怠慢によるところが大きいと見なせるが、少子高齢化による社会の行き詰まりに右往左往したのが今年だったと言える。物質的に恵まれていても、子供や年寄りがのびのびと暮すことが出来ないような世の中は余裕のない決して豊かな国とは言えず、日本はそういう真の豊かさに至っていない一種歪んだ豊かさの国になって今日に至っているということが指摘出来る。

 これにやっと気づいたのかどうかは知らないが、政治の無策はなお続き、経済成長一辺倒、社会の大きな問題である家族の成り立ちなどには無関心で、家族というのはほぼ崩壊状態にあると言え、子供の貧困率が極めて高く、生活保護者が増え、孤独を託つ下流老人と言った言葉が流行語になるなどといったありさまである。これでは、少子高齢化の問題を解決することなど出来ようはずがない。国民を目いっぱい働かせて疲れさせるのが落ちである。

 一方、企業による不正が横行し、企業の倫理が問われたのがまた今年の世相の一端だった。否、これは相変わらずと言った方がよいかも知れない。東京五輪に関わる新国立競技場の建設問題やエンブレムの問題にしても不正に近いところがうかがえる。これは現代における病的な現象と言ってよいのかも知れない。自由な競争をよしとする理念に基づいて行なわれて来た戦後教育の負の面が現れたと私などは見るのであるが、どうだろうか。言わば、自分さえよければ人さまはどうなっても構わないというまことに嘆かわしい競争社会の一面の姿と言えば言えるところがある。今年はこのような点も浮き彫りになった。

 このような社会の構図の中で、マイナンバー制が導入され、いよいよ国民一人一人を国が管理するという状況に至った。これは携帯電話のスマホに見られる状況に等しく、個の極みを示すもので、家族単位の社会というものの崩壊を意味するものと言える。一方は家族関係など無視して、国が自らの制度によって一元管理する仕組みで、一方は個々人がこれも家族などは関わりなく、外界とのコミュニケーションに寄り、幻想的バーチャルな世界に流されて行く傾向に陥り、犯罪などに絡むという事件などが起きている。国の一元管理は秘密保護法と相まって国民を縛り、全体主義に陥る懸念がある。幻想的バーチャルな世界は前述したごとき事件を生み、風紀の乱れを増加させることにもなりかねないということが言える。こういうことも、私たち国民には懸念、即ち、不安要素として今年は考えさせられた。

 そして、最後にあげられる要素が、国の負債、借金による財政の逼迫状況である。米国は国の経済的状況を立て直し、0金利政策にピリオッドを打ったが、何故日本は米国に追随しながら経済的状況を立て直せず、財政の健全化も図れないのか。追随しながら足並みが揃わないのは何に原因するのか。思うに、それは追随が安易に行なわれ、厳しくないからではないか。この分で行くならば、安保の問題もTPPの問題も米国への貢献に傾斜して、我が国には恩恵に与かれない乏しいものに展開してゆくことが懸念されるわけで、こういうところにも国民は不安を覚える。国の財政状況を思うに、脆い堤防の河川が想起される。。

 まだ、言い足りないように思われるが、とにかく、戦後七十年の2015年の今年は、その節目の年にあって、世の中を大きく変える出来事があった年として見ることが出来る。果たして来年はどんな年へと展開して行くのだろうか。移り変わりは世の常であり、これは今も昔も変わらず、そして、今があり、明日があるということである。 どんなに展開して行っても日本は日本であるが、なるべく多くの国民が納得出来るような運びになって欲しいものである。 写真上は姿を消して行くかも知れない棚田の稔りの秋の風景。 写真下は安保法制の関連法可決に際し、国会議事堂前で反対の声を上げる抗議デモの一シーン(今年一月)。   ~ おわり ~